川底の祖母と恋

 

3ヶ月ぶりに祖母に葉書を書いた。

−おばあちゃんへ
元気にしていますか。ついつい、ご無沙汰してしまいました。もう令和も3年目です。あたたかい陽光も時折姿を見せ、心を溶かしてくれる季節ですね。先日、散歩中にメジロを見かけました…

わたしは、2月だからと、下手ながらに梅の花枝の水彩画を添える。自分の字や絵も祖母のように上手になりますように、とゆっくり筆を動かす。

この祖母は、母の母だ。母は祖母の忍耐づよく負けず嫌いな性格を受け継ぎ、女性に風当たりがまだまだ強かった時代に親戚一同の中で初めて大学まで行った。わたしにもその反骨精神は色濃く反映されている、とよかったのだけれど、そうではなかったみたいだ。豊穣な時代に頑強な家庭で育ち、すでに踏み固められた安全地帯を気づいたら歩いていて、それで満足するようなのんびりした人間になった。「あんた、いい時代に生まれたしな、優しい子に育つんやで」という祖母の言葉の通りには、なったと思う。

祖母は書を60代から始め、85歳を過ぎるまで続けていた人だった。かなり技巧に長けていたと思うのだけど、展示をしないの、と聞いても「うちは、いいわぁ。そんな、たいしたことないねん」という答えばかりだった。必要以上に身の丈を弁えてしまっている祖母の姿を、わたしは子供らしい不服げな感情とともに記憶している。

祖母は今、わたしの地元の介護施設に入っている。祖母が生まれ育った明石を離れ、私の地元であり私の両親が今でも住んでいる奈良の山あいに移ったのは87歳の頃だから、3年前になる。戦前戦後の動乱に翻弄されながらも気丈な人で、80歳で「うち、いまが人生で一番たのしいわあ」と言っていたくらいだ。それからしばらくしてからの旅行中、階段を登っていた時に足首をねじって転倒し、みるみる気弱になって自ら施設への入居を決めた。

前回祖母に会ったのはいつだろうか。感染症が、見通しの見えない不安で列島を覆ってから、すでに1年ほどが経ってしまった。祖母の住む施設は他の養老施設と同様に、面会は禁止になり差し入れのみ受け入れるシステムに変わった。

祖母は、面会がなくなってから、私の両親に毎日電話をかけてくるようになったそうだ。それがそのうち、1日に2度・3度と増えたが本人は「え、うちさっき電話かけたかぁ?」と間延びした声でいう。話の内容も、「明日うちの伯父さんのお葬式やったやんねえ、お香典どうしたらええ?一緒に出しといてくれる?」と何十年も前の世界に跳躍するようになった。

わたしの母は真面目なたちだから「おかあちゃん、さっきもゆうたやん!それは違うって!おかあちゃんの思い込みやねん、なんべん言わせんの。」と、まっすぐ受け取った言葉のボールをまっすぐ返してしまう。それを聞いた祖母が、「そうかあ、ごめんなあ。うち、もうあかんな。」としょんぼりしているのが聞こえた。

それから15分後、また同じ事柄をたずねる電話がかかってきた時、母は崩れ落ちた。あれだけ圧倒的なそんざいだった自分の母親の、できないことが増えていく、話すら通じなくなっていく。信じたくなくて真っ向から踏ん張っていた心が折れた瞬間だった。静かに、しかし次々と涙がほほを伝っている。母はそのまま無言で洗面所に引っ込んだ。

母が手を離したから、固定電話の受話器はそのままブラブラと揺れていた。それをかわりに手に取って、わたしは「それよりおばあちゃん、久しぶりだけど元気?」とほがらかに応答した。

それが、去年の夏のことだ。

「うち、”えあろび” ゆうのんのクラスで、一人だけずっと年上やねん」と笑っていた祖母。書道教室の先生を手伝うために「あんたんとこと、同じやつ買うわ」とパソコンを買い、エクセルまで覚えようとしていた祖母。もういないのか、必要以上に謙虚で心配性なのは変わっていないんだな。

