「腰を据えて着実に取り組む」が出来ないから

 

現在、適当なフリーランスよろず屋としてギリギリ身を立てているが、これを望んでここに辿りついたわけではない。

借金はない、犯罪にも巻き込まれていない、朝から大体疲れていることを除いて致命的な持病はない。世話をするべき家族やペットもいない。(最近は、植物すら枯らすので置かない。)身軽なので、いろんなことに挑戦しやすい土壌はある。

資格を取って海外就職したり、自分で事業を立てたり、社会問題に真剣に取り組んだり、モデル撮影写真集を作ったり、長編小説を書いたり、博士課程に進学したりしたいと思わなかったわけではない。

ただ、自分の船を自分で漕ぐことができず、流されてここにたどり着いた。オールを同じペースで漕ぎ続ける体力がなかったのか、水の流れに逆らってオールを漕いだのか、クラゲやイルカや流木によそ見をしている間に目標を見失ったのか、今となっては分からない。全部なのかもしれない。

“腰を据えて着実に取り組む” ということが本当にできない。

身体的動作はキノピオよりクッパなのに、自律心ときたらキノピオよりも軽い。なんでもさらっと近寄ってなぞり、すぐ次のものが目に映るからそれに飛び移る。

このブログは、かなり健闘している方だ。計画性は無いながら、月に10本書きたいという初期の目標を大体クリアしている。際限なく書きたいトピックが湧いてきて、夜中に突発的に書きたくなって、ちゃんとここWordpressのダッシュボードにやってくる。

2週間のブランクが頻繁にできても、下書きが200件溜まっていても、すでに読み返すのが恥ずかしくて全消ししてイチから始めたい気分になっていても、11ヶ月目にして100記事以上公開に至っているのは事実だ。このブログを書いたとて、金銭収入も名声も人脈も何も返ってこないけど、それでもこれだけ続いているということは、やっぱり書くことが好きなんだろう。

自己満足のブログ程度を続けることはできると分かった。好きなことで、自分の適性がそこに見合っていたら。でも気分が乗らないことでは、ひどいことになるだろう、義務感を動力として活動しつづけられないからだ。例えば、保活とかするはめになったら詰んで大変なことになるタイプだ。周到にポイントを積んで待機の順番をあげるなんてことができるわけもなく耐えられなくなってユーラシア大陸に脱出し、車を買って雰囲気ヒッピーになるに違いない。

あれ、それはそれで楽しそうだ。どうせ何があってもそれなりに楽しくやり過ごす人生を送ることはできるのかもしれない。他人のひしめくなかで頭を使って競争することはできないけど、人のいない場所をみつけて厭わず進むことはできる。それはわたしのいいところだな。

ひらひらふわふわしているので、重い石を押すことが出来ない。進みたい道の前の大岩をどけるとか割るとかしようと頑張るのは、もう性分として無理だと諦めたほうがいいのかもしれない。重い石を押すための体力トレーニングがうまくいかないのだから。それよりも道が塞がれたとき、一つの細い道に人が殺到しているときに「あっちにまだ誰も見つけていない素敵な場所があるんじゃないの!?」とかぎ付けて、そっちに向かってガガガッと荒削りな道を作るほうがきっと向いている。今風の”多様性” 礼讃の雰囲気の中なら、責任感がない生き方しかできなくてもやり過ごせるのではないか。

問題は、この比喩が現実のどこにあてはまるか、なのだけど。

結局どこで何やってたらいいんだろう。

誰か知っていたら教えてください。

 

お腹すいたなー