【書評】pha『ニートの歩き方』は他人の評価軸を捨てる指南書みたいだ

 

数ヶ月忙しかったので、肩の力を抜きたいと思ってpha『ニートの歩き方』を読んだ。感想をひとことでいうと、現代日本でおぼれる者への浮き輪みたいだった。あまりお金をかけずに楽しくすごすために手放すものとは、つまるところ他人目線の評価軸なんだな。

phaさんといえば、Twitterで日々「だるい」と呟き、低空飛行しかできない者たちに安堵とカタルシスを与え続けている元・”日本一有名なニート” だ。インタビューにも積極的に答えていて、いろいろな記事テレビ番組で姿を見ることができる。

わたしも類稀な無職の才能の持ち主だと自負しているので、ブログをたまに覗いて共感したりする。今回わたしが読んだ『ニートの歩き方』は2012年に出版されたphaさん33歳の著書で、今の自分にちょうどいいかなと思った。ちなみに2012年当時わたしは20歳でタイまでの片道フライトを取って陸路放浪を始めた頃だ。それから9年で時世はだいぶんと変わったんだなあと思う。phaさんが有名になったのもその一助になっている気がする。

ブログ出身のphaさんの文体はニュートラルで、ゆるい。頻繁に「疲れた」とか「だるい」とか書いてある。でも言葉遣いはきれいで、理解しやすい言葉を選び取って編まれた文章をしている。堅苦し過ぎないし感情的すぎないし、余計な枝葉が少ないので読みやすい。そう、いわゆる「生きづらい系」の人たちの書いたものには存分に怒りが含まれていることがままあるけれど、phaさんの文章には怒りが見当たらない。これが心地いい。

この本はまあまあ分厚くて280ページくらいあるけれど、本の紹介や写真もふんだんに掲載されているので、気軽に読める。前半はphaさんの生活のエッセイとニート生活をうまくこなすヒント集で、後半はニート自己責任論や高度経済成長期から続く働き方への疑問なんかが書いてある。社会学的な概念をめちゃくちゃ明晰でわかりやすく解説してくれているので、時事問題や自分自身の生きづらさに関心はあるけどどういう切り口で物事を見ていいか分からない人の入り口としてとてもいいと思った。

だらだらする=好きなことをする、な著者

まずこの本と作者phaさんに対して、全く前提知識がない人がわかっておくべきは、phaさんは”ニート”と呼ぶには特殊だということ。ネオニート、と名乗っている時もあったし、この本発売当初に作られた特設サイトには、労働者ということばじゃ括れないからとりあえずニートを名乗っている、という趣旨のことが書いてある。けど「僕にはこれしかできなかった」と納得感を持った上で、ちゃんと自分の意思で好きなことをやっている人なのだ、好きなことが「だらだらしている」であるだけで。

僕は小さい頃からずっとできるだけ働かずに生きていきたいって思っていて、どうやったらそれが実現するか必死で考えてきて、今完璧ではないけれど若干それを実現している、死ぬまでこの調子でいけたらいいなと思う。(p.230)

まず本を読むのが暇つぶしとして好き、自分の考えを文字で表現できる、友達がいないから趣味的に受験勉強をして京大に受かって、2留してもちゃんと卒業して就職までした。趣味でプログラミングをするらしいしシステムを作るのは楽しいらしい。ギークハウスの立ち上げなど、企画運営ができる人だ。提唱者とか発起人になれる、これって正直だいぶすごい。だるいとか言いつつ、好奇心がたくましい。あと、ブログを見るとわかるのだけれど、だるがりつつもマメな人だ。

だから、「この方法を使えば誰でもお金がなくても楽しく生きていける!」という成功法則は全く得られなくて、(もちろん少しくらいアイデアをいただけるかもしれないけど)、ダメな大人みんなが自分ごととして読むことはできないだろう。

本の内容から取り出すエッセンスとしては、努力ができないことを自己責任とせず、もっと肩の力を抜いて自分の感じ方に正直に動いてもいいんじゃない、という励ましだ。借金玉さんの著書にも書いてあったけれど、社会の中でうまく成功する、ことより「なんとか死なずに折り合いつけてやっていく」ことに焦点が置かれている。

