もしわたしがライフスタイルと適性重視で進路をえらぶ高校生だったら

 

わたしは進路の決め方というものがまったく分からない中学生・高校生だった。というか、20代半ばまで自分の適性とか性格とか欲求とかをあんまり真剣に見つめてこなかった。むしろ、周りが要求する「正解」に自分を合わせる努力ばかりしていた。だから人生の途中までエリートバリキャリになるもんだと思って突っ走っていて、それ以外の進路をあまり考えなかった。結局コミュ力不足、体力不足とメンタルの脆さでうまく組織で働いていくことができないなんて思いもしなかったのだ。

むかしから、集団に馴染めない子供ではあった。気になったことがあったら他人が何をしている時であろうと突っ走るし、なまじ正しいことを真正面から直球で言う。政治力に長けたボス属性の女子というのはどこにでも湧くのだけど、彼女たちとことごとくぶつかり、陰で「あの子とつるんじゃだめ」という指令がクラスに回る。成績はいいし、意地っぱりだから人前で泣いたり悲しんだりしないので、忙しい先生たちには「あの子は大丈夫、強いから」と放置される。

もうひとつ、幼稚園児のころから動物が好きだったので「なるなら獣医か研究者」と言い続けてきたから、プランBについて思考することがなかったというのもある。だから進路指導の時間は、だいたい寝ていた。もう決めている以上のことを考える必要がないと思ったんだろう。だから、自分の通っていた学校の進路指導が良かったのかまずかったかすら記憶にない。ちなみにたぶん獣医は向いていなかった。労働環境がブラックなことが多いし、職のつぶしが効かないし、思ったより人的コミュニケーションを多く必要とする。動物が好き=獣医がいいな、は短絡的すぎた。

また、なまじ高校2年生くらいまでは小器用にお勉強ができたので、受験数学があまりにもできなくてドン詰まる予想をしていなかった。しかも受験大学を変えるとか、受験科目を変えるとか、一年浪人を決め込むとかすればいいのに、そういう戦略もなきまま体力で正面突破しようとして、できなかった。自分に浪人して同じ勉強を繰り返すことはできないと思ったので、入れるところに入ったら、言語をやることになった。その時点で、無感覚なまま何かが折れたのだと思う。一旦大学に入ってしまったら、それを無に期して、望んでいた進路へ向かってもう一度山を登るということもできなかった。いつの間にか髪を黒染めし、四季報を持ち運び、スーツで授業に出席する同級生の様子に圧倒されているあいだに就活もしそびれ、都会の片隅でちんまり暮らし、金にならない文章をごろごろ書き散らかす30歳になった。

というわけで、人生2周目はもうちょっと賢く行きたい。高校時代に、自分の能力、環境への適性、キャリアで実現したいことをきちんと把握できていたら、どんな進路を選んだんだろうか。

大学3年生で就活をするとき、「自己分析」というものをやらされる。これは、中学3年生と高校3年生ですでにやっておくべきなのでは、と思っている。自分を把握できていない人がわたし自身も含めあまりにも多いのではと感じるからだ。お金や物や変化の流れが早いところでそれらに刺激に晒されながら意思決定をし続けるのが向いているのか、誰かのきめた計画を的確にオペレーションするのが向いているのか、自分の空想を試行錯誤しながら一人でちいさく実現させるのが向いているのか、明文化しておくと冷静に未来を考えられると思う。

あとは、自分の「認知傾向」をきちんと押さえておくと良かったはずだ。わたしはおそらく身体感覚の鋭敏さと感情の痛烈さと好奇心、言語によって世界を細密に把握する力が高く、それらが抑圧されるような環境に耐えられない。逆に数学的パターンや地理的・空間認識能力、大局を読み取り予想した未来に向かって予定を立てる能力がポンコツだ。そしてはっきり事実を指摘したら傷つく他人の気持ちもあまりわからない。事実を指摘し改善のチャンスをくれる他人なんてありがたいと思ってしまう。身体能力なんかは体育の成績をみたらわかるけど、数学の点数が悪いという事実は「勉強が足りていない」で片付けられてしまうことが多い。

というわけでライフスタイル重視な自分を分かっていたなら、接客的コミュニケーションに比べてモノに向きあう時間が長く、自分の手で物づくりをし、働き方に融通がきき、組織でも個人でも身を立てられ、それなりの収入を国内国外で得られるような専門職を選んでいただろう。工芸職人か、調理師か、映像カメラマンか、グラフィックデザイナーか、プログラマーあたりだろうか。それなら高校選びの時に、高専とか専門学校を選び、同時に得意な語学を独学して、海外修行に行ってしまいたい。

