ブログを4ヶ月続けてみてどうだったかを振り返ってみる


このブログサイト「ごろびよ。」は2020年9月に立ち上げたので、もう4ヶ月だ。

わたしは本当に物事が続かない人間なのだけど、今回は「とりあえず小さく初めて、続けてみる」を大事にしようと思った。それで友人とタスク管理プロジェクトに仕立て上げた上に、数年分のサーバーとドメイン代に数万円を払うことで、なんとか維持することができている。

2021年に入ってからは、しばらくブログに手をつけずにいた。スポーツでもなんでも、ちょっとインターバルを空けてからやり直したり分析してみた方がコツがつかめたりするものだ。だからこの機会に、ブログを書いてみた経験を振り返ってみたいと思う。

続けるって大変

まず思ったのが、毎日書き続ける、という体力をつけるのがとても難しいということだ。多分誰しも感じることで、色んなところでその感想を読んでいるはずなのに、自分の実感としてやっとしみ込んできた。そして、一番重要なのも多分ここだ。

書きたいことは常にあぶくのように浮かんでは消えていく。発想に困ることはない。ただ、どのように言い表すべきか、どのエピソードを入れるべきか、どのくらいの感情を込めて書くべきか、書いている内容は正しいのか…そんなことに悩んだあげくに完成させられず、放り出した下書きが100記事をゆうに超えている。その溜まった下書きを見るたびに、また「ああ、完成させなきゃ」という謎の義務感にさいなまれる。

最優先に考えるべきは、それをいかに肩の力を抜いてまとめて書き切るか、なんだろう。1時間半くらいで2000字のブログ記事を量産したい。読む人のことを考えるとは、そういうことじゃないか。今まで書いて公開したものは、やたらと長い。物によっては5000字を超える。自分で読むと面白いのだけれど、忙しい現代人にそこまで体力をかけて読んでくれるよう要請できるメディアではないとも思う。自分も他人も気軽にいられる場所にしたいので、今年まずすることは記事のカロリーとスピード調整だ。

その次が『誰かに上手く伝えたい、誰かの役に立ちたい』という思いなのだけれど、その “誰か” もいまいち定まっていない。だから自分の書き味というか語りかけ方というか… いわゆるトーンマナーというものも定まらない。自分が心地いい書き味は、気分によってフニャフニャと移り変わる。

どういう立ち位置で誰に伝えたいのか…を今の段階で考えてみると、ゆくゆくは自分と同じようなことに悩んでいるもう少し年若い方に届けたい、らしい。でも、そもそもわたしの書くような硬い文章だとか、ブログサイトというメディアで届くことがあるんだろうか、と常にモヤモヤする。同時にその裏で「そんなことより、書きたいことを書き続けるのが大事なんだ」と理性も大声で叫んでいるから、脳内が忙しい。100記事公開できたら、またこの件に関して考えようと思う。

ブログを続けるということに関しては、希望がある。なぜならブログに先んじて始めた筋トレが根付いたからだ。なんと、毎日の習慣として。「このわたしが…! 筋トレだって…!?」と信じられない気持ちはことあるごとに沸き起こるが、でも本当にそうみたいだ。日が暮れるころになると、自重トレをしたい、とウズウズする。

山登りにいっても、「足がつらい…帰りたい」と思っていたのが、「今!ハムストリングに刺激が!」とお得な気持ちになる。なんというか、マインドセットがマッチョ化してきている。これは、きっといいことだ。自分で観察していて、その変貌がちょっと面白い。

こういう変化があったので、もっと軽い気持ちで取りかかる仕掛けが作れたら、きっと続くんじゃないかな。

書く側の目線で本を読むようになった

文章の声色に当たる「トーンマナー」というものが、なかなか安定しない。原因はわかっている。わたしが心地の良いと思う文章が、一般受けしないくらいに堅苦しいものだからだ。

わたしの一人称は、本当は「私」で、「わたし」とひらがなで書くのはとっても違和感がある。それでも、いまのwebライティングの基本フォーマットでは、ひらがなで書いた方がいいとされる。 自分の好みと、伝わりやすい声色が解離しているから、ちょうど良い妥協点を見つけるのに、まだ悩んでいる。 とりあえず、ことしは断定系で書いてみようかと思う。

phaさんという、低空飛行系エッセイストの方がいるが、彼の書く文章は気持ちいい。静謐で無駄のない、ひらがなと漢字のバランスがちょうど良い、そして内容も新鮮なエッセイの数々は娯楽として質が高いし、わたしみたいな内向的な人間にとっての道標の役割も果たしてくれる。

あの文章をひとまずの目安にしてみようか。

こういう読み取りをする視点ができたのは、やっぱり『どうやったら伝わるか』に自分が悩んだからだ。文章の書き手たちがよく必読書に上げる、山田ズーニーの『伝わる・揺さぶる! 文章を書く 』を読んでもピンと来ていなかった3年前と比べたら成長したみたいで、それは素直に嬉しくなった。

 

自分の人生の振り返りになった

ブログを始めたのは、伝え方と継続がド下手な自分のためなのだけれど、伝え方の上達より先に、思っても見なかった効果があった。なにかというと、自分の心が思ったよりも深いところでこじれていて、それを自覚することで癒えていったということ。ブログを通して、言うなれば人間の心根の部分の、姿勢が良くなった気がする。

メタ認知やマインドフルネスの手法は前々から知識としては持っていて、実践をしているつもりにはなっていた。でも、やっぱり思っているだけではだめで、書き出したものを少し時間を置いて読んでみて、そこから素直な気付きを心に染み込ませることが大事だったみたいだ。

ブログを書くのと同時に認知行動療法というものをセルフケアとしてやっていたのだけど、ブログがその手法のサブコンテンツみたいな立ち位置になっていた。今までは、書いて読み返すことすら恥ずかしくてできなかったのだから、書き出すことができて、公開ができて、しかも振り返ることもできるなんて自分では大分と跳躍したな、という気分だ。

今年書きたいこと

やっぱり一番書き残しておかないといけないのは、20代でしてきた世界様々な場所での旅についてじゃないかと思う。当時の自分はとてもマメで、日記をつけた上にレシートやパンフレット・手紙を全てアナログで残している。これを今の視点で読み解いてひとまとまりのテキストに仕立て上げておくと、またその先の自分に残しておける素晴らしい宝物になるはず。

それから、こっそり書いているフィクションや叙情的エッセイを仕上げて出していきたい。

あとは、びよ絵と呼んでいるアイキャッチイラストを、もっと見やすいテイストに変えたい。自分の中にいるエモい人格と面白さを求めてしまう人格が相反しあって、中途半端な成果になっている。ほんとうに、自分の好みを正直に表出できたらいいんだけど、それがどんなものか具体的にもなっていない。わたしは、なんでもうっすら好ましいと思ってしまうから、やっかいだ。いろんなものに分散した「好き」をなだめすかして場面に応じて使い分けていきたいな。

5・6本の記事を公開してから、全部まとめてアイキャッチをあとづけするという癖も、なんとかならないだろうか。とりあえず100本書いてから考えるべきか。

さいごに

わたしの言いたいことはほとんど、すでにいろんな人が異口同音に世の中に向かって放っている。しかももっと上手な方法で。世の中における自分の意義なんか考えてしまったら、『自分がやらなくてもいいこと』だらけになってしまう。それでもなお、自分も書いて出すということができている人は、自分主体の欲求をエネルギーとして動いている人だと思う。

欲求をもっと明晰に聞けるように、そうしたら一歩前に進むことも、きっと怖くなくなる。

この記事は、1時間で書けた。3000字ちょっと。やればできるじゃん、わたし。