「気構えすぎ・不安・リソースの見積もり下手」を改善したい

 

前回、「物事を続けられないならそうしなきゃいいんじゃない、なんとなくいい感じに流されて楽しく生きることはできるでしょ」ということを書いた。

しかし未だに「思い描くことを実現できる力がほしい」と思っている自分もいる。根は浮ついているが、育ちが真面目なのだ。環境のはらむ意思の通りに素直に育てられたわたしの道徳心は、ちゃんと状況を自分でコントロールできるようになりたいと叫ぶ。未知のものよりも既知のものに憧れる心も、もちろん持っていることだし。

さて、状況をコントロールできていないことに考えられる原因は今のところ、”気構えすぎ・不安・リソースの見積もり下手” の3つだ。

気構えすぎ

油断したらすぐ「やるなら、いい点数とらないといけない」と気構え、それでどうしたらいいのか考えすぎたあげくに動けない学校で満点をとること、親や先生にほめられることばかりを目指してきた。だから今でも「何事も完璧にしなきゃ」「指摘をされる余地のないものを作らなきゃ」そんな思考へのショートカットが消えてくれない。

でも多分、気構える癖は改善できる。世界の前提を、『全部、遊び』にすればいい。今日このツイートを見て、遊ぶことに気構えない大切さを知った。

 

嘲笑や評価への不安、そして達成感への渇望の欠如

不安は、どうしたら拭えるのだろう、まだ分からない。「失敗したらどうしよう」「笑われたらどうしよう」という気持ちは腐食した鉄の足かせのようだ。これは怯えに近い。だって、それは自責につながっているから、思うだけでも痛いのだ。

自分で何かに初めて取り掛かってみた時、特にそれに模範解答がないときに「やっぱり下手だなあ」と思う。不快なことだ。不快に人間は弱く、それに耐えるには踏ん張るだけの動機が必要だけれど、わたしは人一倍痛みを怖がり、そして快楽に弱い。

受動的なインプットは特に楽しいし楽だから、たちが悪い。この世の中、わたしが何かを生産しなくたって楽しいことに満ち溢れている。芥川賞を取ったあるいは世界8カ国で翻訳された小説を読んでいると、ただただ気持ちいい。

この伝統的不安に一番強固に対抗できるのは “その場のノリ” だ。突発的に、「今!これを!やりたい!」となったらその勢いで終わらせてしまうことだ。今もわたしは、本当ならやらないといけない仕事があるのにブログの記事を3本まとめて書いている。「あとで完成させよう」と思っても、未来の自分は信頼できないということは、下書きが200本たまった今、学習した。

これは、2~3000字のブログ記事みたいな、数時間あったら終わる仕事なら通用する。学術論文を仕上げるとか、コンペに出展するデザインプレゼンを作るとかには効かない。取り掛かってどこかで中断する必要があることは、おのずと作業内容の振り返りを伴うので、それが苦しい。昨日の自分を信頼できずに、それがあっているかどうか無性に不安になって全て放り投げて一からやり直したくなる。

しかも一度で完成できないと、長い道のりを考えて足がすすまなくなる。だるさから逃れるために最小限の運動はするが、キレッキレのボディを思い描いて努力することはできない。「本当に実現するか分からないことのために、今しんどい思いをするのか…」という苦痛の方が強いから。最後に待っているだろう達成感では自分を奮い立たせることはできない。わたしの脳が自動的に優先するのは目先の快である。

わたしは世界7大陸最高峰に挑戦して死ぬことはない、なぜなら挑戦まで辿りつけないから。

長期的目標を達成するには、なるべく小分けにするといい、ということを『要領がよくないと思い込んでいる人のための仕事術図鑑 』というタスク管理本で読んだ。(いい本です。) まあそうなんだろうけど、練習が要るな…

 

着実さと優先順位づけ

これが一番の鬼門になるとは思っていなかったのだけれど、認知行動療法をやってこじらせた自意識を叩き直して言ってもなお何も改善しなかったのがコヤツだ。本当に、予定を立てるのが苦手すぎる。

脳みそが多動で短絡的な報酬系への刺激を欲する特性はあるし、その功罪は大きい。直感は働くので目の前に迫ることに対して「なんとかこなす」ことはできる。それに対し、先を見据えて取り組みたい物事は、うまくいかない。

時間割を作っても、その通りに動けない。1日に3時間はこれをするぞ、と思って3日続いた試しがない。どうやって大学受験の勉強なんてやってたんだろう。学校と塾、家庭に管理されていたからギリギリなんとかなったので、そこから手を離されて以降、本当に困っている。締め切り前のパニックを感じてやっと手をつけ、そして無茶をする。20代の間は体力があったし、リポDを飲んで前借りをする次の日の元気もあった。

このように、着実にルーティンを組んでこなすことができないし、それに優先順位づけが下手なまま30代を迎えてしまった。

とにかく目に付くことを気にせずスルーすることができない。完璧にしようとおもったらやるべきこと、というのは次々と現れる。部屋に落ちている髪の毛は気になるし、突然ソファのしみとりをしたくなる。読むスピードが追いつかないくらいにアマゾンで本を注文しているくせに、読んでいない本が溜まってくると気になってしかたがない。Ado「うっせえわ」で言われている社会の要請もいちいち拾って達成しようとして、できずに凹むんだろう。

(30歳のわたしにも結構この曲が刺さる。今でも心のどこかで「抑圧されている」と感じているんだろうか。)

 

色々洗い出してみたけれど、やっぱり、中距離以上の未来にしか達成を見いだせないことをどうやってやっていくのか、まだ分からない。

とりあえずその場のノリで書き上げた自分を評価して、今日はこれで記事を終えたい。

小さく小さく、自己肯定感をあげてゆく。それもいつか役立つと信じながら。