完成させられない病

 

しばらく記事公開をしなかった間、何もしていないわけではなかった、つもりです。

というのも、ごろびよブログの下書きがすでに30件ほど溜まって久しいんです

ブログ1記事ほどの分量にならなかった思考の断片、詳細なデータを探す手間を面倒くさがって放置してあるもの、誰かの記事の焼き直しのように見えてなんだか嫌だなぁと投げたもの….書いたけども恥ずかしくなってきた昔のエピソードや、ちょっと休憩と思って手を離したら戻ってきた時にはすでにやる気を失ってきた哀れな文字のまとまりも。

それぞれには様々なエピソードがあるわけだけれど、共通しているのはひとつ、いいアイデアとしてピックアップされて下書きに書き込まれるまでは良かったものの、完成させられていないということ。

そう、わたしはほんとに、なかなか、完成させられない…。

 その原因を考えてみました。

けっこう、常にダルイ

そもそものところで「常に若干不調」なのが良くない。20代初めの頃からだったか、頭痛に悩まされていました。そしてもっと以前から8時間睡眠では全然寝足りないし、朝起きて数時間はぐったりしてしまいます。ごろごろするのは好きだからするのだけれど、それと同時に「シャキッとし続けられない」という理由もあります。

こういうこと、気をつけているつもりなのに…。調子が出てくるのはお日様が傾いてきた頃。だから、「雑務から始めず、午前中に頭脳を使う仕事を先にやる」みたいなアドバイスが全然響かないんです。「歴史は朝作られる」ということわざには「うん、そっか…よろしく頼む…」としか言えない、ほんとに。午前中からトップギアに入るひとってどうなっているんだろう。未だに不思議です。

最近また別のツイートが友人からシェアされてきたのだけど、

つまりそういうこと…?全ては慢性的な運動不足?体幹の弱さ?

自粛が始まった3月頃からYoutubeをみながらのエクササイズをほぼ毎日してきています。確かにそれ以前と比べたら肩まわりの可動域が広がり、腰痛はなくなりました。頭痛とだるさは依然として感じますが、もしかしたら1年経った頃には変わっているのかもしれない。筋肉は裏切らない…はず。

道のりが長くておっくう

そもそも趣味でも何でも、とりかかるのが大変につらい。それはいつも壮大なものを目指しがちだから、と理解しています。もしくは、制作プロセスの中で楽しくなってしまって、予想以上の分量に膨らんでしまうことが多いから。

このブログ「ごろ寝日和。」の記事を公開するまでの工程を例にとってみると、今パッと出るだけでこれだけの項目があります。

・ネタを思いつく
・ネタをネタ帳に書き留める
・関連する文章を思い浮かぶままにとりあえず書き出す
・書いている内容がおかしくないか調べものをする
・トピックごとに構成し、見出しをつける
・2000字程度になるように添削する(だいたい書きすぎる。そして重複する内容がある)
・漢字多すぎ箇所や、表記のユレを修正する(それでも漢字が多め…. )
・必要があれば文中に画像を添付する
・文中にリンクを添付する
・タイトルを考える
・アイキャッチ画像を下書きする
・アイキャッチ画像を色塗りする
・アイキャッチ画像を設定する
・公開前の諸々の設定をする

ごろびよでは、アイキャッチ画像も自分で描いています。なぜかというと、楽しいから。楽しいのですが、時間はかかるしブログ1記事が完成するまでの工程は増えるわけで。イメージを下書きして、良さそうなのを選んで、スキャンして、線画にして、色を塗って、アップする…….。一つ一つの工程は嫌いじゃない。だけど、その長い道のりを考えるとやる気がどんどん縮こまる。

というわけで、楽しいんだけど、とりかかるまでのハードルが高い、という図式が完成します。

ちょっと違うかもしれないけど…「好き」と「しょっちゅう出来る」は別、という例。

途中から始められない

上記のように、だいたい大掛かりに仕立てがちなので、一つのことに時間がかかります。だから調子が出てきて作業を進められても、やっぱり力尽きるときは力尽きるもので。睡魔には勝てないし、心と身体を代償にしてまで勝つべきものではないですね…

自分自身、枝葉が多い文章を読むのが好きだから書くものもそういうスタイルになってしまいがち。すると、どうしても書きすぎる。そしてとっ散らかったまま、スイッチが切れてしまいます。

だからといって、次の日のわたしはそこから作業をはじめないんです。次の日は次の日で、またその時の気分に振り回されがち。…なぜ?一番の悩みどころかもしれない。

もう熱が冷めたもの、と感じてしまうのが良くないのかもしれません。一時熱量をバーストさせて書いたものは、たしかに臨場感を伝えるけれど、エネルギーの持久力に自信を持てないのであれば、それを一番の武器にすべきではないなと思います。今のわたしは冷静さ・着実さを「つまらない」と知覚してしまっているので、ここを楽しむ経験をして、思い込みを転回させる必要がありそう。

広く浅く薄く、平均点で

わたしはとても多趣味な人間だと自負しています。それは、悪く言えば、飽き性。

写真を撮ったりイラストを書いたり本を読んだりアニメや映画を見たり、アラビア語や中国語やラオス語やスペイン語やフランス語やヒンディー語やトルコ語を学びたいと思うし、もっと綺麗な字を書きたいし、きちんと料理をしたり掃除をしたりしたい。知らないことがたくさんあると気持ち悪くて何でも知りたいと思うし、自分で何でも一回やってみたくなってしまいます。

器用貧乏、あるいはそこそこ広くて浅い事情通という感じ。

色んな人が「何でもできるね」と褒めてくれる。…そう、お金が発生しない場所では。要するにプロの技ほどじゃないものを大量にひきずって歩いているのです。

いや、時間もお金も余っていたらそれでいいのだけれど、そういう有閑貴族の身分ではない…。

そういうものが周りに散らばっているお陰で生活は楽しいです。近所を散歩するだけで「この壁の質感いいなあ、こっちの花はこの角度で書いたら綺麗だろうなあ、あぁチーズとトマトのいい匂いがするからグラタンを作りたくなってきた」と見過ごされがちなことから刺激を得てエキサイトできる

ただ、もうちょっと何かに有効利用できるような賢明さや割り切り方を身につける必要がある気がしています。そうでないと、グリム童話の「キツネとネコ」のようになりかねないですから…。

効率よくこなせる人っていうのは

いいなと思った言葉を借りると、「面倒くさい」に敏感なアンテナを常に装備し、作業のもたつきをいかに改善するか考えつづけている人が、目標に向かって直線距離で動ける人なんだと思います。

ただわたしはそれをしすぎると心が死にます。例えば読書が情報収集目的だけになると、味気なさで読み続けることが出来なくなったり。プロセスに楽しみを見出すことが自分にとっては大事みたいです。それを忘れないように、でもやりたいことにまみれて足下を取られないように、バランスのとれた三十路の下ごしらえをしていきたいです。