全く参考にならないわたしのキャリアの話 (1): 自分で頭を使わない子供

 

わたしは、大学を卒業してから就職しませんでした。かわりにフリーランスとして多種多様の仕事を受け、現在は主に日英翻訳をして生計を立てています。翻訳業は偶然たどり着いたキャリアですが、今考えるととってもしっくりきていて、この場所を見つけられてよかったと思っています。

今日は、どうしてその職にたどり着いたのかを話をします。でも正直偶然の連続だったので、具体的な方法論にまとめることができません。というわけで、経緯は全く誰の参考にもならないと思います。ただ、結果としてそれが合っていた理由は、今から進路を選ぶ方のヒントになるかもしれません。

この記事(1)は、そもそものところでわたしの思考と性格を形成することになった生い立ちを紹介しています。ミズカミの紆余曲折には興味はないけど翻訳業に関わる入り口が知りたい、という方は(3)から、自分に合った職へのたどりつき方を参照したい、という方は(4)から読んでください。

全く参考にならないわたしのキャリアの話 (3): 「英語がわかって暇してるヤツ」ポジション

2020年11月27日

全く参考にならないわたしのキャリアの話 (4): 流れ着いた先は翻訳業

2020年11月29日

はじめに

今から自分の苦労話をするわけですが、前提条件として、中学までは勉強につまずいたことがなく、それなりに良い大学にストレート進学して、さらに学費を親に出してもらっている、ということを言っておきます。

苦労なく大学いけたくせに、勉強できたくせに、甘えてんじゃねーか、というお叱りの声も聞こえてくるかもしれませんが…。

たしかにこの部分に関しては、完全に自分の力以外の要素のおかげ(特権) です。

ここで言う「特権」とはこの記事で説明している通り。

日本語/英語でズレがある単語: privilege=特権?

2020年11月25日

しかし私の性質と家庭環境・経験してきた出来事の相性が悪くて、かなり長い間「生きるのほんと無理」と思っていました。

だいぶ心と身体の歪みを取ったとはいえ、20年以上…下手すれば25年は感情と思考とをこじらせていたので、まだ到達したい点には手が届いていません。

生まれ持った背景は違うかもしれませんが、自分が行きたいと思う方向にうまく人生を動かせず、でも変わりたいと思い続けている人になんらかの視点を提供できたらいいな…と思ってこれを書いています。

意思が薄いので自分で行動ができない

わたしは典型的な偏差値教育の中で育ち、大学に入っていきなり主体性だとか個性だとか自分ならではの意見を求められたときにうまく適応できなかったタイプの人間です。高校までは、どんなテストの点数もある程度取れましたが、自分で考えて卒論研究の計画を立てたり、就活で自分に適した会社を見つけ、自己アピールをして採用を勝ち取る、そしてその会社で協調性と主体性をあわせ持って働く、ということができませんでした。

そもそも、自分が何がしたいのか、よく分からなかったからです。「自分はどうしたいのか、そしてそれがなぜなのか」を冷静に考え、選択肢を比較検討できるようになってきたのは20代も半ばに入ってからです。

とにかく「世の中には正しいことがあって、それを見つけてその範囲のなかでいい成績を残す」、それがやるべきことだと思っていました。

今となっては自我がしっかりして、たいへんわがままボディ&マインドな人間になりましたが、ここまでくるには紆余曲折ありました。わたし自身の落ち度も大いにあるのは前提として、ここでは他人に善悪判断を任せっきりの「いいなり思考」から抜け出せなかった環境要因を考えていきます。

学校: 自己主張の薄い優等生

わたしは保育園から大学までずっと公立に通ってきました。そのなかで言われたことをそれなりのレベルでこなすのは、かなり得意でした。なぜならそればっかりやってきたからです。

基本的に親に褒められたいばかりに、言いつけられたことで優秀になることばかり気にしていました。しかも学校の勉強であれば、努力すればある程度できてしまったので、それが正しい道なんだと思っていました。中学生レベルであれば、美術図工音楽などを含めた全教科で成績がよかったんです。そして、そうあらねばならない、と思っていました。苦手な体育ですら、保健の授業テストや体育レポートの提出をめちゃめちゃ頑張っていました。

全部全力で努力し、全部でいい点数を取ることがいいことだし、それが可能だとも思っていました。そして同級生の交流など苦手なこともあって特に自己主張もせず、しかし問題も起こさず教室に地味に埋もれている、先生に気に入られやすい生徒でした。

また、虫や動物が好きで夢想家な子供だったのですが、女の子が虫が好きだなんていうと、小学生高学年ともなると「キモッ!」とからかわれるようになります。人気の曲を知らないと「え〜、そんなことも知らないの?」と言われます。一人で本を読んでいると「なんでみんなでやっているドッヂボールしないの」とけげんそうな顔をされます。先生も、みんなで遊びなさい、と言います。そこで「わたしはこっちが好きだから、こっちをやりたい。」と言えるほどのこだわりや自分を納得させる術もなかったのです。

