女らしさ・男らしさから他人を解き放つことは自分も解き放つ

 

本日は、男性女性その他問わずジェンダー論の基本知識を持っておくとちょっと生きやすくなるよ、自分自身が。というお話。

 

わたしが10代、20代前半に息苦しかった原因のひとつは、「女だからこうあるべき」という束縛でした。そういうの感覚的に吸収して実践するの、ちょっと無理だった。

一つは女だから、という理由で勝手に与えられる役割。もう一つは女の身体がさらされる序列づけや、性的なリスク。共働き家庭で育ったし、大学も行けたし、わたしが特段ほかの女の子と比べて辛い思いをたくさんしてきたとは思いません。でもやっぱりモヤモヤする出来事はたくさんありました。

簡単な例でいうと、期間限定で出向していた仕事場で、男性だけの会議室にわたしがお茶を出さなければならなかったこと。待って、英語の仕事で行ってるんだけど…。自分の職務にまったく関係がない…!「これは若い女の仕事」っていう暗黙の了解をみんな持っているみたいでしたけど、一体誰が決めたんですか?なんでそれに疑問を持たないのか。どういう思考回路になっているのかが純粋に不思議で、解明したい気持ちでいっぱいです。

いや、わかるんですよ….人間ある程度いろんなことを想定して予想つけてから行動したいものです…だから色んなものを見てそこにルールとかカテゴリ分けつけるんでしょうけど。でもそこに疑問を持ってしまうと、もう戻れない。考えざるを得ない。

ジェンダーロールの面で微妙なラインは、女だから親戚の集まりでは進んで給餌をしなければならない、などです。別に家事は嫌いじゃないし、給餌をすることが嫌なのではないんです。だけど、「わたしが手伝わなければ文句を言うくせに、同い年のハトコの男子はぼーっとそこに座らせておくんだ?」という疑問は浮かびます。おばあちゃん世代には女が家事をするのは当たり前だったからそう言うんだろうな、ということは解るので、個人的にはそういう場ではいまでも何も言わないことが多いです。自分たちでやった方が早いだろうし、そこでことを荒立てても自分にとって良いことは全くなくて、ただ面倒なだけ。

身体という面でいうと、やっぱり自分より立場が強い・あるいは身体的に強い相手に一方的に性的な目で見られ、下手するとそこに言動を伴うというのは恐怖でしかないです。特に見た目をめちゃくちゃに磨き立ててきた人間ではないのに、女であるだけでそういうことが予期せず起こるわけです…。あとは、胸が足が毛がメイクがファッションが…と語る声が、自分が求めていなくとも耳に入ってきて「いや学業や仕事の場所で、そこで判断される筋合いなくない?」と思っていました。

そんなこんなで「女であるって不都合だ」、「性がめっちゃめんどくさい」と思ってきたのが、やっと最近になって楽になってきました。周りの人たちが良い人ばっかりだからとか、歳とってきて性格が図太くなったとか、世論全体が変わってきたとか要素は色々あるのだけど、やっぱりジェンダー論を勉強したのも効いてます。

日本でも、やっと公の場で「自分の性別が原因で息苦しいのはおかしいよね」という主張が色々な人に語られるトピックになっては来たみたいですが、でもやっぱり誤解を生みやすく、「ツイフェミが!」なんて紛糾する場面もたくさん見ます。

でも女性を女性らしさの型にはめこむということは、男性も男性らしさの型にはめられているということ。それってたくさんの人にとって盲点なんじゃないかなと思います。

これについてはエマ・ワトソンのスピーチが一番分かりやすいに心に入ってくるので、ぜひこちらの動画を見て下さい。(コメント読んでると、この英語スピーチを課題にしたりしている学生さんとかいるんですねー。時代は着実に変わっている….)

この動画をみると、ジェンダーは誰しもに関わる課題なんだと分かります。

フェミニストっていう言葉が、男性批判とごっちゃになっているから「なんか怖い人に怒られそう…!」って思っている人が多そうなのがとてももったいない。そうじゃなくて、「男とか女とかLGBTQの前にヒトだから、自分が不公平に扱われると嫌だよね」「性にまつわる思い込みを取り外して、相手に気持ちいい配慮ができるとみんなハッピーだよね」っていう考え方と行動をする人、だと考えるとわりと自然じゃないですか?

でも自分は相手の身体に入って経験ができるわけでもなく、想像だけで相手によかれと思っても偏見は取り除けない。悪気がなくても偏見って自分のなかにあるんですよ。わたしも、この間やらかしました。「うちのエンジニアの人が介護で辞めちゃってさ…」という友人に対して「男の人が介護退職って珍しくない?」と返事をしたら、「そのエンジニアさんは女の人だし、男の人も介護退職、普通にするよ」と修正されました。恥ずかしかったです。

でも結局誰でも思い込みにハマることってあるわけで、「知らず知らずのうちに偏見を持っているかもしれないから気をつけよう」って思っていることが大事なんでしょうね、結局。

実際上の例の失敗のように、わたしも性別ごとの役割のラベルを無意識に貼ってしまっていることもあるし、わたしには男性のかかえる生きづらさは実感をもって理解することができません。知人には、「一人息子で家の跡取り」という立場に葛藤している男性、痴女に遭いがちだという男性も存在します。女性が被害者・男性が加害者なんて一方的に決めつけることはできません。

そんなわけで、ジェンダーを学びたい老若男女におすすめできるのがこちら。昨今議論されている内容をバランスよくまとめてあり、かつ読みやすい入門書です。

伊藤 公雄、樹村 みのり、國信 潤子著『女性学・男性学 ジェンダー論入門』

実はこの本のブックレビューを書こうとおもって、記事を書き始めたのだけど、前置き部分でずいぶん長くなってしまった結果この記事が生まれました(笑)

身近な事例を出すところから本が始まっているので、自分事として捉えやすいです。また言葉づかいも分かりやすいし、漫画やコラム、小説からの引用などを使って内容に緩急をつけてあります。大学の教授が書いたにしては、かなり頑張って読みやすさを追求したんだろうな、と思える本です。…横書きだけど。文章の終わりが、句点じゃなくてピリオドだけど。論文を普段書く人にとっては、もうこれが心地いいスタイルなんだろうな。

恋愛についても一章まるまる割かれているので、恋愛にコンプレックスがある人も読んだら気が楽になるかもです。「恋愛・その聖なるもの」みたいなイメージがどうやって作られていったか、昔の日本がいかに性的にのびやかだったか、よく分かって大変興味深いです。