「好きなものは?」にすぐに返答できない問題

 

いつもいつも、「好きなものは?」とか聞かれても即答できない。これだけずーっと本を読んでゴロゴロしているのに、「今月読んでよかった本は?」と聞かれてすぐに答えられない。

たいていの場面において聞いている方はただ世間話をしたいだけなんだろうことは理解できる。でもついつい真面目に答えようとしてしまうし、「う〜ん、その時の気分や場面や誰といるかによるからなあ…」となってすぐに回答が思い浮かばない。

好きな食べ物はあれ!好きな国はあれ!と即答できるひとの潔さにいつも舌を巻く。自分が好き!ってなったものが自分のなかでラベル付されランク順に並んでいるとでもいうのか?わたしの思考回路はそういう風にはできていない。

歯切れが悪い理由

1.経験や知見が散らかった脳内

一つは「中枢結合能力」の欠如なのかな、と思っている。意識せずに放っておくと、経験や発見や感情が全然体系的に整理されない。散らかったまま、何かのフックによって雑多なことが思い出されるが、それぞれは関連していない、なんてことがよくある。まあ一種のASD的な性質だろう。こういう傾向は確かに持っている。

自分が経験したことやその時の気持ちを言語化し別の出来事とくっつけて考えたり、体験を自分の一部として取り込んだりする能力が弱いです。1つ1つの知識が個別に存在し、統合されていきません。

ー早稲田メンタルクリニック『自分の意見がない発達障害(ASD)』

2.会話の目的を直感的に把握できていない

もう一つは、『そもそもこの会話は何を目的としたものか?』を考えていないからだ。考えなくてもできる人もいると思うが、わたしはできない。考えなくてもノリ良く会話を勧められるのは才能だから、できる人は誇りに思ったらいい。

『この会話は何を目的としたものか?』をもとに回答を検討したら、相手の期待している答え方はわかってくる。全ての会話が、一対一の深い関係を気づくための人となりの洞察であるわけがない。この拡散しつづける現代社会において、社会的であるということは、どうでもいい人とも話さなければいけない、ということだ。プライバシーという概念のある時代だからな。

3. 優先順位づけできない

「様々な記憶や思考が頭のなかで点在している」と上に書いたが、つまり、全てが並列、優先順位ごとに比較するということを苦手にしているという意味だ。だから問われたらその場で要素をかき集め、並べてみて考えなくてはならない。多くの人をみていると、そうではなくてある経験をしたら過去がちゃんと参照されて、比較順に評価がなされているし、特別印象的な経験をしたら、それが殿堂入りのように別の枠で囲われている。

それを意識的に普段から実践するのも一つの改善方法だと思うが、物事の様々な側面が見えてしまって優先順位づけをしきれないということであれば場合分けをしてみればいい。

「そうですね…いろんな切り口での回答が考えられるのですが、例えばキャリア構築という面で憧れている人でいうと〇〇株式会社を創業した▲▲さん、自分の個人的な経験上で人となりや考え方に大きく影響を受けたのは高校の恩師の●●さんです。ここでは▲▲さんを尊敬する理由についてお話しします。」

これくらいの解像度で言語化して出せるのだったら複数回答でもいいだろう。自分もスッキリ、相手にも考えていることが明確に伝わる。ただ時間だけ意識しておかないとすぐに時間超過してしまうだろうけど。

なんとか大学院まですすんで、ちょっとだけ場合分けが上手くなった最近はこの戦略で会話に挑むことも多い。かなり文字数の多い会話になるが、もう最近では周りの人間もだいぶんと得意不得意が偏っていて早口だったりすることが多いので、場合分けがある方が楽しい時もある。

とっさに回答を練り上げられず就活で困った

自分のそんな即答できない性分に如実に悩むことになったのは就職活動の時だ。模擬面接なんかでよく「尊敬する人は誰ですか、その理由を答えなさい」なんて問われる。

まず、準備していない自分が悪い。それは間違いない。ただ、事前に問答集などを見たところで、全然答えが思い浮かばなかったのも事実だ。

「っていわれても、尊敬にも色々あるからなぁ…。

作家だと、自分とは全く身体性への感覚や自己ー他者の捉え方が違っていて圧倒されるような眩しさを感じるのは鈴木涼美さんだなあ、生き方に親近感が持てて好感度が高く『そうそう、そうなのよ〜、よくぞ言ってくれた』と思うのがphaさんだなあ、うーん一人には絞りきれない。

