体力がないという自覚

 

最近、疲れがちなロングスリーパーらしく生きることを心がけている。つまり、無理をしない。

思えば、わりと無茶をしてきた人生だった。物心ついたころには毎日の公文式を含む4つの習い事をしている小学生だったし、部活のテニス(まぁここで人間関係を本格的にこじらせるのだけど)をしながらオール5の通知表をゲットするための障壁、つまり苦手な保健体育の成績のプラスにするために毎日家の周りを走ってノートをつけていた。大学時代には大阪から夜行バスで東京に行って3日インターン(という名の安い労働力)としてこき使われ、また夜行バスで大阪に帰って授業にでる…そんな生活をしていた時期もあった。だから、常に疲れていた。

自覚がないというのは、わりとヤバい。思い通りになることがどんどん少なくなっていくから。

目が冴えているという感覚があるのは多くて週に1回、イベントや仕事で一瞬ハイになったら1週間くらいそれが持続することもあるが、そんなことがあった後には2、3日自堕落でいないと回復できない。気持ちもささくれだっていて、常に何かをしないと不安になっていた。

その結果無愛想でダルそうな人間という誤解(というか意図しない印象)を与えたり、キレ散らかして人間関係が崩れたり、大事な予定があっても大寝坊したりしてきた。そして、自分というものを把握していなかったことに全ての原因があるようだった。でも自覚がないから「なんで上手くいかないの!?」と余計にやっけになって、そして突然身体のダウンか心のダム決壊がおこる。

そもそも自分の気力と体力は、人一倍少ない。それに気づいたのはごく最近のことなのだけど、自分をメディアに晒しっぱなしにしていると、超人ばかりが目に入る。特別だからメディアも取り上げるわけで、それは当たり前だ。でも、いつのまにか「それが理想とされる姿なんだ、自分もそうあるのが望ましいんだ」という思いが刷り込まれてしまっている。その状態が自分にとって心地よいかを検討することもなく。

ボディスキャンという瞑想の方法があって、これをやってみた時に、わたしは「常にキャパオーバーしている」と気づくことができた。ずっと身体がダルいのなんでだろう、と思っていたのだけど、色々詰め込みすぎだったからというのが一つの要因だったみたいだ。それがなかったら、スピードを落とした方がよさそうだと思い至っておらず、今でも思うようにならない身体をはやる頭と心が引きずって歩く、そんな生き方をしていたかもしれない。


先日大学時代の友人と話す機会があった。

その時に、「あの頃、あなたボロボロだったよね」などということを言うので、驚いた。ずっと心配してくれていたようだ。人からみても明らかにヤバかったらしい。20歳のころにはすでにそんな体たらくで、それを変えるのに9年かかった。

過去の記憶を振り返る時間を去年たくさんとり、その時にも「ああわたし、無理していたんだなあ」という感覚を頻繁に浴びた。でも具体的に何を同時並行でやっていてどのようなクオリティが残せてどのような感情を得ていたのか、あまり判然としない。忙しいと、振り返りの時間をとらず記憶もしっかり残らないようだ。だから学んで行動を変えることもしない。まさにダメのループだった。

Phaさんの『しないことリスト』を読んで、「自分は体力がないから…」「ダラダラするのが好き」などと何のてらいもなく端的に書いてあるから、いいなと思った。
ネガティブに自責する必要はないけれど、自分にとって無理がある部分をニュートラルに認めよう。それでもうまくやっていける道は見つかる、そんな趣旨の本だった。力の限り進み続ける、そんな方法が合っている体力オバケもいるだろうけど自分はそうではないと、ちゃんと把握している。たぶんわたしも似たような人間だから、phaさん方式がいいんだろうな。

余白を持つこと、吟味や振り返りの時間を重要視することをこれからは意識していたい。もちろん、まだ大学受験時代に癖づいてしまった焦った食事の取り方やお風呂の入り方すら身体に残っているのが現状だ。意識しないとすぐに予定を詰め込みすぎて過去の自分を恨むこともしょっちゅうある。でもわたしの、不安から逃げるような探索の期間は終わったように感じている。今からは、少しずつ人間関係も自分の人となりも深くしていきたい。ただの “根無し草の事情通” ではいたくない。 なにかの当事者としてなにかの舵取りをしたい。だから速度を落とそう、遊びを十分にとって。

確かに体力気力知力コミュニケーション力全てがずば抜けている人もいるが、そういう人むきの成功像を目指してもしょうがない。中学生の頃なんかはエリート成功者道に漠然と憧れはあったけれど、そういうのは捨ててゆとりに全振りし、生存戦略とする所存…。

遊びを取るというのは大きなキーワードだ。人より体力がないなら、それはそれで悠然と構えて遊んでいたらその角度からしか得られない世界への知見が得られることもある。

他の人からみたらちゃんとしていないだろうけど、自分にとって生活が回っていたらそれでいいのだ。たとえ低空飛行でも。

 

そんなことを言っていたら、今日は美術展のチケットを無駄にした。いくのを伸ばし伸ばしにしたあげく、最終日の朝からいく算段を立てた結果、朝起きられなかったからだ。

非常にくやまれる。

もうちょっとちゃんとしたい。