【書評】”生存”優先ライフハック本:『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』

2020年10月14日

あとphaさんは人に会うと疲れると書いているけれど、コミュニケーション能力が皆無だとか自己開示に臆病だというわけじゃない。だるいと言ってこと断るときもありつつあちこちに誘われて遊びに行っている様子が描かれているし、人に面倒を見られたり面倒をみたりしている。ニートを名乗っていた頃も一銭も稼いでないというわけでなくて、ブックオフでレア本をみつけてせどりで稼いだりしている。そういえば、どこかで「生活は、読み終わった本を売ったりしてやりくりしています」と喋っている姿を見て「ニートの定義..?」と思ったのがわたしがphaさんを認識した始まりだったように思う。とにかく自分の特性を把握して、翻弄されすぎずにうまく舵取りをしてきた人、と言う感じ。その辺も、ニートと聞いて勝手なイメージと期待をもって本を読むと幻滅しそうだと思った。まあ、そういうのも全部自覚した上で本を書かれていて、だから本から滲み出る態度がとても謙虚だ。

僕がここで本を書いて見知らぬ誰かに語りかけているというのも、たまたま僕が健康で体が動いて文章を書くのが好きで、ある程度若くてニートとか働くことについて考えていて、それを出版してもいいという人に出会って、という全ての要素の結節点に偶然僕が立っていたというだけにすぎない。(p.222)

ニートということばで形容されているphaさん自身がそんなかんじだから、この本では、定職につかずルーティーンを持たず、ふらふらよくわからないことをしている界隈をまとめてニートと呼んでいる。だから本来の意味でのNEET の定義とは違う。多分高等遊民と呼んだ方がいい人も混ざっているんだろうけど、タイトルが『高等遊民のすすめ』とかだったら本の読者数がグッとへりそう。

インターネットがあれば死なない

この本の副題は「お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法」なので、そこに多くの紙面が割かれている。

ネットで得られる主要な3つのものとして”暇つぶしにやること”、”最低限のお金”、特に “人とのつながり” があげられていて、それを得るヒントが書いてある。2021年現在、インターネットもツイッターはすでに「みんなのもの」になってしまって、少数派がコソコソ楽しくやる場所という感じではない。サイト作りやセドリという収入のあげ方も、これまた今やみんなの副業になった感がある。物販をやっている人によると古書のせどりどころか並行輸入すら稼ぐのがもう結構むずかしいらしい。

アフィリエイトはまだコツコツやれば成功できる方法な気がする。phaさんはSEO対策云々は面倒でもブログにアフィリエイトを適当に貼ってそこそこの収入がある、と書いているが、実質本の紹介なんか読んでいると一つ一つちゃんとしたアフィリエイトリンクなので全然適当ではない。やっぱりマメな人だ。

わたしは登録すらめんどうで、メールがたくさんくるのも苦痛で、広告リンクを作るのができない。わたしがごろびよに貼っているリンクは、ただのアマゾンのリンクなので誰かがクリックしても別にわたしには何も入らない。10年くらいブログを書き続けたら、そういうのを貼る気くらい出るんだろうか…その前にドメイン管理ができなくてブログが消滅しそう。

そのように時世的に2012年当時のままとはいかないのだけど、その中からもエッセンスは吸収できる。インターネットがあれば人とのつながり方としては会う低い人とゆるく広いつながりを保つことができ、時間を自分の自由に使えて人と会わなくていい仕事を探すことができ(単純作業か手に職系かを考えることは必要だけど…)、ものを所有しなくてもすぐアクセスできる状態にしておける。

インターネットがみんなのものになった今でも、社会通念の中でやっていけないマイノリティ同士のマッチングもまだ現実世界よりも容易だろう。phaさんの言葉だと「突出した異常さは書き続けていればそのうち同じようなタイプの意図に届く」。

あとは、「人にお金をあげるのはコンテンツ」という見方は自分にないので面白かった。セブ島で大喜利をやるニートに自他の意図相まって仕立て上げられた人に送金し、その生活の様子を楽しむのがリアルたまごっちとかなんとか呼ばれている。今だとプロ奢ラレヤーさんがやってることもその亜種かな。 

そういえば本に載っている「インターネットをだらだら見ている」というキャプションがある写真に写っているのが、煌々と光るリンゴのマークだった。Macbook所有者のニート、ちょっとやっかみをかいそうだな。会社員時代の貯金で買ったものだったんだろうか。

