「職業は何ですか?」への答え方を10年考えている

 

これまでずっと、「職業は何ですか?」という言葉にうまく答えられなかった。今もはっきりとした答えがあるわけではない。でも、この仕事を次につなげていきたい、ずっとこの分野に触れていたいと思うものを名乗ることに躊躇いが少なくなってきた。

それは一つには、30歳にもなって、「もうフラフラ “自分探し”っぽい姿勢を見せ続けるのはかっこ悪い」という焦りが芽生えたこと。自分は、どこまでも見栄っ張りなのだと思う。また悩み続ける姿勢でいると、心配した人たちから様々なアドバイスをもらうが、それらがうまく自分に当てはまることは全くと言っていいほどない。結局自分は「もうそれは分かってるし試して違うなと思ったんだよな〜」と内心考えながらもありがたそうな表情で話を聞くはめになる。相手にとっても失礼だ。わたしは今までの既定路線にうまく乗っかってエネルギーを節約して生きることができないだろうことはとっくに分かっているので、やるべきなのは未練を捨てることだけだった。

それから、これまでは自分のいたらなさを恥じ続けることで『何者でもない自分』というアイデンティティを強くしてきたのだけど、いたらなさを自責の燃料にするのではなく、ニュートラルな事実として受け止め、その上で「そのレベルでもそのレベルなりの価値がある」と考え直すことができた。レベルが低いと得られる対価も低いかもしれないが、それを恥じて段階を登ることを拒否するのは、逆にネガティブなエネルギーを自分の内面に充満させることになってよくない。ありきたりだけど、「とりあえずやってみる」の効能を最近とくにひしひしと感じる。やってみていないことのへの自分の適性は、想像でも読書を通じてでも真に理解することはできないし、やってみて初めて自分のレベルや不足部分を実感して次への筋道を立てやすくなる。怖気付いてずっとその入り口を見ていた過去を恨むのはもういやだ。

そういうわけで「主に翻訳と写真をしています」とにこやかに歯切れ良く返事ができるようになってきた。やっぱり各々の仕事が全く入らない月もあるし、糧を得るためにしている仕事はそれだけではないけれど。

多分一番正しいのは “中級バイリンガルよろず屋” みたいな訳の分からない名称だ。自虐的でちょっとダサい響きも自分らしいが、内輪でふざけて名乗るだけにしている。なぜかと言うと、何をしているか結局分からないしそう自己紹介する意味がないからだ。わたしのように暇で新し物好きのフリーランスは、「暇です、新し物好きです、オペレーションならちょっとできるよ、仕事もらえて嬉しいな」というキャラを身内が見るSNSやチャットに投下しておくと、そういう人だと理解されて時世にあったビジネスをしている人から時世に必要な仕事の相談が来る。だからちょっとしたデジタル外注システムを整えるだとか、異分野の人材を探している人にヒヤリングして人を紹介することなんかもする。でも “その職業の人” として見られたいわけではないから、あまり深い会話でなければこういう仕事のことは言わない。

ある賢いカナダ人が言っていた。「僕はコンサルタントだよ、コンサルタントのなり方なんて簡単だ、名刺に自分の名前、そして “コンサルタント”って刷ればいいんだから。そしたらその名刺を見た人が『〜〜に困ってるんだけど、こういうことできる?』って聞いてくる。そしたらそれにYesと答えるんだ。」

彼はそれで事業を成り立たせ、今は不動産収入を持ってヘラヘラと暮らしているらしい。もちろんそれだけの収入を確立させられたのは本人の優れた推論や計画策定能力のなせる技だろう。一度小さく依頼をもらってそこからリピートや紹介をもらわないと流石に狭いコミュニティの中ですぐに破綻するはずだから。ただ、職業の名乗り方という面で、示唆をもらえるエピソードではある。その分野の仕事を依頼したい人物だと相手に見てもらうにはどうしたらいいか、彼は考え尽くしたのだろう。

お勉強が得意だと思っていたけれど、そうではなかったようだ。そう気付いてからの模索を経て、わたしは「ことばとビジュアルイメージを作って生きていきたい」と思った。それらに一番近くて、自分がお金をいただくレベルでできることを的確に表したのが、いま使っている「主に翻訳と写真をしています」という文言だ。

あるいは「フォトグラファーをしています。それだけで食べているわけではないんですけど」とも言う。”写真家”ではない、 “写真屋”でもない、 “フォトジャーナリスト”でもない。プレーンなフォトグラファーくらいがちょうどいい。でも一本で食べている雰囲気を醸し出すと、自己イメージからずれる。だから、そういう言い方になる。

わたしは結局、ちょっと視覚イメージと物語への興味が強い、はざまの人なのだ。物事の間にいてそれらを広く浅めに観察し、時にはつなげたり、一方のことを他方に語ったりする。それをそのまま広く理解されるような名前で差し出すことはできない。

一緒にオフィスをしている友人にはここ数ヶ月「 “原作者” になりたい」と言い続けている。しかしそれを名乗るのは名実伴わず、そして怖い。分かっている、本当はことばや本に触れていたいって。創作を自信をもってやりたいって。でもそれにまつわる仕事ができる自信が今はない。技能もさることながら、これまでの自己効力感の薄さと自己開示をしてこなかったことが尾を引いている。その二つが下手でメンタルブロックがかかりまくっているが、一気にべりべり剥がせるものではない。

実はゆっくりと写真のzineを作っているし(今、だいぶんと制作が遅れているけれど…)ギャラリーで写真展示をする予定もある(9月の緊急事態宣言のせいで延期になったけど….)目の前に来る人来る人に、それについて自信を持って語れるクオリティを身につける日が来ればいいとおもう。できれば、早く来ればいいと思う。

いまのご時世、転職も複数の会社に所属することも奇妙ではない。副業・複業色々あるし、アイデンティティの置き場も家庭と職場以外にも様々だ。一つの職で自分を括らず、出会う人ごとに、その人に見られたい自分をうまく書き表せるのが一番いい。やっぱり、これも自己ブランディング&情報キュレーションの領域に見えるので、SNSウケどうこうは関係なくこれを上達させる必要があるんだろうな。