わたしの旅はカウチサーフィンと共にあった(3)

 

わたしがさすらうような旅をしていたときによく使っていたウェブサービスが、旅人と現地在住者をつなげるカウチサーフィン(CouchSurfing)でした。このプラットフォームで出会った人たちの家に泊まり、時には自分も泊め、いまだに親密な交友関係を保っています。

わたしの旅はカウチサーフィンと共にあった(1)

2021年3月14日

わたしの旅はカウチサーフィンと共にあった(2)

2021年3月15日

どの人に会うべきかを判断するリテラシー

「初めて会う人の家に泊まるなんて信じられない…!危ない目に合わなかったの?」

カウチサーフィン(CS)の話をすると、だいたいはこんな反応をされる。まぁ予想通りだ。普通予想される家に泊めてもらうくらいの関係性になるためのプロセスが全部すっ飛ばされているのだから。ちなみに、わたしは大丈夫だった。カウチサーフィンというサービスの理念に引き寄せられている異文化愛好者のプロフィールを読み解きメッセージを交わせば、その相手の人となりは案外分かるものだったから。

CSで人と会うときに最も重視するのは、各プロフィールの下部にある「レファレンス」。これは他の旅人からの評価とレビュー文だ。これが男女両方から複数個ついている人と会うようにしていた。ここまで決めておくと、だいたい間違いはない。

プロフィールを埋めていない、誰からもレファレンスがついてないアカウントは使い方を分かっていないか、単にきな臭い目的だけなのでスルーする。もし空っぽのプロフィールから、相手の性格を反映した誠実なメッセージが来ていたら、プロフィールを埋めて写真を載せるようアドバイスをする。その上でお茶でもして、わたしがレビューを書いてCSコミュニティに入る第一歩のお手伝いをする。わたしも、このサイトを紹介してくれた友人が最初のレファレンスを詳細につけてくれたから、そこから伝わったイメージによって様々なひとに受け入れてもらうことができた。

もちろん、よからぬ下心をもってCSのアカウントを作る輩は少なからずいる。だからきちんと相手のプロフィールとレファレンスを読んで、メッセージのやり取りをしてから泊まるかどうか判断しないといけない。ため息がでるけれど、どんなに善良なコミュニティにも何らかのバグを起こす人間というのは絶対いるものだ。

わたしにも、”Can I ask you for some sexual request?” (えっちなお願いしていい?) というような、あからさまなメッセージがくるときが何度もあった。特に保守的な地域で、『外国人だったらいい」と思っている男性は残念ながら少なくない。…良いわけが、なかろう?

もちろんガン無視か、運営への報告が正しい。「おまえの神の逆鱗に触れて地獄へ落ちろ」と罵るエネルギーを使うのすらもったいない。

あるいは違法な旅行業者の仲介をしようと近づいてくるやつもいる。わたしはインドで観光象のオーナーにひっかかってしまった。言われるがままに連れられて象に載せられ、象使いにかなりの量のチップを渡すよう言われた。(あとで巻き上げるのだろうか。)その時は「親切心で連れてきてくれたCSホストの言うことだから…」と払ったが、よく考えたら自分の営業ツールにCSを使っているだけだった。

ある日本人は、レビュー数0のインド人の誘いにホイホイついて行って違法な渡し船?に放り込まれ、奥地へ連れて行かれつつその渡し船上でお腹を壊して上からも下からも(以下略)という危機に追い込まれたと聞いた。一種の旅人の中では、それはそれで刺激的でいいのかもしれない。わたしも男性に生まれていたらやっていたかもな、とちょっと思う。

上記2件の例が偶然両方インドだけれど、決してインドが外国人から金を巻き上げる嘘つきだらけの国だということではない。わたしは予め「インドでは、女性ホストか家族でホストをしているアカウントを探したほうがいいよ」とは聞いていたので、その戦略を使って観光客向けインド商人のアグレッシブさの影に覆い隠されている穏やかで優しいインドを知った。ちなみに男性ホストのお宅にもレファレンスを読んだ上でお邪魔したけれど、みんないい人だった。

CouchSurfingとAirbnb

日本では、CSのホストが、その需要に比べてとても少ない。知らない人を、気軽に泊めることに対する抵抗感は世界随一で高いのではないかと思う。人に来てもらうのは構わないけど、それならしっかりおもてなしをしたいと思っていてもなかなか続かない。

同じように家に泊めるとしても、お金を介する宿泊マッチングサイトAirbnbだと、やっぱり純粋に相手に興味があった上でのコミュニケーションが減る。結局物件にフォーカスが置かれていることが大半だから、どうしても避けられないことだとは思う。

ホストとの交流を望んでいるユーザーはいまどれくらいいるのだろうか。Airbnbもホストとしてもゲストとしても使ったことがある。Airbnbの利用者の中で、泊めてくれる人とのコミュニケーションを求めている人は少ない。2015年〜2017年ごろAirbnbが「シェアリング経済」の代名詞みたいに言われてきた頃は「一人で民家に住んでいるおばあちゃんが、おしゃべりがしたいのでゲストを泊めてご飯を出している。ついでに少しだけお小遣いが入るから家も整えられる。」なんて美談もあったくらい温かい雰囲気だったけれど、最近はもう法的にグレーで隙間が空いていたビジネスだ。もちろんAirbnbがあるから生まれた経済圏やサービスも多いからいいのだけど、初期を知っているだけすこし寂しい。日本のAirbnbでは民泊法的整備こそが、そういう心優しいおばあちゃんを締め出す契機だった。

