随筆イギリス記(1): 所在地、多様性、食習慣

 

2017-2018年のイギリス留学中、日本の友人向けに書いていたfacebookの投稿をまとめなおしてみました。今以上に斜に構えていて、文章も硬くて、ちょっと微笑ましいです。カテゴリが「放浪旅記」でいいのか分かりませんが(多分ちがう)、海外経験ということで一緒にまとめてあります。

大学院に行った経緯はこちら:

ポンコツがなんとか「海外大学院修士卒」になるまで(1)

2021年2月22日

すでに秋模様

イギリスに来てもう、ひと月ほど。もう10月も半ばで、秋が深い。緑の芝生には、オレンジの広葉が敷き詰められ、そこを白いカモメが闊歩している。

私が今滞在している場所は、海沿いの、ブライトンという学生や若者に居心地の良い中規模の街の周辺だ。キャンプでヒップな街とはこういうところをいうのだろう。躍動感に溢れ、若々しい。

一旦市内に出ると、カフェやアートクラフトの個人経営店が立ち並ぶ。ヴィーガン・ベジタリアン食はどこにでもある。確かイギリスはインドの次にヴィーガン率が一番高かったと思う。環境や多様性を大事にするこの街では、特にその傾向が強い。街の中心の教会前の芝生では、ビンテージっぽい服を来て、髪を青や緑に染めた痩せ型の白人カップルがコーヒーを飲んでくつろいでいる、それがブライトンの風景だ。

海辺は大変綺麗で、大分と寒くなってきてからも少しでも日が差してくれば、屋外のそこここで座って話し込んでいる人々を目にする。物価がロンドンほど高くないがロンドンには出やすく、大きなLGBTQコミュニティに代表される寛容性(性に関しては)があるブライトン。学生やアーティスト、そしてスローライフを重視する人には本当に住み良い街だと思う。

「多様」なイギリス

ブライトンでLGBTQのイギリス人を目にする機会はとても多いが、人種という多様性ではロンドンの方がずっと豊かであるように見える。ただそうはいっても、多文化を堪能することは日本より簡単だ。

最初に町を見回したときに、私が期待していたほどインド移民はいなかった。(イギリスに何を求めているんだろう…)ロンドンに大規模なインド人街があるのでそこに集まっているのだろうか。ブライトンには技能移民をこぞって雇用するような産業はなさそうでもある。それで、トルコ系・レバノン系のレストランや食料店が点在しているところに、旅の原風景を求めて入り浸っている。トルコも、旅中にとても楽しい経験ばかりだったから、その思い出をひっぱりだすポータルになるのが、食料品店のヨーグルトや、スパイスなのだ。

さて今週の休み、インドの「ディワリ」という全国的なお祭りに関連したイベントと、「アフリカ人・アフリカ系移民の歴史月間」イベントがブライトン市美術館で行われていたので、メキシコ人同級生と行ってきた。引っ込み思案だけれどもとても優しい、夢みがちな女の子と知り合えて嬉しい。インド系イギリス人だろう人が10名ほどでイベントを運営しており、カシューナッツでできた小さくてとても甘いお菓子をいただき、ヘナタトゥーを手の甲に描いてもらった。

ついでに常設展のイギリス・欧州美術作品も見て、日本に持ってこられている作品以外の側面の広がりを感じた。ブライトン市美術館には、土地柄LGBTQの展示もあった。そういえば、日本でそういう展示を全く見たことがない。性のことに関すると、なかなかパブリックな場で議論が進まない国だっていうのも関係していそう。

ところで、お昼ご飯にはタイ風レストランに入り、スープにうどんと餃子が入ったものを食べたので、非常に多文化な1日となった。さすがイギリス、民族大集合。

ヴィーガン食について思うところ

ベジタリアンやビーガン食は、大学の食堂でも完全対応されている。これにはとても驚いた。ブライトンという土地に引きつけられる人の毛色なのだろうか、それともイギリス全土で徹底されている配慮なのだろうか。そういえば、私のいる大学院のコースも「ガツガツしてない、共感力高め」な種類の人間の集まりで、環境は動物福祉に配慮しビーガンやベジタリアン率が異常に高い。(マック/Apple製品保有率も高い。)なんでも食べる東アジア人としては、肩身が狭く感じてしまう。

もちろん、これがイギリススタンダードと思ってはいけない。大学院学位保持者のイギリス人なんてイギリス人口の1.3%だ。 だからこそ、どこかで一度、イギリスの中央値の生活を見に行かねば…と自分に言い聞かせている。時間が取れたらいいけれど。

 

ついでに言うと、私はビーガンというのは、先進国のそれなりの所得と教養のある層の贅沢な習慣だと思っている。もちろん、地球環境のためにはいいことだ。私も80%菜食を心がけてはいる。これは。菜食「主義」ではないので、ベジタリアンとは名乗らない。お誘いがあったらなんでも目の前にあるものを美味しくいただくことのほうが大事だと思う。わたしの野菜偏重は、嗜好と所得の問題だ。私には確固としたイデオロギーを守り通すより、柔軟に目の前の人との関係性を優先するほうが性に合っている。

ちなみに、こんなに中国人留学生が多いにもかかわらず中華はない。大学カフェテリアなのにもかかわらずベジ食完備ということは、それを「学生が声をあげて求めた」ということだろう。宗教の関係などで生まれついた習慣でないものを自分の意志で選択し、自分を律することができる人は、「声の大きい人」でもあるようだ。