ポンコツがなんとか「海外大学院修士卒」になるまで(1)

 

生きづらいなとおもいつつ、定まらないままフラフラとしてアラサーになってしまったわたしですが、学歴だけみたらバリキャリエリートっぽく見えます。「海外大学院修士卒」だから。ほんとにボロボロになりながら合格点スレスレで卒業したので、あまり胸を張って言えません。

今のようなマイペース翻訳業生活に至るまでには色々な経緯があるのですが、今日はそれは置いておいて、大学院留学を決めるまでの道のりと留学中の生活、迷いと葛藤と劣等感について書きます。

「どうやって受かったか」「なんの勉強をしたか」などのテクニカルな話は、今は書く予定がありません。それ専門に詳しく書いているブログがすでにたくさんあるので、そちらに譲りたいと思います。わたしは自分の紆余曲折を、端枝も落とさずに叙述していき、「こんな人でもなんとかやってるので大丈夫」と、迷える背中の後押しをできたら嬉しいです。

「イギリス」で「人類学」だった理由

大学を卒業してからの20代で貯めたお金を全て注ぎ込んで、留学に行ったのは2年前です。

いつも、「なんで、みんな当たり前にいろんなことに慣れていくんだろう?わたしにはできないのに」という疑問を持って生きていたところから、「外国に住んでみたい」「いろんな旅の中で出会った途上国の人の困りごとを解決したい」という欲求が合わさって、2017年後半から1年間、イギリスの大学院に通っていました。本当に視野が広がる出会いをし、葛藤もした濃い1年でした。

学んだのは、社会人類学。これは、自分とは文化や言語を異にするコミュニティに研究者自ら飛び込んで、自分の身を通じ、人と関わりインタビューをし儀式に参加して、主に純粋な経済的合理性以外のところの人々のいとなみを解きほぐしていくような学問です。文化人類学という言い方の方がなじみがあるかもしれません。イギリスではSocial Anthropology (社会人類学)と呼び、米国ではCultural Anthropology(文化人類学)と呼びがちです。この2つの国では、植民地の統治・ネイティブアメリカンの統治のための知見が必要という理由で人類学が発展し、現在のように「当たり前を問い直す」学問になっても、質の高い研究・教育が行われています。

もともと文化人類学は、欧米の人類学者が遠い外国の奥地を訪れて、文化を観察し記述するところから始まりました。欧米の人類学者たちが驚いたのは、「未開」だと思っていた地域にも独自の社会システムがあり、欧米とはまったく異なる方法で、実にうまく機能している、ということでした。そのなかで、いろいろな地域の人たちがそれぞれどのような心性をもつか、子どもたちはどのように育てられるか、などの比較研究がなされていきます。

人類学者たちは次第に、自分たちの文化に対しても目を向けるようになります。外国の文化を観察するのと同じ目線で、自分たちの文化を見つめ直すようになったのです。そうすることで、今まで当たり前すぎて意識もしなかった自分たちの風習や日常的な行為が、実は当たり前のことではなかった、と気づくようになります。

現在、文化人類学は、世界中のあらゆる現象を研究対象にしています。私たちが普段なにげなく通り過ぎている学校や公園、ショッピングモールでさえ、面白い研究ネタがたくさん転がっており、実際にそのような場所で現地調査をしている人たちもいます。日常の「当たり前」を一歩引いたところから眺める目を養ってくれる学問、それが文化人類学です。

「当たり前」を問い直す、文化人類学とは?

