「女に生まれてよかった」という言葉を初めて発した日

 

昔から、女に生まれた自分の身体を持て余してきました。

男になりたかったわけではないと思います。ただ、人生の工程ごとに工業的に貼り付けられる性別のラベルが、どうも上滑りして仕方がなかったのです。

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地方都市郊外の田んぼの真ん中で、Tシャツ短パンで虫取り網を持ち、用水路でザリガニ捕りに明け暮れる幼少期。母は私に女の子らしい格好をさせたかったらしく、よく服を与えてくれました。でも私はフリルのついたチェック柄のブラウスなんて好きじゃなくて、その可愛らしい夏ブラウスはほとんど着られることのないまま、罪悪感を抱えた私に見送られ、誰かに譲られていきました。

性に関して疑問を覚えたのはいつだったのでしょう。記憶を遡ってみると少なくとも5才時点では、女の身体の面倒くささに取り組んでいたようです。たとえば父を「なんで、お父さんはあぐらをかいてよくて、わたしはいけないの」と問い詰めていました。父から明快な答えがなかっただろうことは、わたしが20代後半まで持っていたモヤモヤで察することができます。あまり深く考えたことがなく明確に答えられない質問に、父もさぞ困ったでしょう…。

また、通っていた幼稚園のトイレは男女分けられていなかったから、女子も男子用便器を日々目にしていました。わたしは、ある日、男子便器で用をたす試みをしたらしいのです。先生に見つかって逃げたことはうっすら記憶にあるし、後で母親に思い出話として持ち出され、恥ずかしい思いをしました。

小学生になったら、早熟な「隣のクラスのあの子は誰それが好きらしい」と噂をする同級生の横で、読書に明け暮れたりウサギの飼育係という仕事に夢中になったりしていました。

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中学生や高校生になると、交際、というものを始める子たちもいました。教室の端からミニスカの同級生がベランダを伝って隣の教室の男子に話しかけに行くのを、ただただ気恥ずかしいというか「よくそんなことするなあ」という半分呆れた気持ちで、見ていたように思います。恋心は理解していたけれど、結局のところ『好きな人がいたら告白をして付き合う』というプロセスを唯一の正解としている世界線には入れずじまいでした。

今思い返すと、全く興味がなかったわけではなかったはずです。少女漫画を覗き見したり、キャアキャアはしゃぐ声に羨ましさを感じたことも覚えているから。これが交際そのものに憧れたのか、そういう能力のある人間のステータスに憧れたのかはよく分かりませんが、はっきりしているのは恋愛話を自分ごととして考えるのは気恥ずかしく、居心地が悪かったことです。

明確な言葉にしてみると、モテは「性的にちやほやされることを好意的に受容し、性的な振る舞いを自分に組み込んでいくこと」を達成して得られるもの、だとわたしは思います。雑誌や漫画や周りの大人もしくは本能的にそれを学習し実行する、その能力はクラスカースト上位の特権、に見えました。あるいはそれが出来るからこそ、クラスカーストの上位に登れるのかもしれません。(知らんけど。)

とりあえずその自分の身体と精神に付随する性を受容し、使いこなすことが全然できなかったのです。

それなりに発達した本能的性衝動 (=恋)にほだされてデートみたいなことをする年齢まで至っても、その感情は未だに残りました。ちなみに、一般的な美容の話や他人の下世話な噂はできても、いまだに自分の好きな人のことだとかデートの話だとかを他人にできません。はずかしいから。どこかで他人に常に評価を下されているという思いが消えず、自分に似合わないことをするもんじゃないと刷り込まれ続けてきたからかもしれません。

大学生になると、周りには「自分のなりたい女性像」にぴったり合う振る舞いと声と衣服を着こなす女子であふれていました。大学デビューというにはしっくりしすぎているそのファッションと動作に、「どこで学んだんだ?どこにそんな学習のための時間があったんだ?」と不思議でした。何とどうして育ってきたらこうなるのかわからなかったけれど、それが多数派だったから、自分がどこかでネジを落としてきたんだろうと思うばかりでした。

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しばらくして、なぜか好いてくれているらしい留学生男子とデートらしきことをして、「エウレカ…! 」と叫ぶことになりました。「志を同じくする仲間みたいに理解しあえる人とは、長い時間過ごしても楽しいのだ。記号性の評価や消費と関係なかったら、異性という意識が間に横たわる人間関係でも心地いいのだ。」という発見は、静かな革命といってもよかった。

しかし就職活動が始まって、また女というジェンダーと向き合うことになりました。この企業は女性が何人いて、働きやすい会社です、というアピール。女性だから、子育てを考えてキャリアの組み立て方を意識しなければならないという指導。手入れのしやすさ重視のジャケットに合わせるのはおなじく膝丈のスカート。パンツスーツは受けが悪いから、スカートで行け、とのアドバイス。

