男女の友情は成立するのか、という問いを考える

 

人生一度くらい、たとえばどこかの飲み会で、『男女の友情は成立するのか』という問いが飛び交うところに出会すことがあるのではと思います。Yahoo知恵袋でもよくみる質問です。聞いたところでわりと不毛ですけど、色んな人生観が凝縮された意見があって面白いですよね。

わたしはといえば、端で芋焼酎を呑みながら色んな意見を聞くに甘んじてきたわけですが、今更ながらそれに関してちゃんと考えようと思いました。なぜなら結局、前提が曖昧すぎたら何とも言えない、と今さら思い至ったからです。

相手と前提を共有していないから、話が噛み合わなくて問題がこじれることって多いよね…。(何かあったらしい。)

聞いたことがある答え

さて、まず自分の周りの人がどう回答していたかを書き出すと…

●成立しない派

「男は仲良くなった女とは寝たいものだから友情を維持するのは無理」、「片方が好きになってしまったら、嫉妬したり束縛しあって友達のような尊重ができない」「友情に見える男女関係はお互い都合よく利用しているだけ」

●成立する派

「趣味を一緒に楽しめる人が異性である場合が多い。彼氏がいても参加する」「性格は好きだけど見た目がタイプじゃない場合は恋愛対象にならない」「会った瞬間に、恋人候補と友達に切り分ける」「恋人には見せられない姿を見せても平気なのが友達」「そもそも誰しも異性だと意識して見るとかありえない」

 

Twitterアンケを実施した方によると、成立する 66%(33票) 成立しない 34%(17票) だった模様。わたし自身は「男友達」だと認識している人物が多数周りにいるタイプので、成立しないと思っている人の多さにそこそこ驚きました。

さて、問いの定義をしよう

 

しかしこの一見不毛な問いに出会したらまず、「設問が雑で答えにくいから、ことばの定義から始めていい?」と聞き返す必要があるな、と思います。めんどくさい人ですね…。でも、ことばの意味が曖昧すぎるじゃないですか。一人一人全然違う考え方をもっていてもおかしくない。

この問いをそのまま聞いた時、わたしは

(親密になると恋愛関係になるであろう)(異性愛者の)男女に

(恋情と性愛関係を伴わない)友情が

(しないように見えるが、しているケースもありそうなので聞いてみるのだけど)成立するのか

という文脈だと理解します。

でも、周りはみんな口々に自分の意見を述べるので、何らかの異なる景色がそれぞれの回答者には見えているんだろうと思います。

成立する、成立しない、とはっきり回答する人たちが無意識のうちに共有している前提は、おそらく

  1. そもそもお互い異性愛者である男女においての話
  2. そもそも人間は男と女だけに切り分けられないが、その事実はとりあえず脇に置いておく
  3. そもそも両人ともポリアモリーやそのほかの性的指向を持たない
  4. お互いに恋愛ができるようなそれなりに近しい年齢層だとする (小説になってしまうような歳の差カップルはここでは除外する)
  5. 恋愛感情と友情は別物で、かつ両立しない
  6. 友人同士は性愛的感情をもたないし、性行為をしない(性愛的感情がある者同士、性行為をする者同士は友人ではない)

の5つ。

そして人によって捉え方がまちまちである点を考えてみると…

  1. なにを友情だと捉えているか(家を行き来する幼なじみ、会いたいと思ったら気軽に会える関係、困ったときに助け合える関係、趣味を楽しめる関係、仕事以外で遊べる関係 etc.)
  2. 異性が身近にいた時にどう捉えているか(異性だとかあまり意識しない、タイプだった時だけ意識する、だれでも意識する etc.)

の2つでしょうか。この辺の前提が人によって違ってくるから口々に違うことをいうんですね。

 

異性を誰でも性的対象としてみるなんてことある…?と思ってましたけど、以下のnoteを読んでハッとしました。確かにそうですね。

でも世の中には、異性を「恋愛や性の対象」としか見れない人もいると思います。
それもセクシュアリティの一部なのかなと。

(なお「男女の友情は成立するのか」論)

とにかく、この問いでは『異性愛者同士の男性・女性が1対1でとても親密な感情を築いていくと、それが恋愛感情・性愛感情に到達することが多いはずだ。しかし両人が、友情に到達することはありえるのか?』と聞かれているのだと分かりました。「一番心許せる友達が異性だ、なんてことある?」と言い換えてもいいかも。

さて、それに答えを見つけようと考えてみると…そもそも「友情とは何か」がわからなくなってきたぞ。

辞書を引いてみる

友情とは何か分からなくなってきたので、手元にある旺文社 国語辞典 第九版を引いてみます。

友情: 友人間の情愛。友誼。

友人: 親しく交わっている人。友達。友。

…親しく交わっている、って何だ?何をもって親しいというんだろう…。

では一方で、恋愛は…?

