過干渉、毒親、教育虐待、どれとも違うとは思うけど、相性は確かに悪かったんだろう

 

いつも空想をしている。現実の観察が浮遊して、へんてこな色や形をした物語になって、頭の中を駆け巡る。そして、それが邪魔だ。「まっとう」に生きる「まっとう」な人間になりたかったのに。自己効力感の容器が破れているので空想の産物を製品にすることも叶わない。それを試みようとすると、とたんに精神がもたなくなる。「想像力と好奇心、すごいじゃん、一番大事だよ!」そんな人の声は届かない。それが欲しかった時、それは手に入らなかったから。

何をするにつけても「こんなことして何になるんだろう」と思ってしまう。これは正直、周りの大人が「役に立つ」と判断した事しかさせてもらえなかったからだと思う。特に、両親。

やっぱり一番身近で一番大事な大人だったから、彼らを喜ばせたい、褒められたい、そんな思いで期待を読み取ってそれに近づこうと頑張ってしまった。でもその理想像は走れば走るほど遠ざかって、結局わたしは「破天荒長女、元気で留守がいい」を実践している。あまり深く内面の葛藤を分かち合うこともなく、もう一緒に出かけることもなく、ただたまにLINEグループで息災を気遣ったり、季節の行事の写真を送ったり、記念日を祝ったりする。

話を戻そう。気軽に中進国を旅している時だったら、猥雑な飲み屋で知り合って2週間の若者たちと、写真ブックの制作なんかを気軽にできてしまう。一つは彼らの分け隔てなさ、「楽しそうだしやってみればいいじゃん」というシンプルさ、そして旅情にほだされてしまっていることがあるのだけど、反面日本にいたらわたしがやらなくてもすごい人はたくさんいるしわたしの作るものなんて何の価値もないし誰も見たくない、と顔を背けてしまう。これは育った環境への条件反射的な恐怖でしかないのかな、と推測している。「結局日本を出ていくしか、わたしが真に安らかに自己実現できる道はないんだろうか」と頻繁に思う。自分のねじ曲がった性分をどうにか直したくて、治したくて、いろいろ試行錯誤してみた一年を経てなお、そう思う。

(コロナ禍が起こらなかったらわたしは当時の交際相手とどこかの国で合流してそこに居ついていた可能性が高い。あんなに心根が優しかったひとは、今となってはもうそばにはいないのだけど。2020年4月、わたしは彼の母国への渡航を、感染症の状況を理由に取りやめた。その後、全ては変わってしまった。)

わたしの中での日本社会は結局、非合理的な決まり事を押し付けてきて、化けの皮で装わずに存在していれば小さな瑕疵を肴に唐突に攻撃してきて、なのにわたしが一生懸命していることには全く気づいてくれない人たちが満ちている場所のまま固定されてる。どれだけいい友達が周りにいると分かっていても、頭で言語的に論理的にその虚構のばかばかしさを自分に言い聞かせたとしても、その恐怖はなにか心の奥底から湧き上がってくる類のもので、どうにも消し去り方がわからない。

普通の会社ではライフスタイル的に働けそうにもないし、自分で仕組みを作って誰かを雇う気力もないし、自分の存在で癒しを与えてその対価として生活を保証してもらえる愛嬌もないし、心の繋がりもなく自分のタイプでもない人間に性的に欲されるなんて気持ち悪すぎてすぐ死を選びそうだ。だからといって自分の顔と名前を晒して制作品をインターネットやなんらかの評価軸に載せることもできない。怖いから。友達のことは好きだけれど、顔が見えない人たちのことは全員怖い。

統計学を学んでも社会学を学んでも世界各国の文学を読んでも、わたしが反射的に創出するイメージの中の「社会」と「大衆」は、いつまでたっても義務教育時代と家庭の苦痛を不特定多数の顔が見えない灰色の人間に載せたもののまま、変わらない。ちょっと感受性の高い人には「なんでそんなに人の目をうかがうの、なんでそんなビクビクしているの」と聞かれることがある。そのたびに、学校が合わなかったからかな…なんて答える。そんな人たちの前でも大丈夫ぶりながら、あっまたやらかしてるな、と自分に毒づく。鳥は身体が不調でも、群れに置き去りにされないように、死ぬ間際まで平然とふるまうという話を聞いたことがある。まるで自分だと思った。

「役に立つ」事を達成しそれで評価された人間は、その様式を再生しがちだ、と思う。その人にとっての正解がその人にとって心地がいいから。自分としては誰かに正解だと教えてもらったことが自分の正解になることはなかったし、だから抗いたいと思うけど、内面化された他者基準で自分を痛めつけて力が出ない。

「口答えするな、言うこと聞きなさい」って自分で考えたり意見させてくれなかったくせに、最後までは面倒を見てくれないのが学校と親。義務教育のあいだは軍隊式に管理者の都合に合わせて押さえつけるくせに、労働市場では「主体性」を重んじる。

大人は、自分がうまく返答できないような質問が飛んできたからといって、何で声を荒げて相手を黙らせようとするのだろう。権力とか威圧で相手を抑えるのは教育じゃない。一旦それを浴びて押さえつけられたままの姿勢で争うのを止めたら、そこから立ち上がるのにまたものすごくしんどい思いをする。当時の親や教師の目から見たらきっと全く違う景色が見えるのだろうしわたしの知り得なかった事情もあるのだろう。しかし、子供の立場からした経験と感情はまったく希望の色ではなかった。

