ブログを書く気が起きないことなど

 

去年の9月からこのブログを始めて、ほぼ一年たった。最近、ブログを書きたい欲求が少ない。

今も「今日なんにもしてない。そういえばブログをしばらく書いてないし、なんか書こうとしてみるか…」といううっすらとした義務感や贖罪の欲求のようなものに背中を押される形でパソコンに向かってみている。なにか伝えたいことがあり気概に満ち溢れた創作者には程遠く、あぐらをかいて座った骨盤の上に載っている背筋は右に大きく歪曲し、顔の表情筋は溶け切ったように弛緩している。感情も鳴りを潜めてしまっていて、書きつける原動力になってくれない。ただ未達成のことがらへの悪感情を払いたく、着飾った虚無でスペースを埋めているだけだ。

困ったな、前払いしちゃったからもったいないじゃないか。2020年9月に、3年分のサーバー代とドメイン代を一括カード払いしてブログを開設した。同時にツイッターに書き込みも始めて、すでに広大で深淵に育っていたインターネットの海におそるおそる能動的に入ってみたのだった。

ブログはとても心にいい影響を及ぼして、わたしは余分な思考を汲み置き保存しておいてくれるブログのことを、「まるでハリーポッターシリーズにでてくる “憂いの篩” みたいだな」と思った。

I use the Pensieve. One simply siphons the excess thoughts from one’s mind, pours them into the basin, and examines them at one’s leisure. It becomes easier to spot patterns and links, you understand, when they are in this form.” (「そういう時は、憂いの篩を使うようにしておる。余分に頭から湧き出してきたことをちょいっと吸い上げてな、この水盆に注ぎ入れる。そうやって置いておいて、余裕のあるときに吟味するんだよ。その方が、自分の思考のパターンやその繋がりをうまく判別できるからな。」)

https://harrypotter.fandom.com/wiki/Pensieve より

ダンブルドア校長がこうやって説明している。日本語本の引用は見つけられなかったから自分で試訳してみたけれど、ダンブルドア校長の喋り方って日本語文ではどんなだっけな。憂いの篩は、原文ではPensieveと呼ばれている。sieveは、そのまま篩 (ふるい)という意味。penは、書き留めるということだろうか?これを “憂い” って訳すのは、ちょっと誘導的で際どいけれど、わたしは好きだ。頭がいっぱいになっていて、それを取り除きとい時ってポジティブな気分なわけない。

別に誰かに強いられたわけでもなく、お金を産もうと思ったわけでもないこのブログは、きっと趣味の範疇に入る。「適当にたてた目標を、それに関してはあえて盲目的になって達成する」の練習だ、とも思ってやってきた。月に10記事を目標にしてきて、今のところ平均9.6記事/月で推移してきている。気が散りやすいくせに、どこか真面目で完璧主義だから、なんとか帳尻を合わせようとしてきた傾向が見て取れる。

それに実際はコンスタントに書き続けられているというよりは、書きつけたいことが波のように押し寄せてきて、その染み出すものを拭うようにブワワワーっと夜明けまでかき続ける週と、全く何の文章も湧き上がってこず、ただ何もしなくとも疲れている週とが交互にくる…きていた。最近、凪だ。衝動がない。

旅のことなど書きつけておきたいと考えるのだけど、なんらかの不安や恥ずかしさでしっかり思い返せない。かなり性格を叩き直してきたと思ったけれど、まだまだ自分の失態を自分で笑い飛ばすことすらできないのか。日和見な快楽主義は、自分のためになにかするという意思をやすやすと凌駕して日々を埋め尽くしていく。

今月末に120記事に達したらいいなと思いつつ、無理なのかな、期待しないでおこう。

そして、この記事は虚無だから吟味する内容もないし、余裕がある時にわたしが見返す日は来ない気がする。こんなことを続けてきたら、それを抱えるごろびよブログが憂いを感じて、ブログ自体が憂いの篩を欲するようになるのかもしれない。

そういえば、ブログって実態がないけど、付喪神になったりするんだろうか。