「香り」のはなし

 

唐突な話、わたしが今年アンテナを向けている先は “嗅覚” だ。なぜその意識が出てきたかというと、いかに現実世界と接続している部分であるはずの身体を、自分がなおざりにしてきたかを認識したからで、身体と実世界の接続経路を増やしたいな、と思うようになったのだ。

昔から運動やコミュニケーションや歌のような、身体を通じて即時的に評価されがちなものが得意ではなくて、その代わりに他者評価を知識量や制作物で得ようと必死になっていた。そのせいで、世界の存在を捉える感覚が偏ってしまったみたいだ。自分の立ち位置を担保するために役立たないものを、切り捨てるべきでない感覚を、置いてきてしまったんだと思う。

20代初めに、他者評価で自分の幸福感を担保するよりも、自分自身が世界を知覚する方法を工夫してその感覚刺激や知的発見に楽しみを見出すほうが、安パイだし簡単だと気づいた。それからいろいろ自分の内側を観察しながら、世界からの刺激の受け皿というべき思考回路やその表現方法を工夫してきたつもりだ。でも、ここにきて、そもそもインプットのためのアンテナの偏りが気になり始めた。

 

情報化社会と呼ばれている空間でわたしたちは生きているけど、ここで言われている “情報” は主に、紙か電波かスクリーンを通して目に入るものたちで、そういう動画や文章は、視覚と聴覚からインプットするものだ。その二つのアンテナが研ぎ澄まされる一方で、その他の受容体がどんどん鈍くなっている気がする。

もちろんインスタレーション・アートは展示の場と空気感を大事にしているし、上映中に霧や香りを体験できる映画館もある。でもそのような刺激を設計している場に意識して足を運ばなければ、全方向から五感すべてに向かってやってくる世界の刺激に晒されることは少なくなっている。

世界を捉えるには、この世に存在する語彙は圧倒的に足りていないはずなのに、わたしはその限られた語彙で形作られた部分を世界の全てだと思って生きているのではないか。そう思ったときに改めて、自分の感覚で外界に接続して伝聞ではない一次情報を受容し、吟味し、自分の幸福感を上げるための材料にしたいと考えるようになった。

 


(こういう感覚だとおもう。)

 

また、このコロナ禍中で在宅期間が長くなると、設計されたようにしか世界を体験しなくなってきた。毎日身体に与えられる刺激が予定調和だということだ。そしてそれは知らない間にわたしの幸福感を少し削り取っているし、感情のチューニングがだんだん下手になっている気がしていた。心というのは、予想外の驚きや喜びから活力を得ているものらしい。

例えばペットと暮らしていたら、きっとそのような予定調和を上手く乱してくれるのかもしれないけれど、いまの生活スタイルではそれも叶わない。だから散歩を始めた。

散歩をして、改めて自分の身体を観察してみるとよくわかる。家にいて、自室で自重トレーニングをするだけでは血が通わない筋肉や、かじかむ手指や、右足から左足への体重の流れの受け渡し方、飛びゆくシラサギやカラスを追う目線の目まぐるしさ。空気の冷たさや枯れ草の匂い、木肌のぬるい温度は、カレンダーの日付と少しずれている自分の身体感覚を調整してくれる。30分ほどそういう刺激を身体に与えてやると気分が晴れるし、いつもより眠りが深い。

考え事をして頭が疲れる、と言った時に使っているのは “意識” の部分だけれど、いつも使っているその部分以外が活発になっている感覚だ。それが身体のチューニングになっている気がする。自分に必要な気分転換は、外界の刺激で五感を満たすことだった。

嗅覚の話に戻ろう。特に嗅覚に関して考えるようになったきっかけは、近所にある自家焙煎コーヒー店だった。そこのご店主が言語で表現するコーヒーの香りと味が面白いなと思ったのだ。「この香りはナッツ風なのか、こっちはベリーのようだと表すのか」と、あらためて知覚と言語ラベルを一致させていく作業に、なかなか新鮮味があった。大人になってからこのような機会を経験したことは、あまりない。

五感といわれる感覚のうち、味覚と嗅覚はとくに密接にリンクしているらしい。味覚の95%は嗅覚といわれることもあるくらいだ。B級グルメの豊富な下町で社会人の初めをすごしたから、かなり自分の中での『美味しいもの』の基準は出来上がっている。でも、その味をどれくらい嗅覚が担保しているのか、考えたことはなかった。嗅覚に意識をフォーカスしてみると、きっと味覚も鋭くなるし味を形容する語彙も増えて、食への楽しみが増すんじゃないかなと思う。

もう一つは、嗅覚が記憶を呼び覚ますきっかけになることが少なくないな思い当たったことだ。「ある音楽を聞くと、それを以前聞いていたときの風景が思い出せる」という人もいるが、わたしはあまりそういう感覚がわからない。その代わりに、匂いをきっかけにして思い出が蘇ることは頻繁にある。

だからあまりこれまで意識を向けてこなかった嗅覚を観察して、それが発する記号を感じたり、語彙でラベルをつけたりしてみて、世界を感じる引き出しを増やせたら面白いと思っている。

そう意識していると、ぼーっとする時間には内的世界がとても目まぐるしい。

 

 

以下の2冊買いました。読むのがたのしみ。