きつね

 

 「おお、一橋じゃないか。元気か?相変わらずキレイだな。あっ、ビール。ありがとうありがとう、それくらいで。」


 うん、綺麗でしょう、よかった。そう言ってもらえてほっとした、とっても努力しているからね。三十五歳って、もう曲がり角も三回目くらいだから自分の新陳代謝の衰えは自覚してる。油断するとすぐ下腹ぽっこり、それはあなたと同じ。


 「いま何してんの?・・・おお、貿易事務?いつの間に英語勉強したの? あぁ一橋、英文学科に行ったんだっけ。そうかぁ。才色兼備は健在ってことかぁ、すごいな。見てよおれのこの腹。一橋は変わんないのにな〜。あ、でもほら髪の毛の後退はまぬがれそうだよ、遺伝子に感謝、ははは。。本当、仕事と家庭の往復でジムの会費がもったいないよ。今うちのヨメさん産後の、なんだっけ、エインレッショウ?になっちゃって立てなくてさ。おれが新生児見ながら上の2人の送り迎えもして、さらに家事もしてんのよ。もうたまらんよ。でも子供は可愛いんだよな。あ、一橋もビールビール。めでたい席だからね。」


 近藤くん、そんなによく喋る人だっけ。家庭ができたら話をする相手がいなくなるものなの?でも話すことはさ、やっぱり家庭持ちのご定番になるんだね。


 「仕事?うん、まぁ普通だよ。ずっとパソコンばっかり見てるな。でも駐在はさんで部署移動してから部下がついたからな。指導する立場って大変だな。・・・あ、そうおれ一昨年までブラジルにいたの。一人目はあっちで生まれたんだよ。」

 「しかしすごい出席率だな、宮沢、全員呼んだんじゃないか。これはもう三年六組の同窓会だな。吉村センセ亡くなって以来だよな。最近あのメンバーとは会ってないの?あ、そっか。島野は旦那さんの転勤で引っ越して、北海道なんだっけ。え、あっちに家買ったの?そっかもうお子さん中学生か。あとは、小林とかは?ああ、小林も内田も、お母さんだもんな。え、田中も子供できて結婚したの、いつの間に。へぇ〜、あいつデキ婚するんだ、そういうタイプに見えない。うわっ、しかもマッチングアプリなんだ。時代も変わったなあ。おれだけ取り残されているのかなあ、うう、老害にはなりたくない。」

 


 近藤くんも変わったよ。昔はサッカーと漫画とサッカー漫画家になりたい話しかしなかったよ。わたしはまだサッカー漫画家の話を聞きたいフェーズにいるよ。もうすっかりわたしとは違う世界の人だよ。
 
 知らず知らずの間にお酒のペースが早くなる。つがれたビールの合間に赤ワインを手にとり、下品に見えないように気をつけながらスッと喉に流し込む。口紅を落とさないように、指先の所作にも気をつけて。


 新郎新婦入場、なりそめビデオ、乾杯、ケーキ入刀、誰かと誰かと誰かの挨拶、余興、お色直し退場。思い出話、家庭と健康の話、昔の知り合いの動向伺い。

 結婚式なんて憂鬱だ。やっぱり何か理由をつけて欠席したらよかった。全然目新しくて刺激的なことなんて起きない。こんなことにお金を使うのなら、今月もっと自分磨きに投資できたじゃん。


 ピラティスは毎週、美容院とネイルサロンは毎月、デパコスは季節の変わり目ごと、シミ取りレーザーは年に一回、冬をねらう。デスクワークだからって気を抜かないで、姿勢から口角まで、良い印象を与えるように心がける。コートや革のパンプスは質の良いものを選び、毎年手入れしながら大事に使っている。家族も職場の人もそのカッティングの良さなんかには全然気づかないけれど。


 見た目だけじゃなくって、勉強にも時間とお金を使う。お父さんが死んでからのお母さんの苦労とその報われなさを見ていたら、『女はいざとなったら結婚したらいいよな』なんて声は耳に入らなくなった。とにかく今年中には簿記二級とTOEICで成果をあげよう。貿易事務には出世ルートなんてないけど、ちょっとはお給料があがるかも。こっそり転職活動をしていてもなかなか良いところが見つからないけど、資格があればプラスになるかもしれないし。


 近藤くん、駐在してたんだなぁ。同い年で管理職なんだぁ。あんなに遊びまくってたのに、就活ってなったらパッと切り替えてなんなく内定ゲットして、気づいたら家庭持ってて子供が3人もいて。そういえば就職を決めた時に飲みに行った。その時言ってたっけ、「おれ出来ること少ないからさ、目の前に道があったら、これだ!って飛びつくんだ。」

「一橋はさぁ、結婚しないの?」

「えっ。」


「あ、ごめんもうこのご時世、こういうこと聞いたら失礼なんだっけ。忘れて!」


「あはは、大丈夫だよ。二年くらい彼氏いないから、まだ現実的じゃないなぁ。いいご縁があったらしたいな、とは思うけどね。」


「出会いもないの?一橋キレイだし料理も上手いし趣味多いし仕事もちゃんとしてるし、何でもできるもんな、すぐ相手見つかりそうだよ。一橋もマッチングアプリやってみればいいんじゃないの?」


 わたしは知っている。マッチングアプリで仕事や年収や学歴や趣味や将来子どもがほしいかどうかを羅列している男性たちとの会話が全然弾まないことを。そして三十五歳になったとたんにマッチ率が面白いほどに下がることを。


 そういえば昔、読んだことがある。森で猟師に狙われたとき、たくさん知恵を持つキツネはどの知恵を使うか迷って逃げ遅れ、木登りしか知らないリスは、木に上って逃げのびた、というお話を。