その結果、自分のいいと思うモノ・コトがどうやら周りの同級生と違うようだ、これはわたしがおかしいに違いない、そう思ってしまいました

それからは周りを見回して、流行りのファッションや言葉遣いや娯楽を取り入れるので必死でした。当然のようにどこからか人気のものごとを身につける術が全く分からず、興味もなかったのに、その流れを意図的に無視する力もありませんでした。自分以外の子達が、遠足のグループ決めや文化祭の出し物や部活動…なんでも易々とできているように見えてしまって、焦ってもいました。

優等生でありつづける努力をしていたことにはもう一つ理由があります。どれだけ地味で口下手であろうとも、勉強ができるとクラスカーストの最底辺に落ちることはなさそうだったからです。優等生は先生にも気に入られやすいし、テスト前には勉強を教えてほしい、ノートを借りたいからと言う理由で、クラスメートにも迫害はされないポジションです。

一人でいるのは平気だったけれど、孤立するのは、怖かった。

そういう、教室に居場所を獲得するためにエネルギーを割いていたので、何か新しいことを考えつけるかどうか以前に、自己判断で物事の選択をするのがとても苦手なまま育ちました。

家庭: そもそも教育&しつけに厳しい親

自分を抑圧して、ついには自分の心も聞いてあげられなくなったのは家庭環境もあるのかと思います。

わたしの実家は、両親共働きで、教育を重んじる中流家庭でした。女だからといって教育を受けられないということはなく、むしろ積極的に習い事や塾にいかせてくれていましたが、 楽しくてやっているというより自分の義務、のような気分でした。両親の正義が家庭のルールで、子供には異論をはさむ余地はありませんでした。

他に参考にできる事例なんてない子供時代に、自分が納得できないことに意見を言いたい時に「口答えするな」「言い訳だ」と言われつづけることを想像してください。「そうなんだな、正しいことを理解できない自分の頭と性格が悪いんだな…」という思考に陥ってしまいませんか。先天的な地頭の良さが備わっていたら、親を口車にのせるとか、第三者の大人を味方に引き入れるとか、うまくサボるなんてことができたかもしれませんが…。

自分の意のままに生きている人たちに幼少期のことを聞いてみると、割とその辺りを小さいころから上手くやっていて、「誰が教えてくれたの?!人生3周くらいした?!」という気分になります。

まず言っておくと、わたしは自分の両親が「毒親」だとは思いません。客観的にみると恵まれた家庭環境です。ただ親の方針が、わたしの性格や感受性・学校がしんどいという事実と合っていなかっただけです。実際わたしの妹は自己肯定感をこじらせすぎることなく、穏やかで優しい人間に仕上がっています。

両親も共働きをしながら、最上の環境を子供に与えようと、必死だったんだと思います。自分も仕事終わりで疲れているのに、ちょっとややこしい性格の子供の長い話に付き合っていられず、それよりも「また靴そろえてない!早くご飯たべて、お風呂入って。宿題は、やったの?明日の準備は?」と言ってしまう気持ちも、今となってはよくわかります。

「口答えしてはいけない」という前にわたしの意見も聞いて納得するように説明していてくれていたら、モノやコトを与えるばかりでなく学校が楽しいか・家が心休まる場所になっているか気にしていてくれたら、何か違っていたのかな、と思うことは今でもあります。

受験: 理系に行きたかった文系頭の挫折

動物が好きだったので、小さいころから動物に関わる仕事がしたいと思っていました。それで理系志望だったのですが、高3で数学の壁にぶち当たります。

公式の暗記や計算式を解くこと自体は得意なのですが、文章問題や図形問題になった瞬間壊滅的にできない。この数学の成績が足を引っ張って、前期試験で受けた第一志望の理系学部に落ちました。同じ勉強をもう一年出来る自信がなかったのと塾の指導員のすすめもあって、後期試験で英文系の学部を受けたのです。

今思うと、なぜ受験時点でもうちょっと自分で進路選択をできなかったのか、わかりません。どうしても動物に関わりたいということであれば、飼育員だとか動物看護師だとかになるための専門学校という選択肢もあっただろうに、眼中に入っていませんでした。視野が狭いのに輪をかけて、思い通りにいかない受験の重圧にパニック状態だったのかもしれません…。ここで書かれている「ガラスの優等生」状態だったのかも。

とにかく、わたしの進路は塾の指導員の方が決めました。もちろん文系科目だ得意だったわたしにとって良いだろうと考えて、データを読みこんで勧めてくださっているので、自分の能力の向き不向きでいうとバッチリ合っている方向でした。

それで、受験まで見学に行ったこともない大学の、進路として考えもしなかった学部で、言語学や文学・英語史を勉強することになりました。名前を言うと、「あら、名門じゃない」とか言われる大学ではあります。ただわたしの立場から見てみると初めて自分の努力が及ばずに挫折したわけで、自分の未来に何を想像していいのか分からなくなりました。

 

長くなったので、次の記事へ続きます…!