『苦にならない』仕事をする

 

常日頃から「好きなことを仕事にしよう」ということばを聞くたびに何かはっきりしない暗色の感情を喉の奥に感じる。そんなに世間に向かって大声で叫ばなくたっていい事柄じゃあないかと思ってしまう。なんというか、もうちょっと優しく、必要なところにピンポイントに届ける方法がほかにある気がする。最近ではたしか、演劇界隈のご意見番がそういうことを言って炎上していたように思う。ニュースは流し読みしただけだから、結局みんなが怒っている理由をちゃんと知っている訳ではないけれど。誰かの正義がみんなの正義のように語られているのを見ると、ちょっとしんどいなあ。でもやっぱりメディアでは、一般化しないと伝えづらいんだろうなあ。

好きなことがまず金を産むくらいに生産的である、好きなことができる進路が選択できた、好きなことが金を産むくらいに卓越した技能を身に着ける時間と忍耐と精神の安定があった…。それだけで、どうしても途方もなく、かすんでしまうくらい遠い誰かのお話に聞こえてしまう。そもそも僕のような人間にとっては、マイナスをゼロにする、そしてそれが再びマイナスに転落しないような経路にしがみつくので精一杯だ。

『好きを仕事に』とアピールする人たちにとっては、そう発言する行為自体が金を産むのだろう。ここ8年くらいでよく目にするようになった企画型フリーランスの人たちは、目や耳に優しい形でそれをパッケージして市場で売っている。それを横目に僕は今日もFGOにいそしむ。郊外の大型量販店に向かう電車で、流れていく住宅地の風景をやり過ごしながら。そして、それはそれで案外悪くないと思っている。

自分が派遣社員として働いていた会社で、7年目にして正社員として潜り込むことに成功した。それだけでもずいぶん自分はラッキーだと思う、なんたって正社員だ。これまで色々試してみたけど、居酒屋やティッシュ配りは向いていなかった。食品工場の荷造り作業はそれなりに楽しかったけれど職場が規模縮小になってしまったから空気を読んで辞めた。この派遣会社では、朝食ウインナーの試食販売やガス会社の風船を配る着ぐるみの中の人を経て、家電量販店での携帯販売業務を5年やった。ずば抜けて売り上げがよかったわけではないが、コツコツと、遅刻せず、許容できる清潔さを保った容姿でマニュアルの指示を抜け漏れなくまっとうする姿勢が評価された。後から聞くと、客やクライアント先社員の話を聞く態度がまじめに映ったらしく、社長の心象が良かったのもあったらしい。適当に求人サイトから選んで登録しただけだったけれど、心ある社員のいる派遣会社に当たって良かった。中小企業の正社員だから派遣スタッフの研修も営業も売り上げ入力も会社顧問のパソコンの設定も、全部する。どれも得意とは言えないけれど、できないわけではない。目新しいことがしょっちゅうある業務でもないけれど、理不尽は対応可能な範囲でしか起こらない。残業も、遅くて9時で終わる。小さい頃からの夢が派遣会社の正社員、という人は皆無だろう。でもここに流れ着いて『苦にならない』仕事をできていることは、案外結果として悪くないのではないか。そう言葉を噛み締めると、ちゃんと心も肯いている感覚がする。

他人の言動や感情を機敏に受け取り、それを余計なほどに受け取ってしまうたちだと思う。だから高校生のときに受けたいじめはきつかった。いじめと言うほどのものではないのかもしれない、身体的危害を受けたわけではないのだから。理由は些細なものだったように記憶している。クラスメートは全員絶妙に僕をかわし、必要がある時は表面的な笑顔を押し付けて通り過ぎていった。進学校らしい賢いやり方だった、教師にいじめと認識させないんだから。辛かったが、母子家庭を支えるため必死に働く母親をそんなことで困らせるわけにはいかなかった。それまでも苦労してきたんだし、せっかく楽しそうにやっている仕事に安心してうちこみ、老後くらいは楽をしてほしかった。

1年くらいそれが続いたとき、急に脳が五感を受け付けなくなり、世界が灰色になった。思考は止まり、意志は姿を消し、僕が僕だと思っていたものはがくんと崩れ落ちてしまって、もう前を向いて人生を歩める気がしなかった。その鈍痛は増幅を続けたが、母親に苦労をかけたくない一心で卒業だけはもぎとった自分を褒めてあげたい。よく闘った、と。ただ、頭の中に爪を食いこませた痛みは今もそこにいて、思い出したように絶叫する。だから僕はもう100%の力を腹の底から捻り出して歩みを進めることができない。

