タバコは大事なことを教えてくれた

 

タイトルから予想がつくような「健康のありがたさ」「周りの迷惑を考えること」なんて語るつもりは毛頭ない。 むしろ、健康によくないと言われることをする、その目的の快楽一択エンタメ志向の良さに気づいた、という話をしたい。

「タスクシートを作るまでしても、今日も一日家から出られなかった。現実逃避しかしていない…もうだめだ」

そんな風に友達にぼやいたら、「んまあそんなこともあるよね」のメッセージが現れたあとすぐに「川で一本タバコを吸おうよ、出てきて」と誘われた。

人との約束なら守れるが自分との約束が守れない、そんな性格をしているわたしにとって、他人との約束は行動の責任を自分以外のものになすりつける都合のいい言い訳なので、昼過ぎに目覚めゴロゴロして過ごした30歳の自己嫌悪をかき消すべくいそいそと支度をした。

わたしも誘ってくれた友人も、そんなにタバコをばかすか吸う人間ではないが、「喫茶」という愉しみと同じような態度で喫煙する。

 

ビールを片手に、土手に向かう。風を楽しみながらタバコを吸う、それだけをするために。

タバコを吸うのはタバコを吸うという行為自体を楽しむことだ。頭も使わないし「ながら行動」もできないから無理やり自分の頭と体を休めることができる。別にわたしはタバコの味が好きだとか香りが好きだとか、そういうわけで喫煙するのではない。ただタバコを吸うことは、他のことをしないことでもあって、悩みごとに頭からつっこんでるのをいったん止めて顔を上げて息をする効果を持っていると感じている。

すこし話がずれるが、タバコは、それを吸うことによって快楽を得る以外に学べることはほとんどない。気持ちが落ち着く作用はあるだろうが、吸うと栄養になるわけでもないしどちらかと言うと体に悪い。よってタバコを吸う行為はだいたい、タバコを吸うことが目的となる。タバコを利用して喫煙所で商談をまとめるなんて言うビジネスライフハックを聞くこともあるけど、わたしには関係のない話だしそもそもタバコそのものの性質ではない。タバコを吸っている自分をかっこよく見せたいという人とは、たぶん住んでいる世界が違う。ちなみにわたしははじめて交際した人が喫煙者だったので、ひよこの刷り込み現象のごとくタバコの匂いがする男性に注意を向けてしまうが、誰の得にもならない。

タバコを吸うという行為の純粋さを考えたとき、「それに比べてわたしは普段から何か楽しむためだけに行為をすることが苦手だな」と思い至った。何らかの学びだとか何らかに役に立つ目算がないと何事もやる気が出ないのだ。エンタメをエンタメとして楽しめない、何かを見出そうとしてしまう。そんなだから自主的な行動も「楽しいからやる」という、存在論を破壊するような言説を実践できない。何が言いたいかというと、「なぜわたしは/世界は存在するのか」を考えても強い神様像を据えて思考停止させないと虚無に落ちいる、そこで「いやそんなこと結局わかんないけど、生きてるから楽しく過ごしたいじゃん、楽しいことやろうよ」と思うことがライフハック、ということだ。山に登る理由をきかれてもそこに山があるから登るんだ、とは到底言えない。絶対「体力と気力をできるだけ長く保ちたいからです、あと植物をたくさん見て色々学べると思って」とか言ってしまう。

「今楽しめばそれでいいじゃん、もっと気楽になろうよ」海外を旅しているとき特にそんな言葉をよくかけられた。そんなふうに人生の一瞬一瞬、今はそれしか存在しないように楽しみ尽くす態度はまぶしい。それは、後々学習できるものなんだろうか。

エンタメをただ笑ってスッキリして、その場限りのエンタメとして消費する、その方法がわからない。ここでいう消費とは、無駄にするとか価値を感じずただ人気だから手に取るとか言う意味ではない。とにかく解釈とか小難しいことを考えて取り付けようとしてしまって、純粋にゲラゲラ笑うためにゲラゲラ笑えるものを鑑賞できない、ということだ。とにかく人生を意義あるもので満たしたいという、焦りのようなものが見える。しかしその「意義」は実は幻想で、蓋を開けたら確固とした定義なんてありもせず、よって行動指針なんてないブレブレな生き方をしているのだけれども。

ビデオゲームなんかをしないのもエンタメを純粋にエンタメと捉えられないせいなのかもしれない。キャンプやハイキングは五感を鍛えることができるし将来何か悪いことがあった場合役に立つかもしれない、そんな気持ちがあるからやる。でもゲームには、「テレビゲームをして何になるのか」と思ってしまう。これはひとえにわたしのゲームへの解像度が低すぎることによる偏見にほかならない。

ほかにもわたしの知らない、人生の張り合いになるような効能があるのかもしれない。きっとそういう効能は取り付けようと思ったらいくらでも後付けできる。でもそんな目論見でシューティングゲームとかソシャゲをやる人はきっと少ない。 あ、きっと五感をそこまで使わないゲーム世界で達成感を得ることが難しい、という理由もある気がしてきた。性格的にはとてもインターネットの住人らしいのだけど、五感が刺激されていないと生きている実感が湧かないので、やるならサバゲーがいいかもしれない。ほら、運動にもなるし。

 

川沿いで友人と二人取るに足らない話をしながらふかすタバコは美味しかった。味が、というよりもずっと、なんというか、時間として美味しかった。

私はきっと常に心のどこかで焦っているんだと思う。何か役に立つことをしなければ、もっと出来る限りたくさんのことを、短い時間に詰め込んで。たくさんの経験をして、賢くなって、うまく生きていかねば。それは社会の正しさの顔をした強迫観念とも呼べるだろう。

親が周囲が期待するように望まれた街道を突っ走る切ることができなかった、そこになにかがつっかえている。後悔はしていないけど、コンプレックスとのようなものは残っていて、きっとどこかに罪悪感を抱えたまま生きている。

自分が選んだものに自信を持てないというのはなんて悲しいんだろうでも、もうそれは性格だからしょうがないかもしれない、諦めるか、ゆっくりじっくり内側から温めていくいくか。10代前半までのような新陳代謝はもう、身体にも心にもないのだ。

タバコを脳と心と身体の休養時間と捉えていると、時間を楽しめる。これは新しい発見だった。またやってみようかな。

ほら、ある行為をその行為のためにする、行為の純化練習にもなるし、ね?