突然拒絶されて傷つく前に、「相手にどんな事情があったんだろうか」と考える

 

この記事では、人間関係で問題があったときにひとまず自責をせずに「相手にどんな事情があったんだろうか」と考える大事さについて書いています。

友達や好きな人に突然拒絶され、自分を責める人へ

自分が仲良くしてきた友達や、思いを寄せていた同級生が突然喋ってくれなくなったら、誰でも傷つくに決まっている。

それまで自分に優しく接してくれていた自分の好きな子が、急にてのひらを返したような対応をしてきた…もう目も合わせてくれない。こんな出来事に遭ったら、思春期じゃなかったとしてもトラウマ級の心の傷を負ってしまうかもしれない。

ここ数年わたしは、そういうネガティブな記憶を書き換える作業をずっとしてきた。そのプロセスの中で一番効果を感じたのは、人に拒絶された記憶が蘇ったら「あの時相手にはどういう事情があったんだろう」と考えることだった。

私も、ご多分にもれず友達だと思っていた人に拒絶されたりして悲しい思いをしてきた。さらには、拒絶する側であったことも何度もある。それは自分も望んでいないことだったけれど、当時は自分ではどうしようもなかった。

だからこそ「自分の問題ではなくて相手の問題」だと考えてみる効果や、むしろ拒絶をしてきた側の視点から事例を紹介することで、思い詰めているところから客観的な冷静を持った見方に移行し、楽になる人がいたらいいなと思う。

他人の立場に思いを巡らせることは、自分の心を守ることでもある

想像力を豊かに持って他人の立場や行動の理由を推測したところで、それが事実とは限らない。でもむやみやたらに自分自身を責めてしまうことを防ぐことはできる。

今でも子供の時に大人に理不尽に怒られた恐怖心を覚えているし、大人になってからも街中で後からやってきた自転車に急に舌打ちをされたりする。このような経験をした人は私だけではないと思う。

それらは、自分の問題ではなくて相手の心の問題だと考えるほうがいい。突然ネガティブな感情をぶつけてくるような人は、本人に余裕がないのだ。わたしはそれを理解してから「ああ、可哀想に…こんなことで自分の制御ができないなんて。あの人に幸あれ…」と薄目を開けた無表情で祈れるようになった。

もちろん一方的に相手の問題だけではなく、相手がずっと自分に不満を感じていたものがいきなり決壊したのかもしれない。その場合だったら、なぜその人はそこまで我慢せざるを得なかったのかを考えてみる。

自分自身の身に当てはめてみた場合は全く平気な事でも、感受性であるとかそれまでの人生背景だとか倫理感だとかいろいろなことですれ違いが起き、暗黙のうちに不満は溜まりがちだ。もちろん最終的には本人に聞いてしまわないと、何が根本的な問題だったのかはわからない。年功序列や立場の問題や友達関係の煩雑さが原因で、率直な気持ちを聞き出すと言うのは案外難しい。

だとしても、様々な仮説を立てて「突然の意味不明な理不尽に見えることにも理由があった」と自分の心を納得させる事は自分の感情の揺らぎをコントロールするために意義があると思う。

「本当に自分の問題なんだろうか」といったん考えてみる事は、日常の些細な事で感情を翻弄されがちな人にとっても心を守るのに有効だ。とにかく共感性が高かったり自分と相手の境界線が薄くて、他人の行動や言葉を心に引き入れて落ち込んでしまいがちな人というのは一定数いる。HSPということばが話題になったりしたので知っている人も多いと思う。思考エネルギーと体力を使う技術だけど、高性能のアンテナがキャッチする刺激を全て把握しようと努めるのではなくて、自分が本当に考えるべきことを取捨選択できるようになっておくと、とても楽になるのではないだろうか。

例えばどんな事情があるんだろうか

じゃあ例えば友達にいきなり拒絶されて訳がわからないときに、相手側にどんな理由があるか考えてみる。どんな影響があったのか、どうして徐々に反応を見せなかったのか、見せられなかったのか。考えられる要素は多い。

ずっと我慢してきたことに耐えられなくなった

人が態度を硬化されたとき、突然変貌したように見えても実は裏でずっと我慢してきたということがかなり多いように見える。例えば性格や癖をからかった時に相手も笑っていたから大丈夫だと思っていたら、ただ場の空気のために耐えていたというような。

