アドラー心理学が合う人、合わない人

 

アドラー心理学、いままでたくさんの人が勧めてくれていたのにもかかわらず、わたしはとても苦手だった。

それは「トラウマを認めない」というアドラー心理学を、強者の根性論みたいだな…とおもって敬遠してきたからだ。
わたしの抱えているしんどさなんて、この人の意見では『存在しないもの』として否定されるんだろう、と思うと手が伸びなかった。

初めてこの概念について耳にしてからもう5年くらいが経って、最近また耳にする機会があった。
それで「一度も知ろうとしていないのに、あまり食わず嫌いするのもよくないかな…」という気分になって、やっと本を読んでみる気になった。

そうしたらこれまでと言葉の響き方が違っていて、なんだか今のわたしには染み込んでくることを言っている気がする。
そうか、過去に囚われずに前向きに生きたい、と思えた人にとっての心構えなんだ。万人の心の状態を一辺倒に決めつける理論なんじゃなくて、「考え方をこう変えてみたらどうかな?」という提案だと思えば使い勝手がいいんだ。

そもそもアドラー心理学は何か、どうやって日本に広まったか

 

そもそもアルフレッド・アドラーが提唱した心理学の理論体系は “個人心理学” と名付けられたものだ。ひとりひとりの人間は、それ以上分割できない “個人” である、というアドラーの考え方がこの名前の由来になっている。社会的動物である人間は、その人らしい目的をもって生きており、対人関係のなかで相互に影響しあうという前提の中で議論がすすむ。

調べた限りで言うと、アドラー心理学を用いたカウンセリングでは、人間の問題はすべて対人関係上の問題で、それにうまく対処する方法が必ずあるはず、として話が進んでいく。また、”共同体感覚” といって、自分の利益より大きな共同体のためにもなるような行動の方向性が、社会的な所属場所・心理的な所属意識のためによいとされる。だから、その感覚が薄いクライアントには、本人が自覚・望んでいなくても、その感覚を育成する手法が採られる。

日本では、『アドラー 人生を生き抜く心理学』(2010年)あたりでじわじわ広がりだし、『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(2013年)が爆発的に売れたおかげで、広く知られるようになったものだと、わたしは理解しています。

街の書店をのぞくと、関連書籍が平積みにされている。インターネットをのぞいてみればビジネス関係者も生きづらさを抱えた学生も、鬱サバイバーも、一度はその言葉を発しているんじゃないだろうか、というくらいに多くの人が知っている考え方になった。

劇薬すぎて、極度にしんどい人には逆効果かもしれない

良かれとおもってわたしに本を紹介してくれた人たちも、ネガティブ思考に陥っている人に根本的に効くんだろうなと思ったんだろう。

違う。アドラー心理学は、心の整合性をとるプロジェクトとしてはステップ3くらいに位置している。本気で「生きるのマジ無理」となっている人には劇薬すぎて、たぶん逆効果だ。

「ポジティブになろう!過去なんて見ちゃダメ!」という言葉に心を動かす元気なんて、そもそもないのだ。存在を保っているだけでわりと精一杯なのだから。例えると、そもそも満身創痍な場合、立ち上がって歩く前に何か滋養のあるものを食べてきちんと睡眠をとる必要があるじゃないですか。ああいう感じ。

そもそもわたしが、アドラー心理学に嫌悪感を催していたのは、日本語での紹介のされ方が原因だと、今なら思う。説明の仕方が決め付けっぽいのだ。アドラー心理学を世に広めた『嫌われる勇気』の著者の語る言葉はこうだ。

そうはいっても、私には過去にこんなトラウマがある。だからこうするしかないんだ。そんな反論も聞きます。自分のややこしい選択には原因がある、ということですね。

しかし、アドラーはこうした「原因論」を否定しますトラウマは嘘なのです。もちろん、過去の出来事が今の自分に影響していることはあるでしょう。ですが、何かの行動を過去が決定した、ということは断じてありません。

Courrier “「アドラー心理学」超入門 10分でわかる、心が軽くなる!”

これらの、紹介の仕方が、しんどい人に寄り添っていない言葉遣いだな、と思ってしまう。

同じ記事のなかにあった以下の文もそうだ。

なぜなら、これは自分の人生の選択を他人のせいにする姿勢だからです。この女性は、結婚生活が失敗したら親のせいにするでしょう。つまり、はじめから責任転嫁するつもりなのです

アドラーはこれを「人生の嘘」と厳しく批判しています。

これは自責の念に強く囚われている人が読んだら、とても傷が痛むだろうな、と思った。自分の心の奥底を覗き見ることができない相手に「過去ばっかり見ててもしかたないじゃん」と、正論を言われても全く響かないのと同じだ。そればかりか、強い言葉を、無理解のままに押し付けられたように感じる。

自分の辛さ・痛みを一旦他人のせいにすることも大事

本当に深層心理からケアをしなければいけない人にとってのステップ1・ステップ2はアドラー心理学ではないはず。

まずは「自分はつらい」と言う現状を認めてあげること、そして過去の記憶を味わっても暗い感情に圧倒されないところまで客観的になること、じゃないでしょうか。

アドラー心理学は、前に進む準備ができた人の道しるべ。その前に「心を癒す」ことを、飛ばしてはいけない。

深く傷ついていて前向きになれないで過去の心の傷ばかりいじってしまうような人にとっては、「一度思い切って全部他人のせいにしてみる」のが有効だとわたしは思っている。というか自分がそうだった。

親との関係がしんどい人なんかにも当てはまると思う。

 

今の自分の有り様を過去に遡って責め続けていたので、「狭い世界しか知らない子供時代に他人に好き勝手言われて傷つくのは、当たり前だ。今引きずっているのだって、わたしの責任はどこにもない…ただ軽薄な他人が悪かった。対処法を知らない子供時代のわたしが悪かったのではないのだから、ここまで正気でまともに一生懸命生きようとしているの、だいぶえらいのではないか。」と、認めてあげる必要がわたしにはあった。

このように、今更どうにもできないことを全部他者や状況のせいにしてしまい、その上で自分の出来る範囲で全力だった当時の自分を認めてあげることが、最終的に「まぁいっか、これからは未来にどうしたいのかを考えよう」と顔を上げることにつながった。

そうすると、「いったん他人のせいにはしてみたけれど、今から考えると自分にも落ち度があったよな…その失敗を活かして今後は同じことをしないようにしよう」とも、冷静に考えられるようになった。

そこまで来て、やっとアドラー心理学の言う、過去の原因ではなく未来の目的を重視して行動する、ができる。

まとめ

というわけで、

「言葉や他人の感情を軽視するような思慮の浅い人のいない世界に逃げてこられたのは英断だった…さあこれから前を向いて生きるには、過去をどう扱えばいいんだろうか?」

そこまで考えられるようになってやっと活きるのが、このアドラー心理学ってやつなんじゃないだろうか。

だからアドラー心理学を「キツそうなことを言ってるけど評判がいいし、自分も頑張らないといけないかな…」と思っている今しんどい人、「あの人がポジティブになるにはきっと役に立つだろうな」と誰かにおすすめしようとしている人、どちらも、そもそも今ステップ3に取り掛かっていい状況なのだろうか、という部分を考慮の上でアドラー心理学に向き合うかどうか決めてほしいと思う。

どんな理論や方法にも限界があるから、自分に当てはまらなくても、それは自分のせいじゃない。

もちろんわたしは心理学の専門家でもなんでもない。ただ、個人の一つの見方を話しているだけでしかないけれど、こう言う可能性もある、という一つの選択肢を知った誰かがもし楽になったらいいな、と思っています。