友情の終わり、ある女性たちの事情: オモテ

 

ひとつの友情が終わった。さようなら、私の数少ない友人だった人。

私は駅前の純喫茶で深煎りのブレンドを頼み、さっき買ったタバコに火をつけてソファ席に沈む。普段吸わないものだから、煙を深く吸い込んだらきっと咳き込んでしまう。咳をすることがタブーみたいになった世の中、いちだんと気を払ってそっと口に煙を含む。ジャズと食器の当たる音しかしない店内。そうやってやっと帰ってきた静寂で自分を回復させる。

10年来の友人ユキコが、子供ができて変わり果ててしまった。子供ができたら優先順位は子供第一になる。会うことになったとしても子連れで来るし、あまり大人が満足する時間は過ごせないとしても本人が言い出さない限りそれを拒むことはできない。なんだかそれは社会的に許容されない気がする。まぁ子供を連れていようがなかろうが、話す話題も夫や子供のことになりがちだ。それは仕方がない。私だってそれは解っているし、会うとなったらその心づもりをして会いにいく。でも彼女が、子育ての外部にいる他人のことをここまで慮ることができなくなるとは思わなかった。

誰も悪くない、きっと誰も悪くないんだ。ただ、大切に培ってきたつもりの友情が、子持ち・子なしという違ったステータスになった瞬間になくなってしまうくらいに、はかないものだっただけだ。そんな脆い関係すら強固で永遠だと信じた若さを、私たちはとうに失ってしまった。 彼女の人生のフェーズは変わってしまって、私たちがかつていた場所と彼女が今いる場所はもはや地続きではない。

そもそも子供が小さいうちに写真を撮ってほしい、と言ってきたのはユキコの方だ。それをかなえるべく時間を作り、安くない交通費をかけて遠方まで出かけたのに。そこまでした上で安らげない環境におかれた私が疲弊し尽くしているのに気づかず、ただただ相手の親切にあぐらをかくような態度でい続けるようになってしまうなんて。

彼女のリクエストに応えるためにお土産を持って遠方から訪問し、忙しそうならすすんで家事をしたり彼女の手が離せない間は子供と遊んで気をそらしたりした。挙げ句の果てにはプロの技能を総動員して撮影をしてあげても、一言「ありがと〜」だけで、なんだか私がしたいから無理やり撮影に押しかけたみたいだ。

別にお礼の品や謝金、交通費をカバーしてもらうことを期待していたんじゃない。長い間たくさんの言葉を交わしてきた友人だからその辺りは始めから度外視するつもりだった。頼まれたことを自分の意思でOKし、彼女を訪問するための旅行を企画したのだ。でも私はプロのフォトグラファーで、自分が生業を立てている技能を彼女のために使っている。それをさも当たり前のように搾取するような態度が、うまく飲み下せなかった。無料で使われたうえに疲弊した、足蹴にされた、そう感じてしまった。だから別れ際、どう社交性を振り絞ったところで「楽しかったよ、じゃあまた会おうね」とは口に出せなかった。

子持ちの家に泊まるのはもちろん気が引けるが、彼女は田舎に住んでいるし、すこしでも話をする時間を取り、小さな子供の自然な表情の撮影をするとなったらそれしかない。立て込んでいた仕事を大急ぎで片付けた翌日、少し寝坊したがなんとか新幹線に飛び乗った。

小さな子がいる上に車がないユキコに迎えにきてもらうのも悪いので、1時間に1本のバスを捕まえる。大震災と原発事故以降、都会からの移住者が増えた地域に彼女は住んでいる。諸事情で夫は離れて暮らしている。

着いた途端に「引っ越したてでね、椅子がないの」と言われたところまでは許容範囲だった。たくさん旅をしてきてそういうことはよくあった。他人の懐に入ったときにお行儀良くふるまうのには慣れているから、それくらいの譲歩はなんてことはない。「大丈夫だよ、気にしない」と笑いかけて、床の上に折りたたんだダンボールを置いて座った。