恋: ある異性にあこがれ、慕う気持ち、恋愛、恋慕。

恋愛: 特定の男女間でたがいに相手を恋い慕う愛情。こい。

異性同士で特別な思いを持ち合うことだと定義してあります。でも「恋ってどういう感覚がして、どういう行動とか思考するのかは、まぁみんな分かるでしょ」って態度ですね…。

ところで最近の辞書では、定義が色々変わってきているみたいです。辞書は見比べるのが面白い。

異性、って限定して書いてないのいいですね。

…しかし、やっぱり友情がなにかよく分からなかった…。

哲学に頼ってみる

「そもそもなぜ生きているのか」とか「なぜ美しさがわかるのか」とか、根源的なことは昔の人も悩んで来ているものなので、たいがいは哲学の領域に色んな人の意見が落ちています。

「そもそも友情とは何か」という答えにくいことも、きっと悩んできた人がいるはず…と思ったらやっぱりいました。アリストテレス。

アリストテレスは、友情を3つに区分して考えたらしい。

「実用の友情(friendship of utility)」

実用の友情は一番浅く、たとえば同じ勤め先で働く者同士や、馴染みの魚屋さんとそのお得意さんに通じる友好的なふれあいを指す。

「快楽の友情(friendship of pleasure)」

その次の段階である快楽の友情は、大勢で同じ趣味や娯楽を分かち合う時に感じる喜びから成り立っている。飲み会の「たっのし~い!!」連帯感や、サークル活動で得られる友好的な関係がこれにあたる。実用と快楽、どちらの友情も状況が変われば解消してしまうもろい友情でもある。

「善の友情(friendship of virtue)」

アリストテレスが一番理想としたのは善の友情だ。お互いの善いところを認め合い、尊敬し合う友情は、お互いを高め合う友情でもある。完ぺきな人間がいないのと同じく完ぺきな友情もありえないが、お互いの徳が高ければ高いほど友情の質も向上する。

(大人の友情の条件は、お互い認め合える「いい人」同士であること)

 

このアリストテレス的な友情の定義を借りると、『善の友情』が今回問われている友情っぽいですね。

実はこの『男女の友情が成立するのか』という設問、友情の質を規定するところがミソかも。趣味友なんかは快楽の友情、っぽいですね。

いろんな人間関係を使い分けて生きている中で、様々な場面や時間を共有し他人には言いづらい悩みや弱みすら吐けるくらいに心を開いているような異性への気持ちを「友情」に留めておけるのか…。想像を巡らせるべきはここなんでしょう。

ここまで書いて、友情には「対等な関係」も必須要素かな、と思いました。どれだけ仲がよくても指示を出す側・従う側の関係であったら、それは友情とは呼べないな、と。

追加で考えておきたい点

答えを出す前に、もう少し追加で考慮したい点が

  1. そもそも性的関係がある友情は成立するか
  2. 恋心を自制して友人関係を優先することを選んだら、それは友情の成立とは言えないのか

の2点。

1については、九月という芸人さんが、この問いについてコラムを書いてました。この方は、友情か恋愛かを考えるときに「セックス」の有無は関係しない、という意見。

「セックスをしたことがある友達同士」というのは、世の中にごまんと存在します。過去にセックスをしたことがあるが友人である、というケースもあるでしょうし、現在進行形でセックスをしているものの友人としか呼びようのない関係である、というケースもあるでしょう。

逆に、僕の知人に、全くセックスをしないまま交際し、結婚し、結婚後もセックスをしていないというカップルがいます。僕はそのカップルについて、「僕とは違うな」とは思いますが、だからといって「それは恋愛ではない」などとは思いません。

セックスの有無は、必ずしも人間関係の名前を書き換えてしまうわけではないのです。セックスは、人間関係を仕分けるための標識ではありません。セックスをしようがしまいが、友情は友情、恋愛は恋愛、“どちらでもないならどちらでもありません。

日本語では、「男女の仲」という言葉でセックスパートナーを示します。しかし、セックス以外の「男女の仲」も十分ありうるわけですし、セックスをしながらにして「男女」という枠組みとはあまり無関係な関係性もありうるわけです。

