人生毎日、睡眠時間を死守するミッション

 

わたしの適正睡眠時間は9時間だ。これを確保することを人生の中心において、その他全てを配置している。惰眠をむさぼることはもちろん大変幸福なことだけれど、それ以前に、9時間寝ないと生活に支障をきたすからだ。

一般的に、7〜8時間が健康に生きるための睡眠量だと聞く。わたしの周囲もそう思っているみたいで「9時間寝る」というと驚かれる。「よくそんなに寝られるねえ!」というショートスリーパー、「そんな睡眠時間確保できる?」というワーママ、反応の仕方は様々だ。わたしにとって、8時間睡眠でギリギリ昼間眠り込まずに、なんとか活動できるくらいだろうか。それでも頭のはたらきは鈍ってしまう。7時間未満になったらとてもイライラしやすくなる。

ゆっくりした動きの歩行者や、混んだレジに対して急騰する感情。舌打ちしたくなったらレッドカード、睡眠が足りていない。平常状態でも感情バカデカなのに、社会の中で譲り合う余裕もなくなるなんて。睡眠不足と満員電車だけは、本当に身体が受け付けない。

ライフワークバランスっていうけど、そもそもライフとワークを同じてんびんに乗せるのはおかしいのではないか。自分のここちよいライフを実現するためにワークがあるし、ここちよいライフを工夫したあとにのみ、ワークに入れ込むエネルギー余地がある。もちろんワークにも自己実現と労働市場での金銭獲得の両方があるから、自己実現をライフの一部のワークだとすると、生活の質やリズムという意味でのライフとてんびんにかけたくなるのは理解できる。

何書いてるかわかんなくなってきたな、言葉が足りない。ライフやワークでくくられる範疇が広すぎてわたしには手に負えない。とにかく、ライフが成り立っていないとワークは成り立ちすらしないと思っているのだ。

わたしは昔から睡眠に振り回されてきた。朝起きるのが苦手でずっと怒られ続けていたのはいうまでもなく、大事な用があるとわかって起きられないのでとても聞きたかった講演や、人との待ち合わせや面接にも寝坊した。

26歳ごろには不眠にも陥ったことがある。当時受けていた仕事のストレスが大きすぎて、全く寝付けなくなってしまったので。眠れないので仕方なく目を瞑って出来る限りの体力回復を図り、それでも頭はブインブインとあらぬ方向に思考を振り向け続けるから、うなりながら寝返りを繰り返して夜を明かす。そして翌朝身体を引きずって出かけ、昼間の眠気にノックアウトされる、そんな生活だった。

情けない限りなのだけれど、睡眠不足とストレスのコンボで本気でブチ切れてしまったことも20代にはあった。状況的にはたしかに相手の失態ではあったのだけど、そこまで怒る必要なんてどこにもなかった。それを頭では理解していても、怒りが暴走してしまって自分では止められない。目の前の相手がわたしの豹変具合を目の当たりにして硬直しているのを通り過ぎ、切れるように寒い街中、コンビニに飛び込み下を向いたままタバコとライターを買った。どこか遠い国出身の店員は優しかった。タバコはこういう時にとてもいい。目の前の一つの行動、一つの味と香りに集中することでその他の思考を一旦休止させることができる。2、3本吸ったら心と身体の震えが収まった。

とまぁ、とってつけた対処法はあったとしても、まったく持続的ではないし社会生活の支障でしかないので、とにかく健全な肉体と精神のために睡眠時間の確保がわたしの人生の最優先事項となっている。

規則正しい生活も、なかなかできない。ついつい深夜に作業が捗ってしまうからだ。起きて数時間は頭がボーっとしていて簡単な家事や、食事くらいしかできない。それから細々とした雑事が目についてしょうがないからそれを片付けたりたまっている連絡を返したりしているともう夕方になる。そこから今後の人生のための積み立て作業つまり制作や勉強をしようとするが、アニメや漫画やTwitterへ向かう欲求との綱引きに負けることも多い。そんな体たらくだから「はっ、もうこんな時間!やらなきゃ!」というパニックが起こって初めて作業に集中できることになる。

「同じ時間に寝て同じ時間に起きてたら、ちょっと睡眠時間が短くても慣れるよ。」私の退廃的な生活をみて、そんなアドバイスをしてくれる良識的な社会人の友人には申し訳ないが、社会構成員としてメインストリームを行進する体力が、どうにもないみたいだ。

だから、布団に入った時間から9時間寝る、をルールにしている。用事があるときは前日に9時間寝られるよう逆算して行動する。それで間に合わなくてどうしても睡眠時間が短くなってしまうのなら、翌日の荷物を全て整え、シワにならない外出着を着込んで、バナナと水とメイクセットを配置し、アラームを3つセットして玄関近くで寝る。そして、翌朝出発10分前に起きる。獲得できる最大限の睡眠を確保するときには、効率化にせいが出る。

そう、自分の性質のためにできる危機管理に工夫をこらし、社会のぎりぎり周縁でなんとか今日も生きている。