情報収集が下手なのだけど、好奇心を抑える手立てはあるだろうか

 

わたしはとにかく情報収集に時間がかかる。だからいつも作業時間自体を圧迫することになって、締め切りに追われるはめになる。

検索下手ではない、好奇心のコントロールが下手なのだ

検索が下手だというわけでない。検索下手だったら雑多な情報に当たってしまい、目当ての情報が見つからないというときもあるだろう。でもそういうわけではない。

分野ごとの書籍はもちろん、日本人の書いた論文ならCinii、ビジネス書の内容ならアマゾンや読書メーターのレビュー、生の災害情報ならTwitterとラジオ、と使い分けることはできている。同じように悩めるひとの書いた記事を参考にして効率化は心がけている。

でも、根本のところで、どこまでいっても自分の知っていることが圧倒的に足りていないと思ってしまうのだ。そして知ること自体が面白くって深みにハマって、もともとなんのためにしていたのか分からなくなることが、本当に頻繁に起こる。

強すぎる好奇心と、ADHD傾向が邪魔をする。学習が好きなのは、好奇心が強いのは、「いい資質だ」といわれるけれど、自分をコントロールできない根本原因がこれの場合はどうしたらいいんだろうか。

好奇心を高める方法については様々な人が書いているが、好奇心を弱める方法については自分でも思いつかないし、誰も書いていない。みんな困っていないのだろうか。

知りたい欲求が、発信したい気持ちを上回る

自分はどこまで世界を把握することに貪欲なんだろうと思う。反面、一つの分野について極めるほど深く知ることはしない。幅広い領域について少しずつ知っているのが、楽しいのだ。「雑多な事情通」という職業が成り立つなら、一流として尊敬されるだろう。

実際、雑談には強い。そもそも大勢の場が苦手なので数人規模であればの話になるけれど、幅広い業界の人たちと話を合わせて長時間会話をすることができる。情報収集のよそみは、発想力や雑談のための引き出しには、とても有益だ。

当たり前なのだけど、情報収集だけではなにも生産したとは言わない。  “情報からの意志決定で下した「行動」だけがお金を生むのであって、「情報」そのものが決してお金を生むことはありません” と、ウェブ記事に書いてあったのを読んで、そうだよねと納得した。ただ、納得したからできるのかというと、それはまた別の話だ。

今のところ、知的興奮が、何かをやり遂げた達成感よりも大きい快感として鎮座している。生産は、なんにせよ単純作業が伴い、それに物すごいスピードで飽きるのだ。飽きたところへ、「自分の知識は足りていない」という意識がこみ上げてきて、途方もない文字の海に自ら身を投げる。

だからひとつひとつ着実に積み重ねることが、とても苦手だ。人生において一つの目的のための作業を順を追って脇目をふらず完成させることが、できたことがない。ブラウザタブの未読とブックマークがたまり、wikiホッピング(wikipediaページのリンクをどんどん辿って読んでいくこと。さっき名付けました。)なんて気づいたら3時間が経っているなんてザラ。それ自体が楽しくて、都合よく「必要だ」と感じてしまって、戻れない。

修士課程に進学してみて、この性分の効率の悪さを思い知った。芋づる式に関連論文が大量にでてくるのが、研究というものだ。それらは読んでも読んでも尽きることがない。どこまでいっても足りない気持ちになって、肝心の提出用レポートが全然進まないのだ。調べるほどに知らないことが見つかって、楽しいのと同時にそれら全てに手を伸ばさなければいけないような、どこか切迫した気分に襲われる。しなくてもいい情報収集、だと思えないのである。結局修士論文は締め切り10秒前に出して、ギリギリで合格した。

この話をすると「合格したんだったらいいじゃん」と言われてしまうことが多い。しかし学術業界で、論文の生産に向いていないのは致命的…。かなり長い間、「研究者になりたい…かも?」とうっすら思い続けてきたけれど、修士課程以上に進みたいと自分を後押しする自信がわかないのだ。

これが、ふらふらフリーランスを続ける理由のひとつでもある。

どうやって知りたい欲求を制御したらいいのか

解決方法は大体わかっている。「当初の目的を明快に持って忘れない」、「時間を区切って情報収集する」、「生産自体の楽しさを上げる」という3つだ。もしかしたら、もっといい方法が他にもあるだろうか。…ほらそう思ってしまったら、また調べ物をしたくなる。

そういえばこの記事だって、そもそも何かの情報収集をしようと思って、そういえば効率の良い情報収集の方法を知らないかもしれないと調べ始め、そういえば自分には悪癖があるから書いておこうと思って、書き始めたのだ。当初、なんの情報収集をしようと思ったのか、もはや覚えていない。覚えていないということは、そこまで大切なことじゃないのかもしれない。

でも、当初の目的地を忘れて道端の蝶を追いかけたまま道に迷うばかりじゃ、一生いい景色がみられないかもしれない。それも、わかっているんだよなあ。

とりあえずのところ、調べ物の目的を大きく書いたふせんと、達成できるレベルの小さいto doを書いたふせんを目の前に置き、「報酬系へのごほうびを目の前にぶらさげる」状態をつくっている。

段取りが下手なのは、いまだにうまく分析できないので、もうちょっと考えてみたい。