9月のまとめ


ろくに切れ目のない日々、それゆえつなぎ目もない。住んでいる通りの東端から西端までで生活が事足りるので、それ以上に足を伸ばすこともほとんどない。毎日泥のような睡眠に浸り、まどろみから出るのにすら苦労し、残った力で生活に足りるだけの労働をし、小さく完結するものを作るか繕うかし、大きな感動も大きな失望も大きな怒りもなくそれが繰り返される。あんなに見上げていた入道雲もいつの間にかいなくなった。

秋のペーソスはさておき、取り立てて大きな出来事もなく、自分なりに元気。”元気” ではないかもしれない。この語は、生気とやる気に満ちている人に使われるべきだ。そこまでいかなくとも、命に別状のない “通常運行” ではある。

しかしうっかりしていて自転車の鍵をなくしたり矯正歯科に2回いきそびれたり、ショートケーキを一つ食べきれなくなったりと、身体スペックの衰えを感じる。その一方でモデルナワクチンの2回目完了が完了し、少し安心した。1回目は軽かった副反応だったが、2回目の接種では久方ぶりに寝込んだ。

●作ったもの
パンチェッタ燻製・スモークサーモン (愉悦)
中東の炊き込みご飯マクルーベ
皮から作る餃子(もはや工作)
ロウ引き紙と簡易ノート(かわいい)

●よかった漫画
野田サトル『ゴールデンカムイ』(やっと通読)
ヤマシタトモコ『違国日記 』


●よかった展示
KYOTOGRAPHIE 2021 Yingfei Liang “Beneath the scars”



1年前の9月は、岡崎体育「なにやってもあかんわ」をずっと聞いていたように記憶している。

 

つまり、今まで持っていたものがガラガラと崩れ、その復旧も上手くいかずに本当にしんどかったんだとおもう。その時の苦痛の感覚そのものはもう忘れ去っているけど、半年分の仕事、海外渡航の予定、一年間の計画、交際相手、崇拝する偶像、みんな消えた。

消えた、とみえているそういう大事なものは、本当はわたしが消したのかもしれない。でも荒ぶる不安の濁流のなかで、それらを繋ぎ止める握力は残っていなかったので仕方なかった。みんな不安で、下手すれば命を失う状況のなかで自分は恵まれている、そういうツギハギみたいな比較で自分だけが所有する苦痛を覆い尽くして、それが時間が経つにつれて腐り、毒を放っているようだった。

そもそも勉強をたくさんしてたくさん本を読んだはずなのに、自分の意見はなにもことばにならなくて頭がガンガンして身体を丸めてうずくまっている時間がどんどん多くなっていった。
 
一回全部やめよう、そう思って形式をとりあえず全部なくしてみて、自分が何を持っているか確かめようとしたけれど、ろくに何もなくって、でも周りの人はどんどん先に行っているような気がして、ああまた自分だけ取り残されたな、いつもわたしばかり。


尊敬している友人がおもむろに放った「みんな不安なんだよ」「なんでも喜劇だとおもったらいい」「あなたは、攻撃力は強いけど、防御力がめちゃめちゃに弱い」という3格言をしみじみ思い返しながら、すこしずつ自分が楽になる方向を探して1年がすぎた。

こうやって自分の内面をひっくり返して文字にして保存しておくブログもできて、それを書くことにもなんの抵抗や不安もなくなった。ちょっとした運動習慣もついて、一緒に場所の運営をする友人もできて(出かける友人といったらその人っきりしかいないけど…)一度全部捨ててみてから構築してきたものは、今の自分にあっているようで、ありように疑問を感じることは減った。

ここ一年で世界を自己内面にインプットする方法はだいぶんと楽観的なものになってきたから、あとはブログ以外でのアウトプットや対人コミュニケーションへの不安とか億劫さを次の1年で減らしてゆきたい。