さつまいもの話

 

さつまいもが好きだ。おっと、まず “好き” の対象を明確に定義しておこう。「さつまいもを栽培すること」ではない、「さつまいもを食べること」が好きなのだ。さつまいもを食べるのが好きなことが高じて、さつまいもを描くことや書くことも少々瞳が潤むくらい好きだ。

さつまいもが好き、と言った場合に、さつまいもを食べるのが好きなのだ、と一般的に理解されてしまうのはどうしてだろう。さつまいもを眺めることが、さつまいもを作ることが、さつまいもを調べることが、さつまいもをパキっと折ることが好きな人もいそうなものだけれど。同じように、「動物が好き」と言った場合にまず「動物をかわいがり、仲良くするのが好き」と理解されるのが不思議だ。そうでなかったらちょっと気味悪がるような風潮すらあるような気がする。ちなみにこれは白輪 剛史『動物の値段』を読んで思った。”動物好き” の人の本だけれど、いわゆるペット愛とは違ったから。

話がだいぶんと逸れてしまったけど、毎日1食がさつまいもでもへいちゃらなくらい、さつまいもは好きだ。普通わたしは色々なものを少量ずつ食べたい嗜好なのだけど、さつまいもだけが例外なのだ。

卵も毎日食べるけれど、卵はいろんな調理法を駆使して、食感や味を変える。生卵そのまま、卵ご飯、卵焼き、だし巻き、オムレツ、オムライス、半熟卵、固茹で卵、味玉、目玉焼き…はあまり好きではないのでパスして、ポテトサラダに混ぜたり、スムージーに入れたり、パウンドケーキを焼いたり。

ほかにはバナナもよく食べる。世界のどこでも手に入れられ、手が汚れたままでも清潔な食べ物として胃に入れられるというのに、それに加えてちゃんと美味しく栄養価が高いという優秀なやつだ。わたしはどこか、卵とバナナがあればだいたいの栄養補給は達成している、と考える節があるし、まぁそんなに間違ってもいないから生活に極力頭を使いたくないときはゆで卵、バナナ、マルチビタミン&ミネラルサプリを適当に飲んで、自分の「ちゃんとしたい部分」を安心させている。

バナナは、”バナナ” とだけ言われたら未調理のバナナが理解されるのはなんでなんだろうな。生バナナとは絶対言わない。”生バナナ” の響きは、なんだか気持ち悪い。バナナは冷凍しても焼いても甘味が増して旨いんだぞ。バナナ・スクランブルエッグですら、意外と美味しいんだ。

また話が大きく逸れてしまった。

さつまいもは、電子レンジのオーブン機能で焼く、以上。170度で40分、いつもそれだけ。それ以外のさつまいも料理も好きなのだけれど、加工しなくても十分に飽きがこない。自分の他の食べ物に飽きる速さを考えると、これはずっと不思議に思っている。ふかしいもでは物足りなく思うから、きっと食感が関係しているのだと思う。

中くらいのさつまいも1本で1食ちょうどくらい、手で持って食べられる、カロリーの他にもそれなりの栄養素と食物繊維がとれる、焼き立てでも冷めても焼き直しても美味しい。そういう利便性もありがたい。お腹が空いたことを自覚してしまうと、もうすぐ食べたくてしょうがなくなってしまうからだ。いつも料理をしたい気分のタイミングとご飯を食べたいタイミングが合致しなくて困っているから、急激に空腹感が強まった時にはついつい常備している焼きいもに手が伸びる。

この記事だけみると、卵とバナナとさつまいもで生きている人間に見える。時折そういう週もあるので、間違いとはいえない。一時期数ヶ月にわたってそういう生活をしていたら「なんか、そういう主義の食生活の人みたいだね」と言われたことがある。ホールフード・ダイエット、つまり極力加工しない食品を摂る、みたいなことだろうか。その時は、ただ利便性に負けた人間であることをうっすら恥じた。

ちなみに、わたしのことはちょっといい焼きいもでたいがい買収できる。安あがりな人間だ。ちなみに、牛乳プリンでも買収できる。固めのシンプルなやつでお願いします。