Airbnb上には、まるまる全部貸し・一部屋貸し・シェアスペースの3種の宿泊カテゴリがあって、それぞれ異なった意図を持った利用者が混在している。「一軒まるまる」を利用したい人はプライベートを重視し、家族で泊まりたい・パーティに貸し切りたい・長期滞在したい、という意図で選ぶ。「個室」の場合はアパートや家がまるまるAirbnb物件の中、その一部屋をホテルやゲストハウスと同じように貸している場合と、自分の住んでいる家の一部屋を貸しているホームステイ形式がある。「シェアスペース」の利用者は、本当に安い場所を探しているか、リビングでも気にしないがタダで知らない人の家に泊まるのは気がひけるか、ホストが見つからなかったCSer(カウチサーファー)かが大半だろう。

わたしはもともとカウチサーフィン出身なので、Airbnbでもホストのプロフィールに惹かれて物件を決めることが多い。もちろん家計のためにしたいから登録しているのだけれど、来てもらうからには楽しんでもらおうと心を砕いている人たちは世界中にいるものだ。スコットランドではデザイナー夫婦の家に、オランダではトルコ人研究者の家を選んで、一緒に食卓をかこんだ。メキシコではグラフィックデザイナーの家で飲んだくれながら彼とその友達の自主制作のアニメの話をし、次の日水道が出なくなった代わりに絵画作品をもらった。

そういう態度でAirbnbを使ってきた結果、複数のAirbnbのホストともいまだに交友があるし、自分が開け放った態度で接すると、金銭授受がある相手でも友達のようになれるのだと分かった。シェアリングエコノミーしかり、ギグエコノミーしかり、金銭授受が関係性を硬直させるというのは、もう今の時代的ではないのだな。

カウチサーフィン経験の功罪

シリーズ記事の最後にこっそりと、CSによって自分の感性がバグった話を書いておきたい。このテーマ一本を戦略的にnoteでバズらせたりしたら認知度があがるのかもしれないが、そういうのは怖い。

カウチサーフィンの経験は総じて、善人にかこまれた世界で生きている実感を得られてとても良かった。ただCS体験が原因で、いっそう社会的に逸脱してしまった気はする。場にふさわしい服装・話し方・考え方・しぐさ、キャリア選択・人生フェーズ、他者との距離の詰め方取り方…それらがどんどん多くの人と違う方向に流れていく。それに気づかず、自分に見えている世界の手法でやりとりし、齟齬が起きてからハッと我に帰った出来事が何度もあった。

さて、わたしは旅を繰り返していた2009年から2013年までゲスト側としてCSのヘビーユーザーで、それからはゆるゆると日本でシェアハウスに住みながらゲストを受け入れたり地元開催のCSミートアップ(CSユーザーのあつまる飲み会)に時折顔を出したりしていた。

それによってわたしの世界は国際色豊かになった。好奇心旺盛で他者に親切、異文化や多様性への寛容性も高いコミュニティの行動規範が自分にとっての当たり前になっていって、「隣人とて異文化だし、それで良い」という考えが身についた。そこまでは、よかったのだ。

問題は、日本にいる時やビジネスの場面で、人との距離感が社会通念とずれ過ぎていることだ。ハグ文化もそうだが、特に「人の家に泊まる」ということがもたらす様々なシグナルがそうかもしれない。”普通” の日本人は、よっぽど仲が良くないと、あるいは性的な意図がないと家に泊めない、という考えが頭から飛んでしまっていた。CSにはヌーディストを公言している人のプロフィールだって普通にあったし、ドイツ人やオランダ人がアパートを平気でパンツ一丁で歩き回るのをみて「そんなものかな」と思っていたけれど、それはひどく狭いコミュニティの中での出来事として留保しておくべきだった。

そもそも自分の「若い女」という要素を無視して生きてきたのでよりタチが悪い。そのラベルを見過ごせない人が世の中には多いらしいことに、しばらく気づかなかったCSを使っていない人に対して、CSと同じように「今度そっちいくんですけど、泊めてくれませんか?」と言ってはいけないらしい。そんなこと、知らなかった。わたしの倫理観がバグったわけではない。ただ「泊まるってことはひょっとして…」という考えが頭に過ぎることなくちょっとした知人の家でも泊まり歩くイカれた若い女になってしまっていた。何とは言わないが誤解を巻き起こしたこともあるので、今となっては反省している。

旅経験はあくまで非日常、と位置付けられた方が要領よく生きられる。そこでの振る舞いをそのまま日常に持ち帰ってしまうと、自分の見てきた世界を知らない人だらけの空間でうまくやっていけなくなるから。広く薄くみたらCSerはCSerであるだけでどの国でだってちょっと変人なのだ。自分の「そんなものなのかな」の範囲が広がりすぎたのが、他者の許容範囲を想像するメーターを完全に狂わせてしまった。わたしはCSやそれに近しい旅人・ヒッピーコミュニティの中だけで生きていきたい人間ではないし、やっぱり社会通念はきちんと理解しておきたい。その辺りのチューニングがいまだにうまく出来ていない気がするのが問題だ。

予定調和を乱す旅の感覚が懐かしい

カウチサーフィン運営側のコミュニケーションが変容してしまってからわたしはサイトを使うのをやめた。だけど、時にはあの感覚が懐かしくなる。自分の日常の延長線上では交わらない、自分と同質の魂を持った人たちに出会いたい。

わたしにとっては、Tinderですら性愛の匂いが充満したCouchSurfingに見える。半径●kmにいる面白そうな人を探せ、なんなら家に泊まれるサービスと言うことには変わりがないから。もちろん、意図は違うんだけど…。

性愛の匂いが満ちたところは苦手だからマッチングアプリの王道の使い方に入ってはいけないけれど、国内でカウチサーフィンらしい出会いができたらいいのにな。