わたしの旅はカウチサーフィンと共にあった(1)

 

これまでに世界のいろいろな場所に少しずつ降り立ったことがある。

たいていは一人で出立するのだけれど、一人で心ゆくまで時間を過ごしたあとはちょっと人恋しくなって、そして現地で誰かとふわふわした時間を過ごしていた。

その時によく使っていたのがカウチサーフィンという旅人と旅先の人をつなげるウェブサイトだった。

カウチサーフィンとは

わたしは訪れたばかりの旅先で、カウチサーフィンと同じくらいの精度をもって素敵な友達を作る方法を他に知らない。

インド人3世代家族の家に泊めてもらってビジネスを見せてもらったりご飯を一緒につくったり、カウチサーフィンで誘いを受けてロシア人とラオスをヒッチハイクしたり、東アフリカの旅行業経営者の女性と中古トヨタ車の説明書を読み解いたり、イランの砂漠でカウチサーファーの集いに参加したり…。それらの経験は、全てこのサイトがあったから得られたものだ。

カウチサーフィン、つまりCouch(寝転がれるようなソファ・長イス)+Surfing(サーフィン)という名前が表すように、「お金をとるようなおもてなしは期待されないけれど、気軽に旅人と現地人が出会い、新しい友達を作ったり文化交流をする」というコンセプトのサービス。無料で相手を泊めてあげるのが原則だ。

主要な機能としては、

  • 宿泊ホストとゲストのマッチング
  • 旅人、現地人、現地に住む外国人のミートアップ
  • 場所ごとの、旅自体の情報交換

いうなれば無料のAirbnbMeetupと旅の相談や旅仲間を募る掲示板がくっついたようなサイトだ。

わたしは旅を始めるというときに、中学時代にネットで知り合い8年間文通をしていたドイツ人の女の子に教えてもらった。カウチサーフィン(以降、CS)はその頃まだNPOで、広告も掲載していないのに無料で利用できて、”Thank you CouchSurfing!”という文言つきで世界中の旅人から送られてくる絵葉書をオフィスに飾っている様子をブログにアップしているような団体だった。

基本スタンスが、やってくる旅人にカウチに泊まるくらいの肩肘張らない宿を貸すというものだから、経済資本<社会資本の出会いを求める価値観の人が集まっていた。もちろんお金や性やコネを求めている人も少なくなかった。でもプロフィールをしっかり作って、そういう下心に対処できると本当に良い友人ができる。(これをやったことで、リスク回避の嗅覚が磨かれた気がする…)きちんとフィルタリングをした先には、きらめく信頼経済が存在していた。

普通旅している時の出会いとは、宿のスタッフ・タクシーの運転手、レストランの店員など、自分の利用するサービスに携わっている範囲にすぎないか、同じ宿にとまる外国人同士だったりする。そうではなくて、観光地を旅するだけでは出会えないような「そこで暮らす人々の生活」の範疇にスルッと入り込む。ガイドブックの考古学的名所やお土産どころよりも、今そこで生きている人の生活と思考に興味があるわたしには最適なツールだった。

もちろんとても明るくてコミュニケーション力が高い旅人なら道上の誰とでもすぐ仲良くなれるのかもしれない。でも日常でない異空間の希薄な人のつながりから、人のつながりを短期間で構築していくことはわたしには難しい。「いきなり人の家に泊まる」という行為は、たしかに日常の逸脱だから抵抗感のある人も多いと思う。でもそれがプラットフォーム上でプロフィールを読み合いメッセージを送り合った先で叶った場合、必然的に一緒に過ごす時間も自己開示の量も増え、人の距離をすさまじい勢いで縮める。

また CSで出会う登録者たちは英語を始め多言語を話す意欲があって、旅が好きで、異文化を探索することが好きな人が多い。蓄積されている相互レビューやプロフィールを読んでフィルタリングすると、自分に合う人に出会える確率が高い。それは初対面でも初対面である気がしないくらいで、自分の地元ですごく気の合う人を見つけるより簡単じゃないかと思う。

このサイトが有ったからこそ、わたしはいろいろな繋がりや経験や知識を得た。それらは今でも自分という人間を形成するのに大きく影響しているくらいだ。

わたしのカウチサーフィン体験ダイジェスト

今まで50か国くらいをふらふらとした中で、ゲストとしてカウチサーフィンを使った国はどこだったかと考えてみた。すぐ思い出されるのは、アメリカ、イラン、ブルガリア、インド、タイ、ラオス、ケニア、ウガンダ、南アフリカ、台湾、韓国、オランダあたりだ。これらの国で、”カウチ・リクエスト” 機能を使ってホストを探し、家に泊めてもらった。

ヨーロッパの国が少ないのは、そもそも需要が高いのでリクエスト許可率が高くなかったり、ドイツやスペインにはすでに友人がいたのでそこに厄介になった、もしくは一度自分が日本で泊めてあげたCSer( “カウチサーファー” を、こう略す)の家に泊めてもらったからだ。

