自分のめんどくささを意に介さないひとを大事にしたい


わたしは時折とても面倒くさいモードになって、面倒くさい嘆き方をする。

要約すると、例えばこんな感じになる。
「ああ生きづらい。人間関係の構築というのは、どうしてこうも難しいんだろう。ただ息をするようにするすると社交をする人だっているのにどうして自分にはできないんだ。人とかかわらずに生きようにもすでに全ての土地は社会的に誰かの所有物で、世界の余白でひとり農耕や狩猟採集をがんばろうとすることもできない、というかそんなに生存を頑張れる気はしない。甘ったれた先進国の堕落者だ。かといって社会に組み込まれている都会人、ただそこに存在しているだけで家賃や税金は徴収される。人とコミュニケーションをとってお金とものをやりとりして生きていかないといけない。面倒くさい、なんで世の中はこうなんだ」

(サバイバル生活には、強靭さと工夫と助けてくれる人をうまく確保する愛嬌がだいじという学びを得た本。こういうのはできない。その生活をうまく記録してちゃっかり本にするとかも、とてもできない。)



要約してこれだから、どれくらい面倒くさいかがお分かりいただけると思う。しかもシラフでやるんだからたちが悪い。(ちなみに、お酒を飲んだ方がささくれだった神経が凪ぐから穏やかで楽しい人間になる。)

世の中には、こういうのを垂れ流すヤツにすら耐性を持った人間がいて、あえて聞き流すとか「ちょっとそこうるさいから黙って」と一挙両断にしてくれる時がある。他にも「まあまあ、ほらチョコレートでも食べなよ」と気をそらせるために餌付けをするタイプもいる。

わたしのような面倒くさいのに寂しがりな人間は、そういう大味な対応をしてくれる人に行きあたったら、その人を大事にしたほうがいい。


わたしの友人たちは、ほとんどそういう人かもしれない。あんまり深くわたしの話を聞かない。

以前Twitterでいわゆる陰キャラとも陽キャラとも仲良くできるタイプの人が「陰陽師」と呼ばれていて笑った。それに近いのかもしれない。

https://twitter.com/usagitoseino/status/1310447665797185536?s=20

 

友人たちはもちろん真剣に相談をしたらちゃんとレスポンスを返してくれるが、時折ダダ漏れになるわたしの厭世論(というか与太話というか言いがかり)に対しては、自動的に鼓膜を閉じるような機能を備えているみたいだ。
わたしにはそういうことができないし、他人の愚痴や悩みをその人の感情ごと自分の中に取り入れてしまってめちゃめちゃしんどくなったりするので、スルー力は才能だと思って崇めている。

同じように悩む者同士でより集まることで共感しあえることもあるだろうけど、他人のネガティブを吸収してしまう性質のおかげで繊細で悩み深い人との交友関係では、楽しいことだけ話すようにしている。

とにかく、自分と同じタイプの人間と一番強固な関係を築けるというわけではないんだな。

わたしが住んでいて心地いい世界はかなり暗くて耽美的なのだけれど、でもわたしが自己開示や表現においてその通りのものをうまく出せないのは、コミュニケーションを取りたい先がそれに反応するクラスタではないからである気がする。むしろちょっと軽妙な笑いに走ろうとしてしまうのは、自分に対してちょっと大雑把にツッコミをいれてくれて、でも勝手に切り捨てていなくなったりしないような、活力溢れるタイプの人間にそばにいてほしいからだろう。

自分の世界とその表出、自己開示に反応して仲良くしてほしいターゲット。相違するときってむずかしいな。

とりあえず、自分のよくないところやキモいところをあまり解像度高く捉えないで楽しく過ごしてくれる人を、めちゃめちゃ大事にしていきたい。自覚しているけど直せない欠点に怯えないですむ人間関係は、QOLそのものに直結する。