「自分は就活生という生き物です。誰かの規定した枠にきちんと収まることができます。」という主張を放つリクルートスーツを纏った上で「自己をPRする」意味すら分からないのに、しかも女という記号を手放すことを許されないということに対しての整合性をつけることがかないませんでした。

この頃、同時にボディブローのように効いていたのは「女は良いよね、最終的に結婚っていう道があるから」という言葉です。しかも他分野で大変尊敬する人からそんな言葉が放たれたので、ショックでした。それも一因となり、ちょっと就活戦線に足を踏み込んだだけで全身に湿疹が出来始め、結局10駅中2駅進んだあたりで就活を途中下車しました。

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容姿の問題は、性を考える上で切っても切れないことだと思います。自然界をみていると、オスが子孫繁栄の戦略として容姿を際立たせている種が多いのに、人間はメスも容姿を磨かなければならない圧が高い。化粧をしなければならないという暗黙の社会要請を考えると、メスの方が頑張らないといけないのではないでしょうか。メスは妊娠という性質上子孫を残せる数が限定されているからそんなことをしても、あまり繁殖に利益がないのに。

人間、というか現代人、現代日本人、無理してるぜ。なんでこうなった、暇を持て余した欧州貴族でもないのに。

私は自分に向かって「可愛い」という言葉が発せられるのが苦手で、極力避けるようにしています。一般的に日本人が共有しているだろうい美的基準でみて自分のことを可愛いと思えないし、可愛いふるまいを出来ているとも出来るようになりたいとも思いません。それは、フェミニズムの理想を心に抱えているからではなく、似合わないからです。鏡にむかって巷で可愛いと言われている表情や仕草の真似をしてみると、そこに映っている自分のおぞましさに寒気がして現実に引き戻されます。自分自身美しいものは大好きだし、容姿がいい人をみて惚れ惚れすることもあります。だけれど、自分はそっちじゃない。

そんなわけで、同性異性問わず他人に可愛いと言われたところで、「その言葉お門違いじゃないですかね」と感じるにすぎないのです。本当に思っているなら、なんて奇特な人なんだと危うんでしまう…。相手が日本人でなかったらまだ「美意識が違うのかな」と無理やり納得させられるので、そのため異文化出身の人がその言葉を発しようとも、躊躇いなくお付き合いすることはできます。(拗らせてんなー。)

自分の眉毛がしっかりしているとか、手の爪の形が良いのは自覚していて、それは自分でも好きなポイントなので「爪きれいだね」なんて言葉は事実として受け止められます。しかし女同士で「可愛いね!」「えーそんなことないよ、そっちこそ!」っていうやり取りをするのはとても苦痛。自分の美意識をよくよく観察してみると、基本的に女子という生き物は可愛いと感じているのに、自分が言われたら苦痛。また『女は全員「可愛いね」と言われて嬉しい』と思っている男性が多いと聞けば、「無理、怖い」と思う。

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そんなたちなので、性自認についても何か多数派と違っているのかと思ったことがあります。それで自分の内部を見つめて考えてみたけれど、どうもシスジェンダー/ヘテロセクシャルであることは間違いないようで、性自認を理由に自分を納得させることはできませんでした。

20代後半になってようやく、sex(性別)とgender(性役割) 両方の意味で女である自分に居心地が悪いということは少なくなってきました。小学校中学校の同級生なんて続々と結婚しているというのに、この年になってようやく女であることを受け入れる体制がとれた、というか…。

疑問を持たずに飲み込めることが、この世には少なすぎる。言葉で吟味してようやく納得させられるから、大勢の人よりも時間がかかってしまう。みんながピノキオで滑走する道路をひとりクッパを使っている気分です。

とりあえずは少なくとも「女であるということは変えようがない。」という諦めはついたようです。女性だから取れた仕事もあるし、女性だから丁重に扱ってもらえたこともあって、それは事実です。昔はそれが心苦しくて『平等に扱われたい、対等に扱われたい』とあがいて自分を消耗させていました。しかし年の功というのか、「自分が何もしなくても他人が勝手に価値を感じてその対価を払っているだけだから、しめしめと思ってありがたく受け取ろう、自分に不都合なことがあったら主張しよう」と割り切るようになってきました。若干納得行かないものの、効率化と打算力が上がるとスルーできるものも増える。

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そんな私が28歳になり、ついに「女に生まれてよかった」という言葉を発するときがやってきました。

楽しく語って気もゆるみ、軽口を叩いていたときに友人が言ったのです。

「それあんたがおっさんだったら、完全にセクハラで訴えられる言動だからね。」

それに思わず反応した私の返答は、「…女に生まれてよかったー!!(訴えられない!)」でした。

(*同性であっても相手が不快に感じたらセクハラです)

 

おあとがよろしいようで。

書いた後に自分が思ったのは…なんだろう、やっぱり笑いに走ってしまうのに面白くなりきれない残念感、です。

 

身体にたましいが心地よく居座るまで、あと少し。