全く参考にならないわたしのキャリアの話 (3): 「英語がわかって暇してるヤツ」ポジション

 

わたしは、大学を卒業してから就職せず、紆余曲折を経て現在は主に日英翻訳をして生計を立てています。翻訳業は偶然たどり着いたキャリアですが、今考えるととってもしっくりきていて、この場所を見つけられてよかったと思っています。

外から見れば大変に恵まれた環境で育ったわけですが、本人としては思い通りにならないことも様々ありました。その様子を(1)と(2)に書いています。ご興味のある方はこちらからどうぞ。

全く参考にならないわたしのキャリアの話 (1): 自分で頭を使わない子供

2020年11月21日

全く参考にならないわたしのキャリアの話 (2): 進学先失敗からの就活挫折からの実家逃走

2020年11月21日

 

ごろごろ読書していたら、同居人から仕事がくる

時は2010年代前半、ちょうど政府のビザ緩和政策や、LCC路線の拡大でインバウンド観光需要が拡大し出した時期でした。圧倒的に外国人の相手をするガイドや、企業研修をする英語教師が足りていなかった時でもあります。

当時わたしはシェアハウス管理人のインターネット事業の手伝いをしつつ、ひたすら積ん読を消化していました。

この状態。

この時に、「暇なの?仕事しない?」と声をかけてくれたのがピカギラちゃん。

ピカギラちゃんは外向的で、日本文化が大好きで、太陽の明るい南国が大好きな言語オタクです。わたしをシェアハウスに紹介してくれた張本人でもあります。彼女は当時OLをやめて、いろいろな仕事に携わりつつ人生を模索中でした。その中で、外国人のガイド、という仕事にハマっていったのでした。

海外旅行が大好きなピカギラちゃんは、人を案内するのも向いていたようです。自分でプログラムを作り、海外観光客向けに広報をしていたら、自分ひとりでさばける以上の仕事が入ってきた。そんな時に自分の住むシェアハウスの住人が、英語が分かるのにずっと暇しているようだ…と知ってわたしを誘ってくれました。

にゃん子大将の仕事を手伝っているおかげで家賃の心配はしなくてもよかったものの、収入源は月に二回ほどの派遣の接客仕事。ちょうどそれを辞めたいと思っていたのと、それよりも面白そうな仕事だと思ったのでわたしも飛びつきました。

どんどん需要が増える分野で立ち上げたばかりの仕事では、なんでも柔軟にこなしていく必要がありました。外国人ゲストのメッセージ対応の仕事、体験教室の手伝い、民泊運営のための準備と運営、いろいろやりました。なんでも自分でやってみたい性分で、むしろ同じ仕事を毎日するのは苦手なので、うまく行きました。ピカギラちゃん伝いにコネクションも広がりました。

同時に、勧めに従ってTOEICやTOEFL、全国通訳案内士の免許も勉強し、取りました。(通訳案内士は国家資格です。しかし改正通訳案内士法が2018年1月に施行されてから、資格なしでも外国人向けの観光業にガイド通訳として従事することができます。人が足りずに政府は緩和するしかなかったんですね…。)

TOEICとTOEFLは学生時代に受けたっきりになっていたので、「英語を使って仕事をしています」と言って信頼してもらえるための点数を取っておいたほうが良いな、と思い半年勉強しました。経歴がキレイな履歴書なんて無いわけで、能力がありますよ、と示すことで勝負するしかありません

通訳案内士免許保持者は輪をかけて不足しており、免許取得後は、観光のハイシーズンに「明日空いてる!?急遽入った仕事があるのでぜひお願いしたい。」と声がかかることもありました。自分の今の実力では手を伸ばそうと思っても届かない仕事が、急遽入った仕事に対応する人員を探している時があり、スケジュールが空いた状態で柔軟に直前に入ってくる仕事を受けると、経験は積めます。聞いていた話と違っていたり、無茶振りも多いし、遊びの予定などは後回しになりますが…。

さらには、実績・実務経験がなくても、立ち上げたばかりの誰も経験がない仕事なら、仕事が回ってくる。そこで自分の能力の限りにできることをやる。そんな経験をたまたま獲得できた時期にもなりました。

