友情の終わり、ある女性たちの事情: もう一方のオモテ

 

ひとつの友情が終わったかもしれない。数少ない友達だった人、会っても嬉しそうじゃなかった。

ユウは「ユウくん2才!2才!」と叫びながら幼稚園に行き、泊まりがけで来ていたトモエもさっき帰った。やっと戻ってきた独りになれる時間の中、床にへたりこんで空中を見上げる。食べかすが至るところに散らばり、子供が勝手に取り出したおもちゃや文房具やタオルがあちこちに積み上げられたリビングを、今は凝視したくない。ああ、ゴミも片付けなきゃ。

10年来の友達は、あんなにも度量が狭い人だったっけ。子供ができたら当然優先順位は子供第一になるし、それを解って来てくれたと思ったのに、子育ての大変さを理解するそぶりも見せなかった。こっちは日常のやりくりだけでも大変なのに、それを押してまで泊めてあげたのに、とつぜん不機嫌になるなんて。もういい大人なのにな。でも、きっと仕事が大変だったり体調が悪かったりしたんだろうな。そういえば来る時「PMSがあって寝坊した」って言ってたっけ。

大切に培ってきたつもりの友情が、子供という存在が現れた瞬間にギクシャクしてしまうくらいにはかないものだったのは寂しいけど誰も悪くない、きっと誰も悪くない。そんな脆い関係すら強固で永遠だと信じた若さを、わたしたちはとうに失ってしまった。彼女はすでに、私とは別の方角を向いてしまっている。

トモエが「前に言ってた写真撮りたいっての、いつにする?」と聞いてきたのは1ヶ月前だった。そういえば家族写真をとってもらいたいな、って、メッセージをしたときに何気なく言ったのだった。当時、わたしはどういうつもりで写真撮影を依頼したんだろう、そもそもそんなに真剣に依頼したわけではなかった気がする。でもトモエは確信的にものごとを実行に移してゆくから、自分の言い出したことだし、とユウの誕生日付近の都合の良い日程とともに「ありがとう、楽しみにしてるね!」と返答した。

その後状況が変わった。夫とは一緒にいるとすぐに感情的にぶつかってしまうから、普段は別居することになったのだ。急にいい家が見つかってトントン拍子に引っ越しすることになったけど、トモエは忙しい人だし日程を変更してもらうのも大変だろうから、引っ越してすぐ必死に家を整え、迎える準備をした。夫のいない隙を見計って前の住居から布団を持ってきて、子供の着替えなんかを放り込んでいる空き部屋に彼女が泊まれるようなスペースを急遽作る。

トモエが朝の9時に着くと言うからそれまでに用事を超特急で終わらせてお家に帰ったのに、「寝坊したので、着くのが3時間遅れます、すいません。新幹線の出る時間にまた連絡します」というメッセージが入った。

こっちは、来る時間に合わせて家を整えたのに。ちょうどいい時間に漬かるようにぬか漬けも入れたのに。もうちょっと申し訳なさそうにしたらどうなの? そういえば昔から彼女は時間にルーズだった。学生時代にも「やっぱりもうちょっとかかる」って待ち合わせを伸ばし伸ばしにされて、結局1時間半も待たされたことがある。そう言う欠点があっても、やっぱり話す内容のするどさとか、面白いことをたくさん知っているからこれまで交友関係が続いてきた。

トモエは結局4時間遅れてわが家に到着した。「ごめんね…!」疲れた顔に申し訳なさそうな表情をうかべて、お土産を持った手を伸ばしてくる。

「大丈夫だよ、遠くまでありがとう」少し張りを感じるお腹をおさえて、わたしは笑顔をつくる。そういえば別居したての夫とは別の人の子供を身ごもったことを、トモエには伝えていない。わたしはゆったりした服を着ているし、普通にしていればバレないだろう。まだ、こうなった経緯を、入り組んだ話を時ほぐしながら話せる自信がない。トモエは無理して笑顔を作るタイプではない。だからか、ユウは人見知りしてわたしのロングスカートの裾をつかみ、わたしの後ろに隠れた。妊娠しているからか、とても暑い。

着いて早々、トモエが水道水をそのまま飲もうとするから、あわててとめた。水道水は美味しくないしお客さんにそのまま飲んでもらうものではない。アマゾンで浄水器を注文するの忘れてたな…そう思いながら「お湯を沸かすから待って」と言った。そうしたら、トモエは「そうなの?」とグラスに注いだ水をシンクに捨ててしまった。まだ使える水なのに…。わたしは環境問題について、こっちに移住してきてずいぶん詳しくなったしいつも節約を心がけるようになった。トモエはずっと都会暮らしで、効率の方を優先するような人だから水の一杯についてなんてあまり考えないなんだろう。そういう行為の積み重ねが、子供達が生きる未来の地球の負担になるのに。