でも、どうぞと与えられた部屋にものがごちゃごちゃと積み重ねてあり、その隙間にシミがついたシーツと敷布団のみが置かれていたのを見た時になんとも言えない違和感が広がった。東向きの窓があるが、カーテンもない。人を出迎える準備がこんなにできていないのだったら、どうして日程の変更を頼まなかったのだろう。

違和感は増強されるばかりだった。飲み物を持ってきておらず、何も出てこないので私がそのまま水道水を飲もうとすると「沸かすから待って」と止められた。「浄水器をつけないといけないの。水を沸かすのつかれちゃった、この辺は水がよくないし、プロパンガスなのよ。もう高くって」と言いながら、小さな片手鍋を火にかける。水がカルキ臭くて、それが “よくない水” らしい。カルキが入った水は美味しくはないだろうが、安全ではある。むしろ健康に良いと言われている白湯のほうが悪くなるのが早いのだ、彼女くらいの知性を持っていたらそれくらいわかっているだろうに。それに、自分の生活圏に入り込んだ他人の行動をいちいち方向修正させるような人だっただろうか。水が不味い、プロパンガスが高い、という愚痴を垂れ流しながら。

そういえば、お湯を沸かすから、と止められた時にコップの水をシンクに捨てたら「なんで捨てるの!」と苛立ちを含んだ口調で咎められたのだった。一部分ではたしかに私が悪い、地球環境に良くないことをしたのは事実だ。でもコップいっぱいの “よくない” 水を、指示に従って飲むのをやめて捨てただけで苛立たれるのも心外だ。あなたが嫌がるだろうから、やめた行為なのに。

私自身もムッとして「そこまで環境意識が高いのなら子供を持つのをやめたらいいのでは」と思ってしまった。水問題だけでなく環境問題に関して私は十分な知識を持っている。その上で慎ましい独身生活をし、良き消費者であろうとしている。だから目先の小さな節約を人にも強いる一方で子供を3人も4人も持つ “自然派”の人たちには、少し苦々しい思いがする。かなりの高等教育を受け、目の前にあること以上の幅広い知識を身に付けた自分の友人も同じだとは思いたくはないけれど。

撮影自体は問題なく済んだ。私はプロとして満足いく作品を撮ることができたし、ユキコも「ただ目の前にある風景を美しいものとしてゆっくり眺める時間はほんとうに貴重だったよ」と言っていた。そこで一旦は私たちの友情はまだ大丈夫だと思うことができた。

子供が昼寝するのを待って、二人でお茶を飲む。

ユキコは「わたしね、無理をするのをやめたんだ〜。自然に流されるっていうか。あれがほしいな、って思うと自然に向こうからやってくるの!わたしはなんか大丈夫に見えるらしくって、気遣ってもらうことなんて少ないから沁みる!こうやってトモエちゃんもきてくれるしね、もうみんなに感謝〜って感じ。」と語る。さらに「ここに引っ越してきて、いいものを少しだけ持つ生活のほうが、結局豊かなんだと思う」とも。

私は過剰なスピリチュアルと過剰なオーガニックには馴染まない。ユキコもぎりぎりまで来ているな、今までになかったような言葉遣いを聞きながら、そう思う。このコミュニティで心安らかに過ごすのに必要な言語なのかもしれない。

ユキコは大人との会話に飢えているようだった。彼女がとうとうと話をしている間に私は周囲をうかがう。引っ越して1週間、というのは一番雑然とした時期なのかもしれない。ちゃんとしたゴミ箱がなく、段ボールに山積みにされた生ゴミの匂いがリビングにも充満している。手作り天然素材の洗剤にこだわるあまり、しっかり洗い切れていなくて臭いを放つ布類。昔ながらの竹箒しかないから、子供が食べながら遊んだパンの残骸がいたるところに落ちている。