業界に新規参入してきた企業が催行しているツアーやプログラム、企業の英語研修の仕事が入ってくることがあったのです。コネクションで完結してしまっていたり、既得権益が取り尽くしていない分野だったから、20代前半の若輩者でも取り立ててもらうことができたんでしょう。

そういえばラオスやフィリピンに行った時、クリエイターとして活躍している人・起業家などに若い人がとても多かったように記憶しています。企業のエリート層にも、随分若くで上り詰めている人がいました。わたしが出会った人の所得階層、見ていた業界に限るのかもしれませんが、でも上が詰まっていないというのは若いうちに活躍する場を見つけるときに大事な要素だと思います。

タイトルに入れた通り、わたしの経験がそのまま誰にでもあてはまる戦法になることは無いでしょう。でもそこから普遍的に言えることを抽出してみると、それは「新規需要が増えている分野で、自分の能力を把握している人がいて、自分のスケジュールが空いていると仕事がくる。」でしょうか。

どんな働き方が自分に合っているかがわかってくる

ピカギラちゃんの同級生で、言語サービス、通訳翻訳仲介の会社をしている経営者の女性がいます。ここでは彼女を「白雪女史」と呼びましょう。

登場人物について

2020年10月11日

その会社からもガイドの仕事をもらったりするうち、webサイト翻訳の仕事をもらうことにもなりました。スーパーバイザーが付いている仕事だったので、試用もかねて混ぜてもらう、という形で参加し始めました。

自分の知らない新しい情報がたくさんある中で、それをいかに語感を失わずに英語から日本語あるいは日本語から英語にするかを考える。大学の授業で少しだけやりましたが、実践はまた楽しいものでした。

普通は、翻訳会社に採用されるのには、『トライアル』を受けて契約を結ぶことが多いです。他の会社ではわたしもそのようにして仕事をいただいています。ただ、初めに白雪女史の会社の仕事に誘ってもらえたから、「翻訳が自分にあっているかも」と思うことはなかったかもしれません。

そもそも社会人として仕事をするということがどういうことか分かっていなかったので、にゃん子大将のくれた仕事もピカギラちゃんと一緒にした仕事も、全てが目新しく刺激のあることでした。自分が多少できることを他人に認められて、誘ってもらった仕事をして喜んでもらえるということがどれだけ嬉しいかも知ることができました。

でもそれだけでは、持続的にやっていきたい、専門性を深めていきたい分野を考えることはできませんでした。

インターネット事業の仕事では、想像もしなかった自分の消費行動の裏側を知ることができました。ツアーの仕事では外国人ゲストと一緒に自分では泊まらないような旅館に泊まれたりもしました。たくさん新しい経験ができて楽しい仕事ではありました。ただ、20代終わりになってくると、これらをこの先10年・20年続けられるか、と問われると自信がない、と思う自分がいました。

特に観光の仕事では外国人が相手で、日本人にとって当たり前のふるまいや気遣いや察する能力(つまりわたしの苦手分野)があまり要求されなかったので、わたしの接客能力でも許容範囲だったのですが、よく考えたらわたしの社交性では、全く知らない30人のゲストと合流していきなり1週間をずっと過ごすのは、結構しんどかったかもしれない。

20代前半は、1週間の仕事を全力でこなした後は1日寝込み2日引きこもる、という方法で回復を図っていてそれで何とかなっていました。また、体力も勢いもある若さで「明るくて人付き合いがうまくならなくてはいけない」とずっと思っていたので、そこに向かって努力をすると意味でも接客仕事に打ち込んでいました。

でもいろいろやってみた後で、自分がどうしたら心安らかに生きていけるかを考えたときに、社交的エネルギーを使い続けることはあまり向いていない、という結論を出しました。めちゃめちゃ頑張って同業者の80%のクオリティーにしか辿り着けないのであれば、もっと自分に得意な方向にエネルギーを注いで、その分野で大成できたほうが幸せなのではないか、そうも思いました。