そもそも口答えって何だろう、自分の言い分が確固として存在しているのでそれを表明しようとしているだけじゃないか。子供だから、立場が低いから、劣っているから、話を聞く価値がないの?何か説得力のあることを言うわけがない、屁理屈しか捻り出せないとでもいうの。もし理解の前提条件が合ってないんであれば、そこを説明する必要があるのに、なんでそれを探らないの。

反抗的な子供が急におとなしくていい子になったら、それは大人って言葉が通じないなと思って黙っているんだよ、それが自分を一番傷つけないし一番エネルギーを浪費しないから。わたしも、いい子をしていた。そしたら、こんな感じの大人になってしまった。「よかった、やっと言ってることを解ってくれたんだね、やっと言葉が届いたんだね!」そんな表情を向けてくる人のことを、「何言ってんだろ、大人なのに何にも見えてないんだな」と、もはや言葉にするのをやめたいい子は仮面の下で思っていた。

記憶の中の「あなたのためを思って言ってるのよ」と諭す大人は、誰一人としてどうしてそれがわたしのためになると思ったのかの根拠をきちんと説明してくれなかった。だから、自分が子供に何かを諭すときはそう思う理由をきちんと説明するようにしている。子供たちはちゃんとまっすぐ目を見てまっすぐ話すと、ちゃんと理解し、納得する。理解はできるけど納得ができなかったら、ちゃんとそう言ってくれる。5歳の子供でもその対話は成り立つ。余計なコンプレックスやねじれたプライドがない分、まっすぐ打てば響く。成り立つよね、ねえ。なんでわたしの話は誰にも聞いてもらえなかったんだろう。

小さい頃から「わたしにもし子供ができたら、絶対こんな振る舞いはしないしこんな思いはさせない」とかたく決めていることがいっぱいある。それをずっと覚えている。怒りを高めながら同じ言葉を繰り返しながら叱り続けないこと、「口答えするな」と言葉を遮らないこと、一生懸命書いた謝罪の手紙を見つけ即座に「ちゃんとこっちにきて座って謝りなさい!」と怒鳴らないこと。遠慮がちに言うことばを聞かなかったフリしないこと。自分が何か失敗した時にヘラヘラして謝罪を避けること。

大人は弱い、脆い。毎日必死だし疲れるし自分の感情のケアもなおざりにしてしまうくらいに忙しい。でも子供には絶対的な保護者で、依存先で、休息先だ。もっと身近な親や祖父母が「この人は解ってくれないんだ」と一度その信頼を失うと、一生それは戻ってこないかもしれない。

わたしの親は真面目で教育熱心で、ただ子供によりよい未来を与えようとした結果、与えて与えて与えた結果、逆方向に走りたかったわたしの主体性を必要以上に奪ってしまった。妹はすくすくまっすぐ育ったのだから、空想家で何にでも疑問を持ってストレートにぶつけたくなるわたしとは単に相性の問題だったんだろう。目の前の子供の欲求とか性格とか特性とか志向を観察仕切ることなく、ただ一枚岩のやり方を通そうとしたところは両親の欠点だったなと思う。わたしがそが原因で、「分かってもらおうとしても無駄だ」と世界全般に向けて思うようになってしまった。期待と希望を避けることでしか絶望を薄める方法を知らなかった。

悩んだことがあったら親に相談したかったし、自分が正しいと思うことを理解してもらいたかったし、外で傷ついたらそれを伝えて慰めてほしかった人生だった。だが今からわたしが自分が抱えていた痛みを親に全て晒したって彼らが傷つき、気づけなかったことに後悔し続けるだろうから、わたしはそうしないことを選ぶ。彼らは悪い人間ではないし、子供のことを思うばかりに与えることに必死になって、疲れた時に居場所たる場所が家庭だということを忘れただけの不器用な人間で、人生の後半になって、仕事から開放されようとしている矢先に受ける仕打ちとしては酷すぎるとおもうから。きっとわたしもちょっと繊細すぎたし愛を欲しすぎた。時折凹むけれどもなんとか折り合いをつけて生きていけるから、これでいい。両親も、どれだけ矯正しようとしても結局自分たちの思うようにはいかなかったわたしを見てきて、彼らの望むようにわたしを形作れると期待していないから、今後叩き折られる心配もない。そもそも、すでに心を入れない討論ができるようになり、口もわたしの方が立つ、悲しいことに。

親孝行人生イベント的なものは、性格正反対ですでに結婚している妹に任せて、問題はしくみで解決して、ちょうどいいバランスで付き合っていけたらいいなと思う。特に親に恨みなどはない。産んでくれてありがとうとは思わないけど、わたしの生を望みこの世に連れてきた彼らなりの全力だったという理解はしている。

きっとわたしの記憶には感情の波長が影響しているから、それぞれの事象の印象は悪く強調されているだろう。でもこうやっていったん他人と環境を断罪し、それによって自分の過去を許容し、折り合いをつけていくのが自分なりの最善の方策なんだろうと思って、これを書いた。