こだわりを持つ前に、こぼれ落ちたものを処理しなければならないんじゃないのか…そんな言葉をぐっと飲み込んだ。ここは彼女の生活圏内だ。すぐに立ち去る私がどうこう言葉で乱しても、余裕のない彼女をさらに圧迫するだけだろう。きっと時間が解決する。ここは自分が我慢してさえいればいい。

 

翌早朝5時、子供の泣き声とドアのバタンという音がする。東の窓からは朝日が眩しく差し込んでいる。枕元をまさぐりノイズキャンセリング付きイヤフォンを耳につっこみ、少しでもまともな睡眠を取ろうとする。寒い。私にあてがわれた物置部屋には、掛け布団は用意されていなかった。それで自分の薄手のコートをかぶっていただけだから、かなり身体が冷えてしまっている。結局布団の上掛けがないか聞く前に、ユキコはむずがる子供と寝落ちしてしまった。

それからすぐに「朝ごはんだよ!」と呼ぶ声がするものだから無理やり身体を起こしてリビングにいく。切っただけの冷ややかなパンとピクルスが2切れにクリームチーズ、それとマヨネーズが机に置いてある。これならコンビニまでゆっくり歩いて、暖かいコーヒーとサンドイッチを買い食いするほうがマシだ。でも隣でワガママをいう子供に一生懸命食事をさせようとしている友人をみると、「こんな適当に投げ打たれたようなもの、寝不足の状態で起きたばかりの自分が食べられたものじゃない」とは言えない。椅子がないので、立ったまま冷え冷えとした食べ物を口に詰め込む。

食事が終わったあとユキコが言った。

「悪いんだけどわたし、物を受け取りに山向こうまで行かないといけないの。昨日トモエちゃんが午前中のくると思ったから受け取れなかった分。トモエちゃんバスだと大変だろうから、近所の人に駅まで送ってもらうように頼んだんだ。8時に迎えがくるからね。」

ここまでしてあげて、新幹線代を往復払って、物置部屋で寝かされて、そして朝早くに勝手に追い出されるんだ私。悲しさとこみ上げそうになる涙を抑えながら、マスクから出ている目元だけで作り笑いをした。

「そう、分かった。」

迎えの車がきても、やっぱり謝礼も念押しのありがとうもなかったのには空虚な気持ちになった。見返りを求めてした行為ではないはずなのに、私の方が期待しすぎていたんだろうか。私ばっかり気持ちが重たかったんだろうか。

交通費を半額出してほしいと言い出そうかと一瞬迷ったが、引っ越したての子持ちのユキコには酷な気がして、やめた。お金はまた稼げばいい。この嫌な気持ちは、私自身の今後の人生の糧として取り込む努力をすればいい。

子持ちと子なしの友情が破綻するのって、互酬性のバランスが崩れるからなのかもしれない。結婚もしておらず子供もいない側からすると、共感を持って接していた友人がどんどん変わっていって、変わる前の関係性のあり方すら忘れてしまったように見える。こちらが心を砕いて行った相手のための行為も、上の空で受け取られる。相手は子供を気にするばかりで今までと同じようなレスポンスは帰ってこないので、今までの友人にしていた期待のままでいたら自分ばかり置き去りにされる。

誰も悪くない。ただ状況が変わってしまって、関係性のバランスがとれなくなっただけ。心地よく接することができないのだったら距離をおいた方がいい。

電車のなかでスマホを見ると

「来てくれて嬉しかったよ〜、最後ダルそうだったけど大丈夫?」

とメッセージが入っていた。

余裕のない人に、長文メールで至らなさを指摘する趣味はない。自分が原因だと気付かないんだったら、もう会うことはないんだろうな。にしても私って損な顔つきをしてるな、悲しみを堪えたらダルそうに見られるんだから。泣いて訴えでもしたらよかったんだろうか。

指先から迸りそうな感情を抑えて「大丈夫だよ。ありがとう」とだけ返信し、顔をあげると雨が降り出していた。

 

友情の終わり、ある女性たちの事情: もう一方のオモテ

2021年6月14日