ブルガリアでは観光客が全く立ち寄らないダム湖で釣りをした。南アフリカのホストは牧師で、自宅開催の日曜ミサで絵エレキギターを引いていて驚愕した。ウガンダでは孤児院に泊めてもらって子供達と写真を取り絵を描き経営者の話を聞き、帰ってきてから数年寄付もしていた。

道端では絶対親密な関係を培えなかった人たちにたくさん出会うことができたことによって、全ていい旅だったと思っている。こういう体験をまたコツコツ書いていきたい。

CSでホストが人を泊める理由

カウチサーフィンでホストをしている人の動機は様々。

  • 「毎日が単調だから」
  • 「一人暮らしだけど賑やかなほうが好きだ」
  • 「同じ趣味の友達がほしい」
  • 「外国語を勉強したい」
  • 「子供に海外文化を学ばせたい」
  • 「今度行く国のこと知りたい」
  • 「自分が旅して助けられたから今度は自分が助けになりたい」

…そんな感じだろうか。世界の料理をカウチサーファーと作る、数日泊まってもらっている間に一緒に音楽を作る、というようなテーマ縛りの方もいる。途上国には自分が海外に行くことはできないから資金と語学力が少なくても海外文化の体験をする方法として重宝されていた。アフリカでは、お金やチャンスを持ってくる外国人と知り合いたいという気持ちがある人も多かった。

そういうメリットを期待してホストはゲストを泊めているから、旅人ゲスト側は宿泊リクエストを出して自分からアプローチするとき、自分にフィットしそうなホストをキーワード検索なり登録されている使用言語なりのフィルタリングで探す。自分が面白いと思う人だけピックアップして泊めている人も多い。

CSコミュニティで人と出会うということ

わたしが仲良くしている外国人はかなりの数、CSを通じて出会った人たちだ。相手が忙しい人でも、自宅に宿泊するとかなりの時間一緒にいることになる。より素の相手をわかることが出来るから、その状態で気が合うと間違いなく長期の友達になれる。自分が外国で泊めてもらった人が日本に来たらうちに寄っていく、というのも普通になった。昼間それぞれの活動をして夜家に帰ってきたら、ご飯とお酒を一緒に楽しんでゴロゴロする。もうそれは日本で日本人の友人の家に泊まるのと変わらない。

カウチサーフィンから得られる最たるものとして、気の合う生涯の友、あるいは恋人がある。カウチサーフィンを通じて出会った相手と結婚したカップルを3組知っている。インド人とポーランド人、日本人とオーストラリア人、イギリス人と南アフリカ人。また日本人の友人で、CSを使っている友人のところに泊まりに来たドイツ人と恋仲になり、ドイツに引っ越した人もいる。

上にあげた人々はみんな教養ある、しかしどこか反逆的に生きている旅人たちで、このサイトがなかったら世界のどこかにいる自分に本当にフィットする人は見つからなかったのかもしれない。

またCSでは泊めてもらう・泊めてあげる人を探すだけでなく、ご飯食べに行く、あるスポットに一緒に行くだけのためにも使えるし、地域の情報を集めたり一緒に旅する仲間を募集することもできる。わたしにとっては日本国内でカウチサーフィンをするのはなんだか難しくて、国内で旅好きの同国民に出会いたいと思ったら、パーティに対する苦手意識をみないふりしてミートアップに行った。また、わたしは東南アジアとトルコでヒッチハイクをしたことがあるのだけど、CSで声をかけられなかったらそんな体験を自発的にすることはなかったかもしれない。

いまは使っていないけど

カウチサーフィンが営利化してから一時期、タダで泊まりたいだけのにわか利用者がとても増えた。わたしは、ちょうど確固とした視点を手に入れたくて自分の深みに潜ろうとしていた時期だったし、カウチサーフィンを使わなくなってしまった。あれだけ思い入れがあったのに、目線を外してしまえば数年なんてすぐに経ってしまう。CSを通じて仲良くなった人たちとは、別のSNSやメッセージアプリ、時には文通で旧交を温めている。

微々たる金額だけれどサイト利用は有料になった。サイトの中の自分のプロフィールすらもう見られないけれど、今はそこに舞い戻るフェーズではないな、と感じている。いま、あのコミュニティは、サービス自体は、どうなっているのだろう。

そう思って最近カウチサーフィンを使った日本人の体験記事を探してみた。

この2019年に書かれたブログ記事が丁寧でわかりやすく、実際にイランで泊めてもらった話でイメージが湧きやすいと思う。イランでは政府がCSを規制しているはずだけど、うまくVPNを使って今でもホストをしている人がいるようで、なんだか嬉しくなった。

イランでカウチサーフィンを使ってみたら、熱烈なおもてなしを受けて心が温かくなった