現実のわたしは何も考えていなかったから、行ける地域の中で一番レベルの高い公立普通科を受けた。わたしはそうするもんだと思っていたし、周りもそう思っていたし、とくに何も苦労せず受かって何の感慨もなく通学し始めた。そこにいた人たちは公立中学よりは傾向が似通っていて、でも遊びも勉強も器用にこなし先生の顔色を見ながらうまくサボるような人も多くて、わたしはガラッと変わった環境に馴染む戦略がわからなくておろおろし、大変だった。どういう毛色の人間の集まりかも考えずに入ってから「馴染む戦略」を考えている時点でダメだ。

大学選びをもうちょっと慎重に行い、数学の点数低めその他の科目高めの大学を選んで重点的な勉強をやっていたら、あるいはパターン把握やパズル読解の面白さに気づき、浪人の覚悟を持って数学を頑張れていたら、そのまま理系に進んでいたと思う。動物の生態研究か、建築士か。生理学研究なんかも面白そうだけど、わたしは画一的な実験室にこもりっきりだと発狂するから、フィールドワークができる、ということが大きなキーワードとなりそう。

ちなみにわたしは大学の「理系」と「文系」ということばがあまり好きではない。それよりも「モノ(動物や人体も含む)に向き合う分野」か「人(の生き様・くらし・社会)に向き合う分野」かと呼びたい。ある対象を観察して記述しパターンを読み取ったり実験したりするのはどちらの分野も同じだけど、数学/ 一義的/ 再現可能な対象を扱うか、様々に解釈できたり、再現可能性が調査者によって変わるような質的調査をするか、の違いがある。そしてこれらの分野では、観察したものを論文という言語記述でアウトプットする。

それに対して、マーケティングや経営、芸術や建築のように、「観察したものを技能をつかってアウトプットする分野」もある。応用〇〇学という名前のついている分野も、そう言うことなのだと思う。(専門外なので間違っているかもしれない)。そもそも社会を見る切り口がないとこれらは使えないと思っている。アメリカの大学では、第一専攻(Major)と第二専攻(Minor)を選んだりできるらしい。アメリカで大学時代をすごした友人は、社会学がメジャーで、ダンスがマイナーだった。正直、この方法がめちゃめちゃうらやましい。インプットとアウトプット、両方を体系的に学べる。わたしは社会へのまなざしは学んだけれど、論文という出力形態になじめなかったしうまく組織人もできていないから、いまだにアウトプットの方法がわからないままだ。高校入学早々にそんな選択肢を視野に入れていたら、メジャーとマイナーが選べる大学に行っていたかもしれない。きっと人類学か生物学を第一専攻に、写真か映像か建築を第二専攻にしていただろう。

子供時代にどれだけ幅広い選択肢をもって自分の将来を考えられるかは、自分の素質よりも周りにどんな大人がいるか、どんな情報が目に入るか、なんだと思う。それを「文化資本」「社会資本」と呼ぶのだろう。たられば言うのは好きじゃないけど、やっぱり「今自分が考えていることを、17歳時点でわかっていたらどんなに違っていただろう」とは思ってしまう。もし頭を暗闇につっこんでいる若人がいたら、自分の二の舞にならないように、手をかし続ける大人でありたい。貸与式だろうが給与式だろうが進学資金はなんとかなる国だから、情報と思考と工夫さえあれば金銭の不足は二の次だから。

もちろん物理的困難とか適性とか障害とかいろんな不便益は存在しているものだ。例えばわたしの友人の一人は車椅子ユーザーで、実家から通えない心理学科への進学を諦めた。そういうのはやるせないと思うが、当人は淡々と第二希望を叶え、今はとある企業で人事の統括なんぞをしている。自分のもっているリソースを知り、淡々とそれを最大限に生かせる場所を探すと、思い通りではないかもしれないけれど、ある程度楽しく生きられる、彼女を見ているとそう思えた。

つまるところ、自分が自分の欲求と信念を明確に把握して、それを声に出していろんな人に伝えていたら、助けてくれる人というのは出てくるものだと思う。人間社会は利己主義に染まりきった場所でもない。十代の「人間はみんな嫌いだ、わたしも人間だからわたしも嫌いだ、絶望的だ」と思っていた自分はその前提からして間違っていた。

そんなこんなで、もう一回同じような環境で人間をするとしたら、「たくさん寝る、不特定多数の人とコミュニケーションを取らなくていい、周りに合わせすぎなくていい、通勤しなくていい、フィールドワークをしたい、物作りをしたい」を軸に中学時点で作戦を練るだろう。小賢しさやズルさはいらないけれど、自分の人生を自分で制御するための戦略的思考はつけておきたい。