先日、母の誕生日に両親と話した。

「おばあちゃんね、あれからまた、だいぶんと進んでるわ。施設の若い介護士さんのことを、誰かと間違っているみたいで、親しげに “たかあきさん” 、って呼ぶねんて。誰なんやろね…。おばあちゃんから、そんな話聞いたこと一度もないからね。」

そう母は言った。

祖母は、二人の子供を育て上げたあと、放埒の限りを尽くしていた祖父と離縁し、市営アパートで一人暮らしを始めた。自分の行いを後悔をしつつも、酒をやめられずに一人で死んでいった祖父の名前は、ひろつぐ、だ。名前が4文字であることしか合致していない。

誰なんだろうか、たかあきさん。おばあちゃんがまだ明石の娘だった頃の知り合いかな。もしくは、働き詰めだった戦後だろうか。どういう関係なんだろう、やっぱり好きだったとか、そういうことだよね。

親の恋のことなど考えると、恥ずかしくてかゆいものだが、祖母ともなると恋をする存在だと思い至ることすら難しく、なかなかその事実が染み込んでこないわけで、ゆえに感情もむやみに湧いてこない。

祖母は施設に転居する前に黙ってひとりで市営アパートの自室を片付け、写真アルバムなどもきれいさっぱり捨ててしまっていた。直接会って聞いてみたらわかるのかもしれないけれど、わたしとて未来は茫漠としている。

「まあ、かわいいおばあさんになったよ、あの人も。昔の暮らしに対する愚痴がグンと減った。介護士さんたちにも愛想よく礼儀正しいらしいから、もうそれだけでいいわ。」

わたしが口元をムズムズさせたまま黙っていると、母が続けた。

母も、あれからずいぶんと姿勢を変え、思うように分かり合えないということを、柔らかく受け入れるようになった。母の本の並びをみても、認知症ケアやコミュニケーションについて読み込んで、ことばで理解するように努めていたみたいだ。強情な時もあるけどやっぱり努力ができる人だから、いくつになっても自分を変化させることができる。自分の親だからと贔屓目に見ているとはいえ、それはすごいことだと思う。

今、祖母の心と意識はどこに在るんだろうか。

時はさらさらと、小川のように流れていて、でも祖母はもうその流れに乗って一緒に進んではくれない。ある一点に沈んでいて、透明な水底で微笑んでいるようだ。「こっち」と私たちが手を引っ張ろうとして水をかき分けても、祖母の姿は光にとけて消えてしまうように手応えがない。

「あんたらに世話かけたらいかんから」と毎日エクササイズをしていた身体は悪くなっていないのに、あの時傷めてしまった足首だって完治したのに。

「おぉ、寒。」首をすくめつつも、すがすがしい冬の空気を大きく吸い込んで、わたしは2つ先の曲がりかどにある郵便局まで歩く。

葉書なんか送っても、漢字読めなくなっているかもしれない。わたしのこと、もう憶えていないかもしれない。そんな不安を見ないふりをしながら、郵便ポストに葉書を押し込んだ。

葉書の返事は期待しない。それを読んでくれたことで、祖母の脳がいい刺激を受けて認知症の進行が一歩でも遅くなったら、とも願わない。ただ、わたしが祖母に話しかけたくて、書くのだ。

郵便局の軒先では梅のつぼみがふくよかな姿をしており、名残惜しそうな夕焼けに照らされていた。

祖母がどこにいるのかは、祖母だけが知っている。そう、知っているのだ。

誰だか知らないけど、”たかあきさん” と再会して愚痴も出なくなったんなら、そのままがいい。ちゃんと記憶の中の幸せな場所を探し当ててるの、ちゃっかりしてる。

手指の間からさらさらとこぼれてゆく水の中、穏やかにゆらぎ溶けていく景色。わたしのいる場所からは見えない世界。でもその中で祖母が笑っているのなら、それは決して恐るべき老後ではないのかもしれない。