わたしもこの考え方に同意します。セックスありの友達関係って、あってもいいはず。そして誰か他の人の規定する倫理観から責められたりしなくていいはず。流されるのは自分のメンタルによくないから自分でちゃんと考えて、自分の心地いい境界線を作れる人は、明治時代以降に作られた性と恋愛(+結婚)の規範みたいなものに、無理に縛られている必要ってないのではないでしょうか。自分対相手の関係の中で、お互いに同意があればそれでいいのでは。英語圏では “Friends with benefits” (「利益」がある友達)とか言われてますけどね。

日本語の「セフレ」っていう簡便な言葉でまるっとまとめられている関係性の中にも、「セックスのために会う友達」や「セックスもする友達」など色んな質のものがあるでしょうし。(まあこういうのは文学や映画で語られるべき範疇かも。)

逆に「全くセックスをしないまま交際し、結婚し、結婚後もセックスをしていないというカップル」に関しては、恋愛という枠に囚われない友人婚っていう概念もあるらしいですね、最近。

2に関しては、どうなんでしょう。相手が友情だと思っていて自分が嬉しかったら、それは成立していると言ってもいいとわたしは思いますが…。でも、恋心を持ってしまって、それが叶えられない苦しさやしんどさや嫉妬を感じている状態だと『善の友情』を発揮できるか疑問ではあるかも。

ドラマや小説・漫画でも恋愛モノよりSFや推理モノが好きで、人の恋路あまり観察してこなかったからこの件に関しては想像を巡らせるのが難しい…。太宰治や谷崎潤一郎は読んだけれど、参考にならない気がします。今後そういうものを吸収して考えてないといけないな。

そういうのをちょっと考えさせてくれる思春期ど真ん中の少年のおはなし↑

自分自身の答えを出す

以上で長々と前提を考えてきた結果、性愛対象になるかもしれない相手に対して、恋愛感情抜きで『善の友情』に到達できるか?を自分に問いかけてみればいいことが分かりました。倫理観や経験をベースに、「自分の場合はどうだろう..?」と想像して答えを出せばいいですね。

わたし個人の答えとしては、「可能」です。おそらくその理由は、基本的に性で相手を切り分けずに「面白いか、面白くないか」、「怖いか、怖くないか」で見ているからだろうと思います…。マッチョさとかセクシーさを使いこなせないから、逆にそういうことが可能なのかもしれません。そもそも人付き合いがあまり得意でないから、そんな反射的に恋愛できるかまで気が回りません…。男女がどう恋愛対象がどう、という前に誰であっても他人と分かり合えることが大切すぎて、駆け引きなんてできない。

また最近、わたしは相手にラベルを貼らないのと同時に、自分に性のラベルを貼っていないことが多いのだ、と気付きました。人付き合いの前提、人のデータを自分の中に書きこむときに性別があまり重要ではないので、自分の性別も重要でないものとして人付き合いをしています。なので相手に「その気がない」シグナルを発しまくった結果の友情という可能性はあります。

もう一つは、「全員兄弟姉妹!」みたいな雰囲気のシェアハウスに住んでいたので、同年代の異性が生活空間に当たり前にいる状況に慣れきっているのも大きいかもしれません。家族だから、エロい目では見ない。

もちろん常に成立するわけじゃない、と思っています。実際なんでも話せる異性の友人を少し意識してしまった途端に、何も話せなくなったりしましたから。常に成立はしないけれど、たまに成立することもあるよね、っていう意味での「可能」かな。

成立しない派、を考える

とまあ、わたしの思考はそんな感じなので、「成立しない」という意見の人の気持ちがあまりよく分かりません。

そんなときにある記事を読みました。成立しない派は男女の友情という言葉に傷ついたことがあるのでは、という推論です。確かに、「イイかも…」とおもっている異性に「友達としか見られない」などと言われてしまうと双方向の真の友情なんてないと幻滅してしまうかもしれない。

描き子『男女の友情、成立する派としない派が永遠にわかりあえない理由』より

成立しない派、まわりにいないので、見かけたら「実のところどうなんですか」と聞いてみたい…。

感想

結局、仲良くなった人をエロい目で見るかどうか、エロい目で見た時に友情が成り立つのか、好きになってしまった場合にそれでも友達づきあいを継続するのは友情なのか、そのへんの捉え方でいろんなバリエーションが生まれるんだろうな、と思います。

今回の問いのように、「金銭的サバイバルには全然役に立たない問いを頭の中でこねくり回すこと」がけっこう好きです。

趣味は何ですか、と聞かれたときにはちょっと答えづらいのですが…。これをしていると、「やることがない、退屈だ」なんて全く感じなくていいですね。

勉強したことを人生を彩るために使えるようになってよかったです。