僕にだってなりたい職業はあった。きっと今からでも不可能じゃないのかもしれない。予備校に通って学生ローンを組んで六年間大学に通えば、かなう距離。「あなたはしてみようとしていないだけ、怖がっているだけ。」「みんな挫折くらいしてきている、それでも前を向いて頑張ってるんだ、あなたにも出来るんだよ。」そう指摘する人もいるだろう。でも、あの激痛をもう一度経験することへの怯えを感じるくらいなら、僕は他のルートを選ぶ。いったんバラバラになったかけらをつなげ合わせて、なんとか五感を取り戻した。今は時間をかけてでも歩くことができている。そうできているんだから、十分自分は頑張っていると思う。これでいい、これが身の程にあっている。次壊れるともう戻れない気がするから。

感受性という面から考えると、派遣業は僕に完璧にぴったりした仕事ではないかもしれない。先日も、試食販売の『マネキンさん』をやっている横田さんの不満に「うんうん、そうですか。大変ですか。つらいんですね。」と1時間うなずきつづける係をしてぐったりしたばかりだ。横田さんは、来月の現場のための研修に来たとき、「スーパー裏の寒さに耐えられないから別の仕事に移れないか」と訴えてきた。確かに彼女は首の筋が青々と浮き出るくらいに細身だから、コンクリートからしみ出る冷気のなかで菜箸を取り、冷凍食品を切り分け小分け容器に移す作業がこたえるのかもしれない。難しい年頃の娘との関係に悩み、更年期障害もあると言っていた。それに、先月の現場では魚加工場の社員にセクハラまがいの言動を受けた、ともやんわり含めた言い方で伝えてきたから、そっちが真の理由なのかもしれない。僕は男だから、女の人たちが日々晒されているらしい下心とか好奇の目の不快さはわからない。だからそこに物申す権利はないと思って、彼女たちの言い分を受け止めるようにしている。相手の言ったことが事実かどうかなんて疑わず、『そう思った』という事実だけに寄り添って話を聞くだけで、ずいぶんホッとした顔で帰っていく姿を見られるものだ。疲れるけど。結局横田さんも、50代女性ができる派遣業務のリストをお渡しする前に、夕食を作る時間だから、と帰って行った。

人口30万人台の地方都市の地下鉄の終点から二駅目、UR住宅の2階に暮らして、もう何年になるだろう。正社員になってすぐに母親と一緒に越したこの東向きの部屋に、今は一人で住んでいる。階段をはさんで向いに住む家族の長男が小学生だったのが、今年社会人にまでなった。会社から乗り換えを含めて50分。スラックスをはき、水をつけた髪にくしを通し、髭を注意深くそり、襟と袖にアイロンをかけたシャツに袖をとおす。日々をふちどる儀式を毎朝とどこおりなくできると安心する。今週のヤングマガジンと、合わせて買う一本の発泡酒とさけるチーズ、それに数種類のソシャゲ。僕の人生の楽しみだ。人生が続く限りこの6畳の居間と寝室があり続けてくれたら、上出来だと満足できる自信がある。ここだけは誰も侵入してこない、もぎとろうとはしてこない。自分が欲して作り上げた、安心安全な世界。

好きを仕事にし、心から喜びを感じて打ち込んでいる人を見ると、僕は嬉しい気持ちになる。キラキラした目で将来に希望を見出し、想像の中で描いた世界を現実に創りだしていこうと日々切磋琢磨を重ねる人たちは、きれいだ。この世には、そういうタイプの人が絶対に必要だと思う。そういう人がいなかったら僕の人生ですらじわじわ便利になり続けることはないし、さけチーもヤンマガもソシャゲも存在しないだろう。本当に、ありがたい。

好きなことを仕事にできたら、それは素晴らしいことだ。苦しいこともあるだろうけれど、でも好きを原動力にさらなる高みを目指していける。僕はなるべく多くの人がそういう人生を歩めるような世界が叶ったら、それ以上のことはないと思う。そういう人に、「好きを仕事に」と叫ぶ声が届いて、彼らを奮い立たせるエネルギーになったらいい。

そして、好きなことは仕事にしないが、苦にならないことで生きる金を確保し、小さな消費行動から充足を得て、それに『幸せ』というラベルを貼っている人間のことを、どうかそっと放っておいて欲しい。言葉に出さなくていいから、「そういう人も存在していい」と肯定して欲しい。