海外に住む資格を得るのがむずかしい、性格とソフトスキル的に。

 

わたしが進んだ大学院は国際協力や開発に関するところだったから、そのころの交友関係には青年海外協力隊OBOGがめちゃめちゃ多い。いろんな話を聞き、すこし憧れがあった。

このご時世で海外に行きたい気持ちが溜まってきていたから、昨日なんとなくJOCV(協力隊)の募集ウェブサイトを見てみた。そうしたら、自分の当てはまる募集要項はなかった。無理したら受けられるかも…その程度の項目が2、3個あり、それをスクロールしながら「求められてないんだなぁ」という悲しさがわいてきた。結構ショックなことだった。大学の学位や資格をとってその分野でひとすじまっすぐ経験積んでる人は信頼できるよね、そうだよね、当たり前だ、何事に関してもそうだ。

わたしは人間がイヤで動物が好きだから獣医になりたいと漠然と考えていた高校生で、数学があまりにもできなくて希望大学に通らなかった。入った大学でも言語を研究することへの楽しみ方が分からず倦んで旅に出た。就活もよく分からなくてうろたえて、周囲が様変わりするのを傍観したままギリギリ大学を卒業し、結局拾われたのはフリーランスと個人事業経営者のコミュニティで、そこでは何とか生き残ってこれた。インバウンド観光やウェブメディアが隆興し、語学と文章や写真というスキルにはちょうど需要がある時節だった。だから運良く仕事の声をかけてもらえ、自費で20代で海外大学院進学すらできた(応募した奨学金には全て落ちた)。そして旅中に出会った人たちの躍動感と葛藤に影響されて開発学および国際協力の道を志す大学院生となった。

就職しそびれた上でのフリーランス生活をはさみ、不器用ながら合っているっぽい分野を見つけて大学院まで進んできて、そこまでは研究者か実務家になりたいと希望をもっていた。けれど大学院で、真に学問と学術業界が好きな人たちを目の当たりにして、研究の道には向いていないと悟った。そしてインターンや研究所の短期バイトやスタートアップへの参加など色々な紆余曲折を経た結果、オフィスワークがつとまるような規律性・計画性そしてコミュニケーション能力が自分には圧倒的に欠けていると気づくこととなった。そういうわけで、興味のある分野に対してそこに関わるためのスキルセットの欠如という矛盾に苦しむ20代後半を過ごした。

本当に小さい友人知人のコミュニティで仕事をもらっていたから、「逆にそれはすごいよ」と言ってもらえたこともある。確かにこの 「都会の百姓」 的働き方は誰にでもできることではないかもしれない。

「わたしはつぶしがきく人材ですよ。予定外のことにも驚かず柔軟に対応して、目の前の世界の機微を把握できますよ。いったん目的に腹落ちしたら先回りするくらいに働くし、一人で何役もこなせます。」そんな風に言いたいけれど、自分のことをよく知る “村” から一歩外に出たら、それを証明する術がない。

企業でプロジェクトマネジメントや人事やマーケティングをしていたら面接官にはまともな人だと思ってもらえただろうが、こちとら「新卒カード」も使わずふらふらフリーランスをしてきた人間であり、面接担当者は一対一の深い関わりを持って対話するリソースなんて持っていない。結局ここでも自己アピール、ブランディング、戦略的なキャリア構築にまたぶつかる。

「社会」は村コミュニティよりずっと大きくて、多数の異なる利害関係の人間が集まってなんとか折り合いをつけて共存している場所だ。その中で精一杯自分の信頼性をアピールして人間関係を築き上げる行為を、わたしはどうにも上手くできない。まぁそもそも、「村」って言っても旧来的な年功序列で性差が役割差そのものであるような村落ではわたしは落伍者だっただろうし、同質な人間が寄り集まれるインターネットの時代でなかったら、とっくに行き倒れていたはずだ。

そういえば大学院の同期には、大卒すぐに協力隊に行っていた人がいた。今思ってみると、実務経験なしでも応募可能なすごく小さなパイを見つけて合格してそこで2年半つとめ上げるというのは、かなり優秀な人だということだ。実際その人は協力隊に参加して、協力隊OBがもらえる奨学金を獲得して海外大学院にストレートで受かって進学し、そのまま協力隊OBが使える国連関連の仕事についたはずだ。

ただ興味のある分野を深く知りたくて進学し、「まだ分からないけど、その分野で仕事したいな〜」と夢を見ているだけだったわたしとは大違いだ。やってみたらわかるかな、と思ったけれどやってみることすらできなかった。

今いる場所が合わないなら、移動したらいい。「風の時代」を賛美する文章は安直にうたう。でもそれを境界を超えてできるのは今のところ “特別” な力をもつ人だけだ。借金も病気も負うべき他人の責務もなく、求められる価値のうちのどれかを移住先の社会に提供できる特別な人。善良で優秀である可能性が限りなく高い、と異文化の目で見ても確認できる人。

どこか違う国に1, 2年同じ場所に住もうと思ったとしても、共同体の文化と言語と人に馴染むだけではいけない。在留資格を国家に認められなければいけない。お金か技術か労働資本かあるいは国民の配偶者としての価値があることを示さねばならない。それには、したたかさと戦術と気概とスキルが要る。

いま取り組んでいる歯の矯正が完了するのがおそらく1年半後くらいだ。それから、どこかに渡航して数年住みたいと思うようになってきた。しかし今のところ、在留資格が取れそうなアピールができるくらいに確固としたスキルセットが語学しかない。フリーランスコミュニティで生きていけるくらいの事務能力と文章力とカメラの技能はあるけれど、一流の芸術家になったり助成金を獲得したり事業を成長させたり投資をしたりする力がない。

そうすると結局就労ビザを取るためには日英の言語関連でなくてはならず、そうなると大抵は日系企業を探すことになり、日本語-日本的社会構造から離れられない。気軽に文章書いて写真撮って絵を描いてワーホリと観光ビザで渡り歩くには、気が弱すぎる。元来お勉強ばっかりやってきたことから学術の方法論に偏りすぎているので、ヒッピーコミュニティは馴染みにくすぎるのも厄介だ。

結局わたしにはちょっとしたものづくりと言語をマイペースにやることしかできないのだし、そうなると世界的に需要がある分野はIT関連専門職しか残らないように思う。

次の1年、ITパスポートと基本情報技術者、その範囲のスキルの実務能力と用語の英日獲得を目標にするか…そう思って、とりあえず分野の網羅のための基礎教科書を買った。国内に留まり続けるとしても、潰しがきく知識にはなるだろう。自分でもなんとかできる分野のうち需要の大きいものに乗っかるしか生き残る道はない。

エクセル関数くらいは仕事でそこそこ使ってきたし、勉強とテストは得意だ。というか、それしかできない。一見しただけの人からは羨ましがられがちだが、知識を得てもそれをアウトプットして組織に貢献する力が著しく欠けているのだから実際社会役に立たないに変わりはない。こうやって陰鬱な文章をウェブに書き連ねるという、とくに求められないアウトプットが関の山で、投資対効果が悪すぎて親に申し訳ない。

もっと、知識を使って実社会に何かすることができたらいいなあ…そういう思いはずっと持っているから、少しずつ自分にできることをやっていく。