自分で声を上げづらい人にアウトリーチして、その言葉を外界に届けるような仕事がしたかったので、そのような将来的なキャリアで役立つと思ったのがまず1つ。それからわたしの学部時代の専攻は、言語学・社会学・カルチュラルスタディーいろんな専門を少しずつかじる形で終わったので、何か一貫した視点・切り口がほしかった、というのもあります。

イギリスにしたのは、好みの内容のプログラムを見つけたことと、1年で終わるプログラムの方が金銭的によかったのが理由です。イギリスの文系修士は、順当にいけば1年で終わるようなプログラムになっています。きっと人類学としてしっかりとフィールドワークをして修士論文を書くには足りないだろう、と思ってはいましたが、学術分野でこのまま身を立てたいのかもよくわからなかったし、今の自分にはちょうどいいかな、と思った結果の判断でした。

授業と、同級生たち

わたしの入ったコースは、講義形式授業が主なプログラムでM.Aという学位をとるためのものでした。もしイギリスでこのまま博士課程にごりごりと進みたかったらM.Philという論文執筆をメインとしたプログラムにも行かねばなりません。でもM.Aでも十分実務家としては通用しています。

人類学といっても音楽・宗教儀礼・市場・農業・経済・医療などなど…様々なテーマによって細かく専門が分かれますが、「移り変わる社会」を研究するプログラムだったので、経済一辺倒な開発と先住民族の戦略、環境問題と国家の政治的ふるまい、ジェンダー論から見た科学技術の変遷、移住先社会での移民アイデンティティ、記憶と語りが見つめるコミュニティなど、多彩な角度から世界を見ることを学びました。

基本的にあらかじめ人類学の素養をもった人をメインターゲットとしているので、講師陣は授業のプレゼンで基礎理論について触れながらも、それはおさらいのようなもの。半年のレクチャーを通じて、わたしたちは理論を引いた最近の論文をひたすら予習として読み授業で発表・議論をする、の繰り返しでした。

わたしは、端的に言ってイギリス渡航以前にしておくべき予習が足りなかった。これは本当に反省すべき点です。3・4年間かけて学部で人類学を学んできた人と机をならべるのです。独自に「〜の人類学」とタイトルに入っている本を読み流し、急いで主要理論をまとめた入門書3冊をとってつけただけで足りるわけありません。学部でも人類学専攻だった同級生は、理論の原典なんかにも当たってきているわけです。大学院はそれを当たり前のようにふまえて議論を展開するところ。わたしに圧倒的に欠けていたのはその部分でした。学部時代と専攻を変えるのなら、知識体系のかたちを把握する勉強を十分にしてから大学院に進みましょう…。これ、多分当たり前なんでしょうね。知らなかったよ。

同級生は、イギリス人が四人、EU圏から五人、アメリカから二人、パキスタンから一人、ラテンアメリカから四人、そして日本から三人でした。イギリス人が少ないのにびっくり。EUの五人は全員女性で、欧州の西側(あるいは先進国部分)。日本人は、わたし以外日本の学部を卒業してすぐに海外進学してきた人たち。同級生に、アフリカや中東、東南アジア系は皆無でした。もっと実務的なビジネス分野、公共政策分野などには中国人やインド人もたくさんいましたが、イギリスまで来て人類学を学ぶ人には出会えませんでした

同級生は、みんな感性がするどくて、心が優しい人たち。アクティビスト気質で人権NGO出身の人が多かったし、教育分野や国際協力分野、文化・アートの組織で働いた背景を持つ人もいました。でもうがった見方をしたら、しょせん人類学なんてやるのは、時間と金銭に困っていなくて高尚な思考をつむぐ素地がある人たち、という雰囲気。わたしは人類学の考え方は、動的な時勢を冷静に見据えて乗りこなしていくのに、そして「社会」の網の目からこぼれ落ちシステムに翻弄される人も含めての「世界」を良くしていくのに、とても必要だと思っています。でも人類学の知識を持っていたって直接お金につながらないですからね…。そのスコープで得られた知見を使って何をするか、その人次第です。

ちなみに日本人同級生はというと、卒業後は二人とも日本でコンサルティング会社に就職しました。人類学で学んだ批判的思考から生まれる理想と、それが効かない現実の政治的ふるまいの狭間でもがきながら、なんとか気持ちに整合性をつけてキャリアを歩んでいるようです。

つづく。