トモエにお湯を見てもらっている間にお昼ご飯の準備をする。ちょっと遠くの国産小麦を使ったパン屋にいくという近所の人にバゲットを買ってきてもらったのがある、あれにオーガニックバナナと蜂蜜とクリームチーズ、あとはピクルスを合わせよう。あまり時間を使えない中でも、できるだけ美味しいものを食べたいし、大事な人にも良いものを食べてもらいたい。トモエはスマホに向かってなにやら忙しそうにしながら、沸騰したお湯をしばらくそのまま沸かせっぱなしにする。この地域はプロパンガスで、コストが高くつくのに。そう言いたいけど、すぐにパンで遊び出すユウの口に食事を入れるので忙しく、わたしは手を離せない。

撮影自体は楽しかった。ユウと手を繋いでじっと立ちその手の温かさにだけ神経を集中させる時間なんて、どれくらい取っていなかっただろう。あらためて、心の優しく元気なこの子を授かったことに感謝した。そして、お腹の中の小さな生命のことも。これからどうなるかわからないけど、いまこの子はここに存在している。その瞬間を写真に収めておけてよかった。

ひととおりはしゃぎ回ったユウの興奮が落ち着くにはしばらくかかったが、なんとか昼寝してくれた。寝かしつけを終えて、二人分のお茶を入れ、トモエが持ってきてくれたお菓子を開ける。誰かが丁寧に作った美味しいものを見ると、それだけで気持ちがやわらぐ。

そう感じたらなんだかタガが外れたように、色々と話してしまった。トモエは黙ってうんうんと聞いてくれている。子供がいるとどうしても子供のためにいろいろするばかりになってしまう。なんでわたしばっかり、と思うこともおおいけど「お母さんなんだからしっかりしなきゃ」と自分に言い聞かせる。本当はもっとゆったりと時間をとって一つ一つの物事を心ゆくまで楽しみたい。妥協したくない。どうしてもそれには限度はあって、いつもどこか満足できない気持ちになる。

葛藤はありながらもこだわった生活を心がけていることを、こうやって理解してくれる友人に聞いてもらうのは心地がいい。わたしは一生懸命にやっているし、それで間違っていない気持ちになる。

ユウは、まだ慣れない新しい住居と、知らない人が家にいるということで疲れたのだろう、昼寝の時間をすぎても起きない。だからと言ってちゃんと夕食までにお腹を空かせてちゃんと食べさせないと、夜中に起きて騒ぎ出してしまうだろう。なんとか起きてもらおうと、ぐずり続けるユウを抱っこしながら夕食のスープを作り、なんとかいつもの半分ほどは食べさせた。

やっぱりユウはお腹が空いて目を覚まし、早朝に泣き出してしまった。汗でパジャマもぐちゃぐちゃだ。慌てて抱き上げ、まずは着替えさせる。それから急いでキッチンに行くも、常備しているバナナがきれていたのだった。パッと食べさせられるものがないので、大人の朝ごはんにしようと思っていたバゲットをちぎり、牛乳に浸して食べさせる。ちょっと満腹になってくると、覚えたてのスプーンを使って遊びたくなるようで、自分でスプーンを持つと言って聞かない。どうしようもないのでスプーンは明け渡して、手早くトモエの朝ごはんを用意する。

彼女はたしか朝に弱いし、起こさないと部屋からでてこないだろう。今日は8時に迎えがくるから早めに声をかけないとな。トモエは今日、市内に行くんだっけ。ここに来る他にも「ついでだから」ってたくさん予定をいれて楽しそうにしていた。

イヤフォンをしたままのトモエがのそのそとリビングにやってくる。それを横目にわたしは台所に向かったまま自分の朝ごはんをかきこむ。

「そう、8時には家を出ないといけないの。引っ越しの荷物が必要で。本当は昨日できたらよかったんだけど。トモエちゃんには迎えを手配したからね。」そうトモエに伝える。一瞬部屋がしんとした。

ユウが、パンと牛乳の入ったボウルをひっくり返した音がする。トモエはそちらを見ようともしない。

トモエはいきなりムッとした顔で「そう、分かった」と言った。それっきりお礼もない。

たくさん旅をしてきて、異文化にも寛容だったはずの彼女、もしかしたら子供が嫌いなのかもしれない。椅子がないと言った時にも「気にしないよ」と笑っていたのに、掌を返したように不機嫌になった。

まだ周りに気のおけない知人というのができていないから、ここから一番近くに住んでいる野中さんに頼みこんで駅まで送ってもらうように手配したのにな。こんなに大変な中たずねてくる友人を受け入れて、こんな反応されるのか。なんだか悲しい。

たしかに、満足のいくおもてなしができなかった。自由な生き方をしてきて、世界の上澄みをすすっている彼女は気に入らなかったのかもしれない。わたしとこの友達の生き方は完全に違ってしまったのかな。でもわたしには子供がいて、この子を優先するべきなのだ。

 

ひとり、しばらく床に座ってぼぅっとしたら、気分も晴れてきた。もしかしたら今朝のトモエの不機嫌は、体調が悪かったのかもしれない。そう思い直して、来てくれたお礼と体調をたずねるメッセージを送った。

帰ってきたのはそっけなく「大丈夫だよ。ありがとう」という言葉だけ。

なんだか渡り鳥みたいな人だな、わたしは寂しさと愉快さを抱えながら、そう思った。

 

友情の終わり、ある女性たちの事情: オモテ

2021年6月7日