コストを下げ、セーフティーネットを作るシェアハウスぐらし

phaさんといえばシェアハウス。今は一人ぐらし(+猫)らしいけど、自分が立ち上げ人となったギークハウスというシェアハウスに長年暮らしていらっしゃった。ブログにギークハウスの構想の記事を書いたら、ネットでつながっていた人が空き部屋を借りないかと声をかけてくれたところから始まったという。同じようなコンセプトのギークハウスがphaさんが手をかけないでも”オープンソース的” に自然と広がっていている。

シェアハウスは、生活コストを下げられるのと同時に「大きな石をどけるとその裏に変な虫がいっぱい集まっている」ように、似たような人がコミュニティを形成しやすい。今はいろんなテーマを持ったシェアハウスが存在しているけれど、この本では弱いものも「集まってると死ににくい」という渋家・齋藤桂太のことばを引いていて、より一層楽しく過ごすということより一段階切実な生存戦略としてもシェアハウスは成り立っているのだと知った。実際に自分よりダメな人をたくさん見てきたし世話もしてきたらしい。

ギークハウス設立の動機の一つとして「人と直接コミュニケーションせずに孤独にならないを目指す」とか「人が集まっている場所でちょっと離れたところからそれを眺めているのが好き」(p.118)とあったのには、元シェアハウス暮らしのわたしは深くうなづいた。シェアハウスの運営者ではなかったけど語学イベントなんかを月1で開催し、自分は輪の中でワイワイせずに黙々と肉を焼きながら参加者が笑っているのを横目でみるという楽しみ方をしていたから。

シェアハウスは住居の確保についての流れで詳しく記述されているのだけど、そのほかにも居候とかホームレスやネカフェ暮らしという選択肢についても一応書いてある。 ホームレスは友人がやっていたけど大変そうなので勧めない、らしい。居候をするには居候力を高めよう、と書いてあったのには笑ってしまった。家事をきっちりこなすとか、いても邪魔にならない、とかこの人といると楽しい気がする、と思ってもらう力のことだそうだ。あとは料理をできると居候できる確率が上がるので「 “ニートの基礎教養” として大事」らしい。もともと料理や家事好きでもない場合、戦略的にニートをするのは大変そう。家事よりも労働のハードルが高いとがんばれるのかな。

感情や身体感覚を大事に、楽に、温厚に。

本著の表紙裏には

「だるい」とか「めんどくさい」とかいう気持ちはもっと大切にされてもいいと思います。悩んでる人はもっと適当に生きましょう。どうせ人生に意味なんてないんだし。

と書かれている。そこまで虚無的にならなくてもいいとは思うけれど(わたしも人生は全て余生だと思っているけど)、身体はとても正直だし、しっかり観察して身体を楽にしてあげると生きやすくなると思う。本文中にもいろいろ言い方を変えて繰り返されている。

あとは、ニートは性格が温厚であればなんとかなる説を唱えたい。物を余らせているひとは大勢いるとは言っても「●●がほしい」と言ったときに「余ってるからあげるよ」と向こうから言ってもらうには、人としての信頼感や憎めなさ、助けてあげたくなる雰囲気なんかを自分が備えている必要がありそうだ。

だるいとは言いつつ、phaさんの文章はきわめて理知的で、他人や自分をむやみに非難したりひがんだりするところがない。だるいという趣旨のブログ記事と代わる代わる楽しそうなイベントやプロジェクトのお知らせが上がる。この本には書かれていないけど、ニートおよびまっとうに労働者の道を外れて生きるのに大事なのは「陰険さを鞘に収めて、楽しそうに生きること」じゃないかと思った。そういう、一緒にいて居心地のよい人間に努めてなること。助けてもらったり助けることが当たり前であると思うこと、むやみな義務感で自分も他人もしばらないこと、そういうのを自覚していることが世の中のシステムや潮流に翻弄されすぎずに生きるコツなんだろうな。

 

phaさんがだらだらしながら楽しく生きるために頭をめちゃめちゃ使っているように、わたしも拙いながら工夫して自分のいやすい場所を確保していきたい。そういう先立がいて、どういう生活や考えをしているのかを気軽に知れるのは、不安をぬぐい去ってくれてとてもいい。

ありがとうインターネットと本。

 

次はこれを読みます。