キラキラした職名でラベル付けされるのが怖い

 

「すごいね!ノマドワーカーなんだね!」「パラレルキャリアを地で行ってるんだね!」「日頃からワーケーションってこと?」「なんかイマっぽい働き方だね!」

という言葉をよく聞いてきた。もちろん相手は褒め言葉としてその文言をわたしに向けているのだから、ありがたいことではある。

ただ自分が「ええ、そうなんです!」と気持ちよく返事をする気にはどうにもなれなくて、笑顔を捻り出して「いや〜、そうですかね、ははは」と箸にも棒にもかからない返事をして終わる。

たしかに、わたしは基本的にパソコン一台でどこにいても仕事ができる系人材ではある。それなりに多言語多領域対応で仕事ができる。例えば今も翻訳の仕事が減ってきたと思ったら、他から事務オペレーション系の仕事が入ってきて、それをやっている。写真もたまに仕事として撮る。

そのような働き方が現在望ましいとされているのかもしれないので、別に間違ってはいない。いわゆるシェアエコノミーとギグエコノミーの真ん中で、新卒から就職もせずにパソコン一台で身軽にパラレルワーカーをしているのは事実だ。しかもMacBookを持ってスタバに行ったりもする(あれは、作業効率がいい)。

ただ、どうしても「わたしはイマっぽい働き方を実現し、キラキラ楽しく生きてます!」みたいな表象を垂れ流すこと、そう受け取られることは怖いのだ。

 

いざ「お仕事は何をされているんですか〜?」と聞かれると、つい「フラフラ何でも屋をしています」とか「いや〜、自分でもよくわからないんですよね」とか答えてしまう。

自分を華美に見られるのは不本意だ、そんないいものじゃないから。でも逆に自分が感じているままの反応を見せると、卑屈にみられたり相手にわざと距離をとっていると受け取られてしまい、信頼感を培えないことも誤解されることも多い。

みんながメディアから得た知識とイメージとことばで連想するものに乗っかって、セルフイメージの向上と理解を促進することができないのはどうしてだろう。全然悪いことじゃない、むしろ先進的で柔軟であるというポジティブイメージを相手に与えるのに役立つし、自分でくどくど説明しなくても自動的に予備知識から補完的な理解してくれるわけだから楽だ。それなのに、なんだか割り切れない。

そんなわたしの態度をこじらせているという人もいるが、自分の深いところでしっくりこないんだからしょうがない。

 

たぶんその理由は、第一にこのライフスタイルが自分の意思で明確に勝ち取ってきたもの、という意識がないからだ。

わたしは普通にみんなの中で楽しくしたかったのに挫折した人間だという自己認識をしている。ふつうに楽しい学校生活を送って、ふつうにやりがいのある会社員生活を送りたかった。今でもそれがかなったらそれに越したことはないと思っている。でも、それができないからこうなっている。

一生懸命に生きてはいる。いじめを悪化させないために勉強ができ口が立つ人ポジションをとりに行き、朝起きられないし疲れやすい自分が無理しなくていい働き方を考えて、コミュニケーションコストが低くて済む専門職の技術を磨いてきた。

それはひとえに生存のための格闘であって、妥協の産物だと思っている。だからそれを「すごいね!先進的だね!能力が高いんだね!』みたいに取られると、すごくモヤっとするわけだ。

 

うらやましい? わたしは、過度に苦労しなくても大勢のために最適化されたシステムの中に溶け込んでいけるあなたが羨ましいよ…

でもわたしがそういうことを言ったらまた卑屈だとか僻んでるとか言われるんだ…

 

あとは、戦略的に自分の見せ方を考えるのが苦手なのもある。ネガティブなセルフイメージが邪魔をしているので、せめて客観的にみて的確な自分の立ち位置を自分の口から伝えられるようにはなりたいと思っている。期待値を必要以上に下げることは、これまで自分を守ってきた防衛反応ではあるけれど、無闇に傷つかない心の守り方を習得しつつある今、手放してもいい保護服なんだろう。それに、「わたしは!キラキラ楽しい人間です!」というブランディングをしてメディアに露出している人たちは、それでなんらかのメリットがあるからやっているわけで、それに感化されたようにみられたらイヤだな、という思いも無意識に持っている気がする。

 

ここまで書いてみて、わたしのことを面倒くさい人間だな、と思いつつも付き合ってくれる周りの人たちに感謝に満ち溢れてエモ散らかしそうになってきた。

それはまた輪をかけて面倒くさいことになるので、おわります。