でもこれは面接だしあまり空白時間を作るのもよくないし、とりあえず何か言わなきゃ。」

そんな気持ちを頭の片隅に置いたままだから、歯切れ悪く「これで合ってるのかな…」と歴史上の人物や作家を取り上げ空想の理由を述べたてる。正解を探すとどうしても本心からは遠いところにあるものを持ってきてしまう。結局どういう尺度でみての尊敬を相手が聞きたいのか測りかねるから、答えに困って、自我を傷付けず相手の期待に答えようとして道に迷うのだ。

今となってみたら、面接官はその新卒の思考手順・倫理観・嗜好・答え方を見たいだけなので、それを前提として理解したうえで時間内にうまくプレゼンできる人間が受かる。別に自分の親や祖父母と回答しても理由がしっかりと述べられていたら構わないはずだ。目的とリソース制限の把握、本心と社会性をうまく割り切れるか、結局それもフィルタリングの対象である。いちいち関わる全ての人を丸ごと理解しようとする癖のない人間のほうが会社員は務まりやすいだろう。

省エネのための定型文

今のわたしは、世間話に詰まったら、いちいち自分のつまずいた設問の模範回答を作って頭のなかに保存しておくようにしている。適当に定型文で回答を用紙しておいたほうが省エネになるからだ。もう30歳で無茶が効かなくなってきて、わたしは元から少ない社交用エネルギーをさらに節約するようになってきた。誰とでもわかりあいたいという、コミュニケーション下手な人好きの思考もめんどくささに負けるようになってきた。何か大事なものを失った気がして少し寂しいが、でも割り切れるようになった今のほうが全体的に気楽に生きることができている。

なんなく笑顔でそういう質問に答える人のなかにもそういう戦略の人がもちろんいるだろう、わたしが気付いていないだけで。それはとてもつまんないことだけど、面白くすることが目的でない場で生き残るためには必要だ。時間とエネルギーは有限で、わたしたちは忙しいのだから。

世間話というのは、大勢の人にとっては相手が同族か確かめるための周波数の調整のようなものらしい。そういう類のことが借金玉さんの本に書いてあった。友達がトイレに立ったから友達の友達と話さないといけない喫茶店での「趣味は何ですか?」だって、より多く言葉を交わすためのいとぐちに過ぎない。わたしは本をよく読むけれどそれは水を飲まないと生きていけないという種類の切実さを伴う行為で、”シュミ”とは捉えていない。でも相手はわたしの趣味という言葉への狭義の捉え方にはたぶん興味がない。だから言霊を入れない「読書です」と言う回答でもいいのかもしれない、そこから話が広がりそうなのであれば。一人一人と向き合いたい欲求が強過ぎてつい世間話にすら真剣になってしまうが、結果的に相手との温度感が合わずに気まずくなってしまったら元も子もない。

ただ、わたしは好きなものを即答できないのにもかかわらず、嫌いなものは即答し、しかもそれがなぜ嫌いかを大変饒舌に語れる。どうしてかわからないが、とても面白い。不快を感じるものに対しての反応の方が心に負担をかけるから、それを回避するために事物の質を深く分析する癖がついているのかもしれない。

悪趣味な面接担当をする妄想

自分がもし面接担当になったら、「嫌いなものはなんですか」を聞いてみたいな、と思う。その質問に瞬時に模範的な定式に倣ったプレゼンをするか、虚を突かれた顔をして一瞬空を見て考えたあとに本心で答えるか、人となりが暴露される瞬間になるだろう、そういうのを見るのが楽しい。

やっぱりわたしはいつも心の奥底で、目の前の相手が人間性を暴露してくれることを期待しているんだとおもう。

内容のない会話をすることで「敵意はありませんよ」というグルーミングをするよりは、相手の深淵を見た時に自分と違う人間だったとしても失望せず、その違いに興味を抱き続けて関わる方がよっぽど面白いから。