「わたしだってしんどいよ」に対しては、何も言えない

 

ブログを全然更新していない4〜5月の間に、色々あった。

それらについては追々話していくのだけど、そのうちの一つである共同オフィスづくりで感じたことについてが今日の話題だ。

最近仲良くしているお姉さんと、「ゆるやかにものづくりを楽しむ雰囲気が流れる場所を一緒にやりたいね、開かれた個人オフィスみたいなのをつくれたらいいね」という話を今年はじめからしていた。その方を「文鳥お姉さん」とでも呼んでおく。

ちょうどいい場所が見つかったから、5月は物件の契約と家具家電の調達、一緒にスペースを運営する仲間探し、ルールや契約書づくりに追われていた。わたしたちはそれぞれ仕事もあり、それに追加で場所作りをしていたから徐々に疲弊していった。

最初は、それぞれが気づいた仕事を進んでやること、としていた。これは多分、よくある見切り発車の間違いだ。お互いにできる限りのことはしていたはずだ。だけど疲労は溜まるしそれぞれこだわるポイントも違うわけで、時間が立つごとにお互いへの感謝や尊重も薄れてきて相手の動きに不満がたまってくる。

わたしは電気系統が大の苦手だ。家電屋に行くのは苦痛でしかないし、インターネットでスペック比較して購入するのすらおっくうで、いざ商品が家に届いても初期設定が済むまでにはその商品のクーリングオフ期間はとうに過ぎている、ということがざらにある。

そんなだから、購入したwifi機器を文鳥お姉さんに渡して接続を気軽にお願いしてしまった。そのときに彼女の気持ちを考えることはしなかった。あとから文鳥さんが勇気をだして言ってくれたところによると「わたしも別にこっち系得意じゃないし、自分でとりかかったことは自分でやってほしかった」そうだ。

そもそもwifiは共用のものなのだけど、二人とも億劫に感じる物事でかつ、どこからどこを誰がやるか、のすり合わせができていなかった。まるで二人とも相手に委ね切った結果ドッヂボールのボールを受け損ねて顔を見合わせる、みたいな状況になってしまった。

さらに、文鳥お姉さんと私の間の出来事には続きがあって、

わたしが「すいませんでした…でも機械の設定ほんとにダメで、しかもめっちゃしんどくて」と言った時、文鳥さんが「わたしもしんどいよ」と会話を断ち切り、わたしもそれに応答できなかった、ということがあった。

これは、あまり健やかじゃない。トーンポリシングじゃないけれど、似たような状況だ。こういうのを、なんと呼ぶんだろう。夫婦・パートナー間で「家事・子育てがしんどい」「わたしの仕事のほうがしんどい」と、違う角度のしんどさをぶつけ合って喧嘩になるのと同じ質のものだ。よくあることだと思うけれど一言で表すのが難しい。まだ見つけられていないけれど、たぶん名前がある現象なんだろうなあ。

今回はわたしの甘えもあったから一概にはいえないのだけれど…しんどさはそれぞれに違っていて、自分も相手も同じようにしんどくて相手がそれを理由に行動しないのは甘えであると断定するのは基本的には危険なので避けたほうがいい、と私は思う。耐えられないしんどさを表現しようとしている人に、耐えられる程度のしんどさを感じている人が「自分もしんどいんだからお前も耐えろ」と言ってしまうと反論しようがない。

そういえば2年前、わたしがベンチャーに参画しようとして失敗した時にも同じようなことがあった。あまりにもキャパオーバー状態の時にそれを訴えて「俺だって辛いよ」の一言を投げかけられ、何も解決しないままわたしは自分の手に余る問題を抱えて立ち尽くしてしまったのだ。

この時は、相手が年上の男性で明確に上の立場の人だったから余計に何も言えずに、ひたすら一人でこらえて結局仕事も人間関係も、全部だめになってしまったんだった。

今回は、自分から歩み寄ろうとしてくれる、穏やかな言葉の持ち主の文鳥姉さんだったからなんとかなった。お互いに余裕がなかったよね、ちゃんとタスクの割り振りの明文化をしよう、という建設的な話し合いができた。けれど、余裕のなさが度を越して感情的になってしまっていたら、下手をすれば同じ轍を踏んでいたかもしれない。

これからわたしも年齢が下の人たちと付き合っていく機会が増えると思うし、誰かの上に立って指示をだすこともあるだろう。だから相手のしんどさに自分のしんどさをぶつけて、結果として相手の口をつぐませることがないようにしたい。チームワークには、心理的安全性が大事だ。