わたしはあまりにも悩みや愚痴を垂れ流しすぎたり、プライベートを細微にわたって把握しようとしたりすることをパーソナルスペースの侵害だと感じるので、そういうことをする人を突発的に切ってきた。自分でも我慢をしていることをあまり知覚できていなかったので、急に嫌悪感が湧いてくるのだ。自分の感情に戸惑いながらも、でも嫌なものは嫌なので背を向けてしまう。今はもうできるようになったけれど、冷静に穏やかに「それを言われるのはイヤだよ」「その言い方は不快だな」と言うのは、たしかに難しい。関係性を断つ方が自発的な行動を伴わないし、つい選んでしまう人もいるだろう。

関係性に諦めをつけて去ってしまうほどに相手が苦しかったと判明したなら、それは素直に反省すべきこと。できたら、誠実に謝る機会があればいい。自分が楽になりたいからする謝罪ではなく、自分のしたことを背負っていく謝罪を。間接的にでも何でもいいと思う。そのことばは、相手が受け取るかは別として、届きはするはず。傷を負った相手との関係性は今まで通りにはならないかもしれないけれど、お互いに続いていく人生の中で、禍根ではなく糧になる。

自己肯定感が低い、人を信じられないから相手の好意が受け入れられない

何故かよくわからないけど今まで好意を持って接してきた相手のことが突然気持ち悪くなって対応できなくなる現象は、思春期を中心によく起こるらしい。Yahoo!知恵袋にはこれに関連した質問がたくさんあって、自分だけじゃないのだと気づいた。

恋愛の状況ではこれは一般的に”蛙化現象”と言われている現象で説明できる。(オフィシャルな心理学用語ではないみたいだ。)自己肯定感が低くて自分のことをとるに足らない存在だと思っており、そんな自分に好意を持つ人が気持ち悪いと思ってしまうことだ。本人もどうしてか分からないうちに反射的に拒否してしまって罪悪感を持ったりする。

または過去のトラウマが嫌悪感を誘発していたり、自分に心地よい距離感を逸脱したことで戸惑った、などが考えられる。これは友達関係でも同じだとわたしは思っている。一度とても大事な人を失ったら、どうせこいつもいなくなる違いない…いなくなる前に去ろう、と思ってしまう人の気持ちはわかる。

第三者の噂や目があるから気に病んでいる

噂や嘲笑・好奇の目をどうしても無視できずに気に病んでしまう人はいる。普段からビクビク周りの目をうかがって生きていると言う意味で、これも自己肯定感の低さが原因かもしれない。

わたしは堂々とオタクをできなかった文芸少女で、いわゆるオタク階層と仲良くしたらそのほかの人から見下げられる…ということを恐れた振る舞いをしていた。今では後悔しかない。本当は自分が好きな漫画の話などをしたいのに、見た目やふるまいで劣ったラベルを勝手に貼られた強靭な頭の持ち主に対して、堂々と楽しげにコミュニケーションを取れなかった。

第三者の策略にはめられている

悪意を持つ第三者が、自分が大切に思う相手の裏で策略をめぐらせ、ありもしない話を裏で回しているかもしれない。

大人になってからもそんなことはあるのだろうか、自分の立場を守るために意固地になって他人を貶めようと画策する人の煽りを受けるなんてことが。わたしには見えていない世界だけれど、たしかに存在しているんだろうな。

中学生の時にわたしが伝え聞いたところでは、Bという素直そうな女子が、取り巻きをつれたクラスカースト上位女子に「Bちゃんさ、A子がC太のこと好きなの知ってる? C太と気軽に慣れ慣れしくするのやめて」と言われていた。まさか、と思うが、そういう漫画みたいなこともある。

不安障害やその他の精神的な不調を抱えている

あなたに対するきつい態度や急な怒りや無視は、もしかしたら病状だったかもしれない。そうでなくても日頃のストレスが積み重なってアンガーマネジメントがうまくできていない時がある。アンガーマネジメントの考え方では、人が些細なきっかけでキレる原因と言うのは、可視化されていない日頃のストレスだ。感情が決壊するきっかけになった出来事以外のストレスが見えない間に溜まっていて、本人も自覚できていない時が多い。そんな心理的理由があったのかもしれない。

まとめ

いろいろな場合があるから、ここで書いてみたのは一例にすぎない。ただ物事の見方として多角的に仮説を立ててみると解決の糸口になるのかもしれないし、むやみな自責を避けられることを覚えておくと役に立つ。人間関係に悩んだ時は、目の前の状況に当てはめて相手の事情を想起してみてください。

もちろん本人に聞いてみないことには、実際どうだったのか明確にはならない。さらにはその先に分かり合える未来が待っているかもわからない。いったん壊れたものを集めてくっつけても、元どおりにならないことが多いから。

でも自分の心を癒し先に進むために、想像を巡らせ理由を推測して相手と自分を「赦す」試みをするのは、悪くないんじゃないだろうか。